第24話 開口一番、92点
氾濫、初日の昼。
第一波の攻勢がいったん緩み、防衛線は交代制に移った。俺たち《腐れ縁》は後方に下げられた。俺はその足で、治癒師のテントに来ていた。
寝台の上に、あの小柄な体が寝かされている。傷の手当ては済んで、あとは目を覚ますだけらしい。フードは取れたままで、紫の髪が枕の上に広がっていた。
「……ふむ」
俺は、寝顔を正面から、じっくりと観察した。紳士として。あくまで紳士として。
汗と泥は拭われて、素顔がよく見えた。気の強そうな眉。年の頃は、ひなたと同じくらいに見える。そして、やはり読めない。傷の具合すら、俺の眼は寄越さない。読めない、というより、“弾かれる”が近い。まるで、眠っていてなお、薄い膜を一枚、肌の上に纏っているような。……なんだ、この膜は。
と。
その目が、ぱちり、と開いた。
金色の瞳が、俺を映して、二秒静止して。
「ッッ!?」
「起きたか、夜の同胞よ。おはよう」
「なッ、おま、なんでッ!?ここ、どこだ!?僕の、フードは!?」
跳ね起きようとして、傷に響いたらしく「うぐ」と丸まった。慌ただしい奴である。俺は、姿勢を正した。伝えるべきことを、まず伝えねばなるまい。
「落ち着け。ここは防衛線の治癒テント。お前は穴から逃げてきて、俺の腕の中で気絶した。傷は手当て済みだ。それと」
「そ、それと……?」
「素顔を見た感想を言おう。——92点」
「…………は?」
「92点だ。惜しい。実に惜しい。減点の8点がどこか、教えてやろうか」
「頼んでない!!気絶してる間に人の顔を採点するな!!何なんだお前は!!」
「あと“角”があれば、完璧だった」
その動きが、一瞬、ほんの一瞬だけ、止まった。
「……つ、角って、なんだよ」
「分からんのか?角だ。頭から生える、あの浪漫の結晶だ。お前の顔立ちには本来、角が似合うはずだ。いや、むしろ“あるべき”だ。俺の魂がそう告げている」
「お前の魂は黙ってろ!!角の生えた人間がいるか、馬鹿!!」
「人間ならな」
「〜〜〜ッッ、へ、変な奴!!やっぱりお前、変な奴だ!!」
真っ赤になって騒ぐ姿は、屋根の上の影とは別人みたいで、俺は満足した。生きている。減らず口が叩けるなら、上等である。
「はいはい、そこまで。目が覚めたのね、よかった」
テントの入り口から、沙耶たちが入ってきた。ひなたは手に、布の包みを抱えている。
「傷、診せてもらったわよ。三日は安静ですって。……で、まず名前。あなた、何て呼べばいいの」
「…………ヴィク」
「ヴィクね。私は沙耶。こっちの変態は圭吾。剣のが隼人で、この子がひなた」
「へんたい……ああ、うん。知ってる。じろじろ見る奴」
「話が早くて助かるわ」
「おい待て。初対面の紹介が“変態”で通るな」
そこへ、ひなたが、ぽてぽてと寝台に近づいた。抱えていた包みを開く。白パンが、一個。三層で「はじめてのひと用」に包んだ、あの一個である。
「ん。……はい」
「…………僕に?」
「かたいパンは、はじめてのひとには、つらいから。しろパン」
ヴィクは、白パンと、ひなたの顔を、交互に見た。それから、ぼそりと言った。
「……この前のパンの、代わりってことなら、受け取ってやる。別に、腹は減ってない」
直後、ヴィクの腹が、くう、と鳴いた。
「「「「…………」」」」
「〜〜〜ッ、笑うな!!誰も笑うなよ!!」
齧りついた白パンは、三口で消えた。よく噛め。
——さて。和んでいる場合では、ないのである。
パンが消えたのを見計らって、俺は本題に入った。
「ヴィク。聞かせてくれ。お前が穴の底で見たものを。……“主が変質してる”と言ったな。あれはどういう意味だ」
ヴィクの顔から、赤みが引いた。金の瞳が、すっ、と冷えて、夜の路地で見た、あの警戒の色に戻る。
「お前たちに言っても、どうにもならない」
