第20話 大砲、屋内使用禁止
フォルテの街の西、丘の中腹に、その“穴”はある。
フォルテ迷宮。地下五層の、この街唯一のダンジョンである。魔素の淀みから自然に生まれ、魔物が湧き、倒せば魔石を落とす。冒険者の実入りのいい猟場——のはずが、今は入り口に物々しい検問が立っていた。
「——開門を願おう、番人よ。漆黒の存在と、その一党……四名、深淵の調査に推参した」
「はい?」
「《腐れ縁》、四名。調査依頼で入ります。今のは忘れてください」
「早口の訂正が手慣れてるのよね、この通訳」
「ああ、聞いてる。……例の、が来たか」
検問の職員が、遠い目をした。俺たちの名前は、今日も“例の”付きである。
「現在、三層より下は立ち入り制限中だ。調査範囲は一層と二層。魔物の湧き方、魔素の濃さ、異常があれば記録して戻れ。——戦闘は推奨しない。あくまで“調査”だ」
「了解です」
「(戦闘推奨しないって言われたぞ)」
「(私達に一番向いてる依頼では?逃げ回るの、本業だし)」
「(それもそうか)」
——迷宮の中は、ひんやりと暗かった。
石壁が続く通路に、ぽつぽつと光る苔。空気はしっとり重く、どこか遠くから、水音と、何かの唸り声が反響してくる。
「おお……おおお……!これが、ダンジョン……!」
言っておくが、俺はこの瞬間を十一年待った。前世の十年数か月と、この世界の約一月である。地下迷宮。無限に湧く魔物。深層に眠る秘密。——ここに浪漫がないなら、世界のどこにあるというのか。
俺は、震えた。風呂敷マントの裾が、興奮で揺れた(魔法で揺らした)。
「暗い、狭い、じめじめしてる。最悪の空間ね」
「沙耶、お前は分かっていない。この“闇に抱かれる感覚”こそが——」
「はいはい、闇の眷属眷属。……ほら、行くわよ、眷属様」
「眷属ではない!!俺は闇“そのもの”……眷属を従える側だと、何度言えば!!」
「どっちでもいいのよ、どっちでも」
「よくない!!そこは魂の根幹だが!?」
「ちなみに俺は最初から視えてるから、あんまり暗い感じしないんだよな」
「隼人、お前もか。お前らには浪漫が——」
「けーご、まえ。スライム」
通路の先、ぷるん、と揺れる青い影。——懐かしの、スライムである。
「ふっ、初陣の借りを返す時が来たか。見ていろ、我が闇の——」
ひなたが、無言で黒パンを投げた。スライムは、ぺしゃ、と潰れて魔石を残した。
「終わったぞ」
「俺の雪辱戦!!」
——調査は、順調に進んだ。
そして、順調すぎることが、すでに異常だった。
「……なあ。これで魔石、いくつ目だ?」
「十四個。一層だけで、よ」
沙耶が帳面をめくる。手が止まらない。歩けば魔物に当たる。スライム、コボルト、ゴブリン。どれも弱い。弱いが——多すぎる。
「通常、一層でこの湧きはあり得ないわ。調査資料だと、多くて“半日で五、六体”のはず」
「今、一時間で十四だもんな。……祭りの後の屋台通りより混んでる」
俺は、通路の奥を正面から視た。加護が、いつものように情報を読み上げ——ようとして、妙な引っかかり方をした。
——魔素濃度: 高い。異常に高い。そして“流れて”いる。
「おい。魔素って、流れるものなのか?」
「じいさんの授業だと、“満ちている”ものよ。空気みたいに」
「……これは、満ちているというか、“下から噴いてる”。深いところから、風みたいにね」
「「「…………」」」
全員の顔から、遊びが消えた。下——立ち入り制限中の、三層より先。氾濫の兆候とやらの正体は、たぶん、そこにある。
「調査範囲は二層まで、よ。深追いはなし」
「分かってる。……二層だけ見て、戻るぞ」
——二層は、一層より露骨だった。
湧きが、さらに濃い。コボルトの群れが、俺たちを見ても襲ってこず、何かから逃げるように上へ上へと走っていく。魔物が、魔物の巣から逃げている。
「これ、あれだよな。ボアの主の時と同じ“おかしさ”だよな。ほら、沙耶が言ってたやつ。“なんで居るはずのない場所に居るの”ってやつ」
