第22話 通りすがりの闇の眷属
Bランクの応援が王都から着くまで、三日。
その間、フォルテの街は、静かに戦の支度をしていた。
ギルドは冒険者の名簿を組み直し、門番たちは避難路の確認を始め、教会は治癒師を集めた。氾濫は、まだ起きていない。だが「起きるかもしれない」の空気は、祭りの浮かれを塗り替えるのに、十分だった。
そして俺たちは——買い出しをしていた。
「黒パン三十個。あるだけください」
「はいよ……って、また多いね!あんたら戦争でも始める気かい」
「始まりそうなんですよ、多分」
パン屋のおばちゃんは笑えない冗談に顔をしかめ、それから、袋にひとつ、白パンをおまけしてくれた。
「気ぃつけな。あんたらこの街の“例の”なんだから、死んだら承知しないよ」
「“例の”は、褒め言葉として受け取っておきます」
市場を回ると、屋台のおやじたちが次々に声をかけてきた。串焼きのおやじは干し肉を持たせ、果実水のエルフは水袋を割引き、大食い大会の司会だったドワーフは「嬢ちゃんに」と携帯食の箱を寄越した。
「……なんか、贔屓されてない?私たち」
「祭りで散々騒いだからな。顔だけは売れてる」
「ん。みんな、いいひと」
ひなたが箱を抱えてほくほくしている横で、沙耶は帳面に「差し入れ(串焼き換算四十二本)」と記録していた。俺たちの経理は、善意も換算する。
——午後は、作戦会議だった。
宿の四人部屋。床に迷宮の見取り図を広げ、沙耶が帳面をぱしんと叩く。
「議題。“もし氾濫が起きたら、俺たちはどう戦うか”」
「入り口は広場よね。……つまり、屋外」
「——ということは、だ」
全員の視線が、ひなたに集まった。当人は、干し肉を齧りながらきょとんとしている。
「発射条件、成立の場所ってことよ。屋外、遮蔽なし、敵は密集して出てくる」
「問題は、弾数だ。一発分しか予算がない」
「そこで、よ」
沙耶が、見取り図の入り口に、銅貨を一枚置いた。
「撃つのは“本波”だけ。初期の小物ラッシュは、いつもの逃げ回りと壁で捌く。魔物が一番濃く固まった瞬間に、一発。……外したら、私たちは破産よ」
「一発必中の大砲、運用がシビアすぎる」
「ちなみにひなた。狙いって、つけられるのか?」
「ん。——“おいしそうな方”に、いっぱい飛ぶ」
「魔石が濃い方向、ってことね。……本波の中心そのものじゃない。運用でカバーしましょ」
会議の結論。合言葉は「撃つのはまだ」。経理が頷くまで、大砲は沈黙である。
「ところでさ。ひとつ、儲け話があるんだけど」
隼人が、悪い顔で手を挙げた。
「氾濫が起きたら、魔石が市場に溢れて値崩れする。……つまり、今のうちに手持ちの魔石を全部売っとけば」
「あんた、街の危機で相場を張る気!?」
「災害に強いやつが生き残るんだよ、世の中」
「その逞しさが、たまに本気で怖いのよ」
なお魔石は、翌朝までに全部売却された。経理は文句を言いながら、売値は一枚も値切らせなかった。俺たちのパーティは、こういうところの息だけは合う。
——そして、夜。
眠れなかった俺は、一人で宿を抜け出して、夜風に当たっていた。……嘘だ。正確に言う。夜の街を“漆黒の存在として”散歩していた。風呂敷マントが夜風によくなびく。良い夜だった。
その途中——裏路地の井戸の陰で、俺の眼は“それ”を見つけた。
小柄な影が、井戸の水を、両手で掬って飲んでいた。
フードから零れる、紫の髪。
「————また会ったな、同輩」
影が、弾かれたように跳び退いた。フードの下から、警戒しきった目がこちらを射抜く。
「……お前。この前の、じろじろ見る奴」
「人聞きが悪い。観察眼の鋭い紳士と言え」
「不審者の言い換えだろ、それ」
言葉は刺々しい。だが俺の眼は、別のものを視ていた。——読めない。相変わらず“状態”は読めない。だが、観察でわかることもある。頬が、少しこけた。井戸水で腹を膨らませる者の飲み方だった。三層の、齧りかけのパン。
俺は、懐から包みを取り出した。昼間、パン屋のおばちゃんがくれた、白パンである。
