第25話 深入り禁止、もう手遅れ
仮眠は、二時間で破られた。
「《腐れ縁》!起きろ、問題発生だ!」
叩き起こしに来たのは、リタさんだった。徹夜続きの顔で、それでも声だけはしっかりしている。
「治癒テントの子が、あのヴィクさんが、居ません!」
「「「「は?」」」」
寝台は空。毛布はきちんと畳まれ、上に飴玉の包み紙が一枚、置いてあったという。律儀に食ってから消えるな。
「見張りは!?」
「治癒師さんが目を離した、ほんの少しの間に……あの、皆さん、心当たりは」
心当たりしか、なかった。
「ちなみに包み紙、几帳面に畳んであったんですけど……これ、置き手紙のつもりなんでしょうか」
「あいつなりの“ごちそうさま”だろ。……律儀なんだよ、ああ見えて」
言いながら、俺は西の空を見上げた。
「穴だ」
三日は安静と言われた足で、あいつは、あの穴に戻る気なのだ。
「隼人、ひなた、起きろ!走るぞ!!」
「んあ……もう朝メシ?」
「違う!!いや、ある意味メシの恩の回収だ!!」
——夜明け前の街を、俺たちは走った。
防衛線の裏手、資材置き場の間を抜ける近道。穴へ向かうなら、検問を避けてここを通るしかない。そして、先回りの切り札は、俺たちの中にいる。
「ひなた!分かるか!」
「ん。“しろパンのにおい”が、あっち」
「探知の理由が餌付けなのよ」
資材の陰から陰へ、小柄な影が走っていくのが見えた。足を引きずっている。それでも、常人より速い。
「先回りするぞ!隼人、右の路地!ひなた、荷車の上!沙耶は俺と正面!」
包囲は、三十秒で完成した。袋小路の入り口を塞いで、俺は両腕を広げた。
「止まれ、夜の同胞。散歩には、遅すぎる時間だ」
ヴィクが、足を止めた。フードの奥の金の瞳が、逃げ道を探して左右に走った。そして荷車の上のひなた(黒パン構え済み)を見て、諦めた。
「……どけよ」
「どかん」
「どけって言ってるんだ!!僕は、行かなきゃいけない!!」
「その足でか?三日安静の診断だったな。今のお前の走りは、点数をつけるなら40点だ」
「よ、40点……素顔は92点だったのに!?」
「覚えてるんじゃないか、採点」
「〜〜〜っ、忘れろ!!今のは忘れろ!!うるさい!!採点するな!!とにかく、時間が、ないんだ。本波が来る前に、確かめなきゃいけないことがある。あの主の変質を、この目で」
「なら、俺たちも行く」
言った瞬間、空気が変わった。
ヴィクが、目を見開いた。そして俺の真後ろで、沙耶が、低い声を出した。
「ちょっと待ちなさいよ」
振り向くと、沙耶は笑っていなかった。眼鏡の奥の目が、まっすぐ俺を見ていた。
「今、なんて言った?行くって、どこへ。立ち入り制限中の、穴の底へ?本波が来るって分かってる朝に?」
「ヴィク一人よりは、四人の方が生存率が高い」
「そういう算数の話をしてるんじゃないの」
沙耶の声は、静かだった。静かなのが、逆に怖かった。
「私たちの仕事は、この街の防衛線の“風”よ。持ち場があるの。……その子のことは気の毒だけど、素性も、目的も、何ひとつ言わない相手に、どこまで付き合う気?あんたの眼でも読めない相手なのよ?」
「……読めないから、放っておけと?」
「深入りするなって言ってるの!!」
沙耶が、初めて声を荒らげた。
「あんた、昨日の本波の警告の時も、真っ先に陣を飛び出したでしょ!!誰の許可も取らずに!!……あの時、あんたの背中にオークが何匹いたか、数えてないでしょ、あんたは!!」
「私は数えてたのよ!!帳面につける癖で、全部!!六匹よ!!隼人が間に合わなかったら死んでたの、あんた!!」
数えて、いたのか。
言葉に詰まった俺の代わりみたいに、口が勝手に動いた。
「……それでも、だ。見捨てる選択肢は、俺にはない」
「どうして!!」