「どうにかする側なんだ、こっちは。防衛線のど真ん中にいるんでな」
「…………」
長い沈黙のあと、ヴィクは、ぽつぽつと話し始めた。
迷宮の底には、魔素の“淀み”が溜まっている。それ自体は、どこの迷宮にもある、普通のことだ。
だが、ここの淀みは“濁り方”がおかしい。ただ濃いのではなく、何かが、混ざっている。
そして最下層の主は、その淀みに呑まれた。呑まれて、死んで、それでもまだ、動いている。
「湧きが止まらないのは、あれが底で暴れて、淀みを掻き回してるからだ。放っておけば、淀みごと破裂する。そうなったら、この街は——」
「「「「…………」」」」
テントの中が、静かになった。
「……って、僕は思ってる。確証はない。……信じるかどうかは、勝手にしろ」
「信じるさ」
即答した俺を、ヴィクは怪訝な顔で見た。
「……なんで、そんなに簡単に」
「お前の警告で、この街は半日早く動けた。避難も防衛線も間に合った。実績のある情報屋を疑うほど、俺たちは贅沢じゃない」
「じ、実績って、僕は別に、この街のためじゃ」
「ちなみにヴィク。あなた、そもそもなんで一人で穴の底なんかに?」
沙耶の問いは、静かで、まっすぐだった。経理の目である。帳尻の合わない数字を見つけた時の。
ヴィクは、目を逸らした。
「僕の、用事だ。言う必要はない」
「ふうん。……ま、いいわ。今はね」
今は、の三文字に力がこもっていた。俺たちの経理は、貸し借りを忘れない。
「なあなあ、それよりさ。“淀みの破裂を予知できる情報屋”って、王都あたりに売り込んだら、いくらになると思う?」
「隼人。人の恩人を換金しようとするな」
「僕は売り物じゃない!!」
「冗談だって。……半分は」
「半分は本気なのが、私たちのエースの怖いところなのよ」
——その後、ヴィクの証言は、俺の口からグスタフさんに報告された。テントの外、報告を聞き終えた支部長は、低く唸った。
「主が呑まれて、なお動く、か。……本波は」
「来ます。あいつの見立てだと、今夜か、明日の朝。……底が“破裂”する前の、最後の大波が」
「よし。夜のうちに二重目の壁を上げる。お前らは仮眠を取っておけ。本波では、遊撃の“風”が要る」
「はい。……あの、支部長。ひとつ」
「なんだ」
「あいつ、ヴィクの扱いは。制限区域に無断で入った件、咎めますか」
グスタフさんは、少しだけ黙って、それから、ふんと鼻を鳴らした。
「街を救った情報の礼を、罰で払う支部があるか。……治って、落ち着いたら、飯でも食わせてやれ」
「「「「(いい親方だ……)」」」」
——夜。仮眠の前に、俺はもう一度だけテントを覗いた。
ヴィクは、寝台の上で膝を抱えて、天幕の隙間から西の丘を見ていた。眠れないらしい。まあ、あの穴の底を見てきた後では、当然か。
「……起きてたのか」
「……お前こそ、寝ろよ。明日、戦うんだろ」
「ああ。寝る。これを渡したら、な」
俺は、懐から小さな包みを出して、寝台の端に置いた。祭りの残りの、飴玉である。くじ引きで俺が量産した、あの飴玉だ。
「約束しただろう。起きたら“甘いの”を食わせてやると。……ま、前払いの利子みたいなものだ。本命の供物は、全部終わったら改めて用意する」
ヴィクは、包みと俺を交互に見て、それから、ひったくるように包みを取った。
「べ、別に、約束なんて覚えてないけど。……供物なら、仕方ないから」
「ああ。仕方ないな」
「……………………圭吾」
「ん?」
「死ぬなよ。お前たち、あれの怖さを、まだ分かってない」
飴玉を頬に入れたまま、真剣な目でそういうことを言うので、俺は笑ってしまった。
「善処しよう。おやすみ、夜の同胞」
テントを出ると、西の丘の上、穴のある方角の空が、うっすらと赤黒く光っていた。地鳴りは、もう途切れなくなっている。
腹の底で、遠い咆哮が、ずっと鳴っていた。
——本波は、朝に来る。