「魔物は正直だ。下に、よほど居心地の悪い“何か”があるってことだろう」
その時だった。
「——コボルトの群れ、右の脇道からもう一波来ます。挟まれる前に、この広間を抜けてください」
「悪い、助かる——って」
……誰だ、今の。
声のした方を、全員が一斉に見た。
広間の隅、崩れた石柱の陰。フードを目深に被った、小柄な影が立っていた。
フードの縁から、ひと房。——紫の髪。
「————祭りの」
俺は、反射的に視た。加護が、走る。
——状態:【???】
やはり、読めない。傷も嘘も機嫌も、何ひとつ。この世界に来てから、俺の目が通らなかった相手は、こいつだけだ。
「……何。人の顔をじろじろと。無礼な奴」
低めに作った、少年みたいな声。だが俺の観察眼は、別のことを告げていた。小柄な骨格。フードの下の、警戒しきった目つき。そして——生意気な口の利き方。
「これは失礼した、名も知らぬ同輩。忠告に感謝を。……時に、ひとつ聞きたい」
「なに」
「君も“調査”か?見たところ、ギルドの腕章がないが」
フードの影は、一瞬、黙った。
「————関係、ないだろ。僕は僕の用事があるだけだ」
「そうか。ならば、これだけ言っておこう。三層から下は立ち入り制限中だ。この湧き方は普通じゃない。単独で下りるのは、やめておいた方がいい」
「…………忠告、どうも」
影は、身を翻した。そして、あろうことか——制限中の下り階段の方へ、迷いなく歩いていく。
「おい!話を聞いていたか、そこの——」
「けーご、コボルト来た」
「今か!!」
群れの雄叫びが広間に反響し、俺たちは戦闘に呑まれた。
「多い!二十はいるぞ!」
「ん。……撃つ?」
ひなたが、手のひらを群れに向けかけた。全員の血の気が、一斉に引いた。
「「「待て待て待て!!」」」
「ここ屋内!!地下!!撃ったら崩れて全員生き埋めよ!!」
「そっか。ざんねん」
「議事録に書くわ。“大砲は屋外専用”。太字でね」
「俺たちの最終兵器、弱点まで大物のそれなのよな」
危ないところだった。氾濫より先に、俺たちの火力で迷宮が閉鎖されるところだった。
結局、押し寄せるコボルトは、罵倒と黒パンと隼人で捌き切った。顔を上げた時には——
石柱の陰には、もう誰もいなかった。
「……行っちゃったわね。下に」
「追うか?」
「調査範囲は二層まで。それに——私たちの依頼は“報告”よ」
沙耶の言う通りだった。俺たちは湧きの記録と魔石を抱えて、迷宮を出た。
——ギルドへの報告は、騒ぎになった。
「一層で十四、二層で二十三……半日でこの数字は、完全に“氾濫”の初期兆候です」
リタさんの顔が、仕事の顔になっていた。奥から出てきたグスタフさんも、報告書を睨んで唸る。
「魔素が“下から噴いてる”、か。……嫌な報せだ。おい、《腐れ縁》。もうひとつの方も、詳しく聞かせろ」
「もうひとつ?」
「制限区域に勝手に潜った、フード野郎のことだ」
俺は、見たままを話した。小柄。紫の髪。ギルドの腕章なし。そして、迷いなく下へ向かったこと。
「……何者だ、そいつは」
「分かりません。ただ——」
俺は、一拍おいて、正直に言った。
「俺の“眼”が、あいつだけ読めませんでした。今までで、初めてです」
ギルドの空気が、ざらりと変わった。
グスタフさんは腕を組み、低く言った。
「——明日、調査隊を編成する。二層までの実績があるパーティは、続投だ。《腐れ縁》、お前らも入れ」
「了解です。……ちなみに、報酬は」
「危険度“中”の割増だ。心配するな」
「「「「よし」」」」
「返事が早えんだよ、お前らは!!」
——宿への帰り道。夜風の中で、俺はずっと、あの紫の髪のことを考えていた。
読めない相手。迷いのない足取り。あの警戒しきった、生意気な目。
「……気になる?あのフードの子」
「ああ。——何と言うか」
俺は、素直な感想を口にした。
「“点数をつけ損ねた”」
「あんたの気になり方、そればっかりね」
迷宮の底で、何かが動いている。そして、あいつはそこへ一人で向かった。
明日も、潜る。