「食うか」
「————は?」
「言っておくが、施しではない。これは“供物”だ」
「く、供物……?」
「ああ。我が眼をもってしても視えぬ者よ。汝はおそらく、ただ者ではあるまい。——我は、闇そのもの。夜を統べる者が、夜に生きる汝の飢えを見過ごしては、闇の名折れ。これは施しではなく、夜への“供物”だ。夜の住人たる汝が、夜に代わって受け取るがいい」
「……………………」
フードの影は、たっぷり十秒黙った。警戒と、空腹と、そしてなにか——「こいつ何を言ってるんだ」と「今の言い回し、ちょっと」の間で揺れる沈黙だった。
「……闇、そのもの」
「いかにも」
「…………ふ、ふーん。お前、わかってる方の人間なんだ」
「ほう?」
「べ、別に。……もらってやってもいい。供物なら、仕方ないから」
影は、ひったくるように白パンを取ると、二歩下がってから、齧りついた。一口目は威嚇的に。二口目からは、必死だった。よほど腹が減っていたらしい。
「……時に、夜の同胞よ」
「なに」
「その右腕の篭手。ただの防具ではないな?」
話の接ぎ穂のつもりだった。だが、フードの影は、ぴたりと止まった。
「————分かるのか」
「ふっ。分かるとも。俺の右腕にも“居る”からな。……封印されしものが」
「——!お、お前も……いや、でも、お前のは、どうせ嘘だろ」
「嘘とは何だ。俺は生涯、この設定に一片の嘘も混ぜたことがない」
「せ、設定って自分で言った……」
「言っていない。空耳だ」
フードの奥で、影が、ほんの少しだけ笑った気配がした。警戒の壁の、ほんの表面が、一枚。
「……変な奴。ほんとに、変な奴」
「下で、何を探している」
パンを齧る手が、止まった。
「三層の野営はお前だろう。この状況で単独で潜る。目的があるはずだ。——迷宮の下で、何が起きてる?」
長い、沈黙があった。
やがて影は、パンの最後のひとかけを懐に仕舞って、立ち上がった。
「……“淀み”が、破裂しかけてる。それも、普通じゃない破裂の仕方だ。お前たち、この街の人間なら——あと二日で、逃げる準備をした方がいい」
「二日……!?おい、それはどういう」
「言えるのは、それだけ。……パンは、うまかった」
影は、井戸の縁を蹴って、屋根の上へ跳んだ。身のこなしが、明らかに常人ではない。
そして、屋根の縁で一度だけ振り返り——
「——次の供物は、甘いのがいい」
言い捨てて、夜に消えた。
「…………ふっ」
俺は、あいつが最後に見せた仕草を、思い返していた。あれだけ腹を減らしていて、最後のひとかけは、齧らない。もったいないから、残しておいて、また齧るのだろう。
……ひなたの言った通りの、齧り方だった。
俺は、笑ってしまった。生意気で、警戒心の塊で、変な奴で。——それでいて、危険を教えて行った。根は、良いのだ。あいつは。
宿に戻った俺は、全員を叩き起こした。
「起きろ、お前ら。緊急会議だ」
「んあ……?何よ、こんな時間に……」
「例のフードに会った。——氾濫、Bランクの応援より早く来るぞ。“あと二日”だそうだ」
三人の眠気が、一瞬で消えた。
「……情報の出どころ、信用できるの?」
「わからん。何も読めない相手だ。ただ——」
俺は、窓の外、迷宮のある西の丘を見た。
「あいつは俺たちに、逃げる準備をしろと言った。……嘘をつく理由が、ない」
翌朝一番、俺たちはグスタフさんに全てを報告した。
なお報告の第一声、「刮目されよ支部長。闇夜の邂逅が、深淵の刻限を我にもたらした」と切り出した俺に、グスタフさんは黙って机を指で二回、こつこつと叩いた。
「ハイ!!普通に報告します!!」
机二回で通じるようになった俺も俺である。
支部長は黙って聞き、報告書と俺の顔を交互に見て——机を、拳で打った。
「……よし。信じよう。防衛準備、前倒しだ!!」
街が、動き出した。
——ちなみにひなたの「はじめてのひと用」の白パンは、まだあいつの袋の中で出番を待っている。俺が渡したのは、パン屋のおばちゃんのおまけの方だ。