「“見捨てて生き延びる”を選んだら——俺たちは、俺たちじゃなくなるだろうが」
沈黙が、落ちた。
隼人は珍しく茶々を入れず、腕を組んで壁にもたれていた。ひなたは荷車の上で、俺と沙耶を交互に見ている。
そして足元の絆スキルの光が、す、と細くなったのを、全員が感じた。
罵倒じゃない。これは、喧嘩だ。本気の。十年の付き合いで、数えるほどしかない種類の。
「……けんかは、だめ」
ひなたが、ぽつりと言った。誰も、返事ができなかった。
「……なあ、二人とも。ここは俺が間を取ってだな。どっちが先に謝るか、賭けようぜ。俺は沙耶に銅貨5枚」
「「賭けるな!!」」
「ほら、息は合ってんじゃん」
「「今はそういうのいいのよ(んだよ)!!」」
「それも揃ってるんだよなあ……」
隼人の仲裁は、いつも雑で、いつも少しだけ正しい。だが、今回ばかりは、雑さが足りなかった。揃った声は、揃ったまま、冷えていた。
——その時だった。
「もう、いい」
割って入ったのは、当のヴィクだった。フードの下から、疲れた声がした。
「僕のことで、揉めるな。……見てられない」
「ヴィク」
「それに……お前たちのそれ、今、弱くなっただろ。足元の光」
ヴィクは、俺たちの足元を指差した。
「僕はそれを、その“出鱈目な絆”を、あてにしてたんだ。この街で一番強いのは、防衛線でも壁でもなく、お前たちのそれだ。……それが今、こんな朝に、こんなくだらないことで、細くなってる」
「くだらなくないわよ」
沙耶が、即答した。
「この馬鹿の命の話だもの。くだらなくなんか、ないの」
ヴィクが、黙った。フードの奥で、何かを飲み込んだ気配がした。
「……とにかく。僕は行かない。行けない。……この足じゃ、足手まといになるって、今ので分かった」
そう言って、ヴィクは袋小路の壁に、ずるずると座り込んだ。強がりの糸が切れた座り方だった。
「だから、お前たちも行くな。持ち場に戻れ。……僕が確かめたかったことは、お前に頼む」
「俺に?」
「その眼だ。もし主と向き合うことがあったら、“もや”の奥を視ろ。淀みの黒いもやの、その奥。あれの“中心”に何があるか。……僕が知りたいのは、それだけだ」
もやの奥。中心。
問い返そうとした、その瞬間——
ごう、と。
西の丘から、これまでで一番深い音が、腹に響いた。
地面が、縦に揺れた。資材置き場の木箱が跳ね、街のあちこちで警鐘が鳴り始める。
「総員、配置ッッ!!本波、来るぞォォ!!」
グスタフさんの声が、夜明け前の街に響き渡った。
「……行かなきゃ」
「ええ。……行くわよ」
俺と沙耶は、目を合わせないまま、同時に走り出した。喧嘩の途中で戦場に出るのは、初めてだった。
走りながら、隼人がぼそりと言った。
「なあ、お前ら。仲直り、しとかなくていいのか」
「「今はいい」」
「息は合ってんだよなあ……」
防衛線に滑り込むと、穴の様子が一変していた。魔素の霧が柱みたいに立ち上り、赤黒い光が渦を巻いている。
「風、配置につけ!!」
ヘクトルさんの号令。俺と沙耶は、いつもの遊撃位置に並んだ。並んで、しかし、無言だった。
罵倒が、出ない。
出るわけがない。本気の喧嘩の直後に、じゃれ合いの悪口など出るわけがない。
足元の光は、細いままだった。体が、いつもより重い。
「おい、風ァ!!貴様ら、今日は静かだな!?どうした!!」
前線から、ヘクトルさんの声が飛んできた。獣人の耳は、俺たちの“いつもの騒がしさ”の欠落を、誰より早く聞き取ったらしい。
「……なんでも、ないです」
「なんでもない顔で言う台詞か、それが!!」
返す言葉が、なかった。教官の言う通りである。俺たちのパーティの静けさは、故障の音なのだ。
「(……まずい)」
俺たちの“風”は、口が回らないと、吹かないのだ。
——ごう、と穴が咆えた。
本波が、来る。




