第二話 初陣、相手はスライム
空が、青かった。
見たこともない青さだった。——という感動的な書き出しをしたいところだが、現実はこうだった。
「重い! 降りろ! 早くッ!」
神様にまとめて転生された俺たち四人は、見知らぬ草原のど真ん中に、四人まとめて積み重なって落ちていた。ちなみに一番下が俺だ。
「あ、下が圭吾か。じゃあいいや、もうちょっとこのままで」
「よくない。何がいいんだ。降りろって言ってるだろうがぁ……!?」
「動きたくない。あたし、朝ごはんまだ」
「死んでからずっと言ってるなそれ」
全員を引き剥がして立ち上がり——そこで、ようやく気づいた。
見渡す限りの草原。石畳の古い街道。遠くに霞む山脈と、森。頬を撫でる風には、嗅いだことのない甘い匂いが混じっている。
来た。
「……フッ、見ろ、この大地……この風……! 大気に満ちる力の気配……! 我が魂が告げている——ここは、異世界だッ!!」
「そりゃそうでしょ。神様がそう言ってたもの」
「沙耶、お前には浪漫がないのか。この瞬間を何だと思っている」
「浪漫より水と食料よ。私たち、文字通り身ひとつなんだけど」
言われて、全員が自分の体を見下ろした。
所持品、なし。金、なし。武器、なし。スマホ——なし。
「…………なあ。俺のパソコン、今ごろどうなってるかな」
「隼人、その話はもうやめよう。傷が深くなるだけだ」
「中身を知ってる三人が生きてるのが、俺は一番怖いんだよ」
「安心なさい。あなたが死んだ時点で全部バラすから」
「俺まだ生きてる側の扱いなの!?」
とりあえず、街道沿いに歩くことにした。道というものは、どこかの街に繋がっているものだ。
しばらく歩くと、道端に古い石の道標が立っていた。
『グランツ王国 辺境の街フォルテ 徒歩半日』
「読めた」
「読めたわね」
「……読めたな。おい、なんで読めるんだ? どう見ても日本語じゃないぞ、これ」
「神様の雑な仕事にも、最低限の良心はあったってことでしょ」
言語対応済み。ありがたい。あの神、説明はしないくせに仕事はするタイプらしい。
「フォルテまで半日か。……なあ、この“半日”って、誰の足で半日なんだ? 荷馬車と俺たちじゃ全然違うだろ」
「あんたそういうとこ変に鋭いのよね」
歩き出してすぐ、後ろから車輪の音がして、幌付きの馬車が俺たちを追い越していった。
御者の隣には、革鎧を着て大剣を背負った男。幌の隙間からは、杖を抱えた少女がこちらを珍しそうに見ていて、その手元で小さな光の玉が、ぽう、と灯っていた。
魔法だ。今、確かに、魔法だった。
「「「「今の見た!?」」」」
「見た! 光ってた! 詠唱なしで!」
「剣もでかかった。あれ絶対売ったら高い」
「隼人、お前は一回黙ろうか」
興奮する俺たちを、馬車の二人は「田舎から出てきたんだなあ」という生ぬるい目で見送っていった。違う。もっと田舎だ。世界ごと違う。
——と、そこで俺は、重大なことに気づいてしまった。
「……待て。待て待て待て。おい、お前ら」
「何よ」
「今の馬車の二人、人間だったな? つまりこの世界にも人間はいる。……ということはだ。ここは剣と魔法の異世界。ならば当然——」
すう、と息を吸った。
「エルフだとか獣人だとか、そういうエッチな種族がいっぱい居るんだろーーーッ!?」
「叫ぶな!! 街道で!!」
「けーごは今日も元気だねえ」
「誤解するな。これは断じて劣情ではない。異種族との文化的邂逅への、純粋なる知的興奮であって——」
「今エッチなって言った」「言ったわね」「言った」
「言葉のあやだが!?」
「……なあ、ちなみにだけど。実際いるのかな、エルフ」
「隼人、あなた今ちょっと食いついたわね」
「俺のは学術的な興味だよ」
「男子二人、まとめて埋めるわよ」
——と、その時だった。
街道の脇。草むらが、ぷるん、と揺れた。
半透明の、青いゼリー状の塊。大きさはバスケットボールくらい。それが、ぷるぷると震えながらこちらへにじり寄ってくる。
「「「「スライムだーー!!」」」」
四人の声が、初めて完璧に揃った。
「ハッ……ついに来たか、我が初陣……! 異世界の洗礼、最初の刺客……!」
「なあ、あれ触っていい? 溶けるのかな、指」
「隼人、お前はなぜ危険物を見ると触りたがるんだ」
「面白そうだろ」
「待って、二人とも。スライムの倒し方なら知ってるわ」
沙耶が、眼鏡を押し上げ、自信満々に一歩前へ出た。……嫌な予感がした。こいつが自信満々の時は、大抵三百二十八件目だ。
「スライムは体内の『核』を潰せば死ぬの。ゲームでは常識よ」
「ほう。それで、核はどこに?」
「……」
「どこに?」
「…………見えない」
「三百二十八件目ェ!!」
「うるさいわね! 理論は正しいのよ、理論は!」
そうこうしている間にも、スライムはにじり寄ってくる。速度は遅い。遅いが、こちらには武器がない。
こういう時こそ、あれだ。
「ふっ……仕方あるまい。ここは俺の秘められし力を解放する時……我が右腕に眠りし、漆黒の——」
「出るの? それ」
「——契約の炎よ、疾く集いて敵を穿てッ!」
「……」
「…………」
「………………」
何も、出なかった。
「出ないじゃない」
「おかしい。詠唱は完璧だったはずだがぁ……!?」
「圭吾、たぶんあれだ。詠唱の前に、そもそも魔法の使い方を習ってない」
「ぐ……正論を……この俺に、正論を……!」
「はいはいどいて。——というわけで、誰か囮になって。その隙に後ろから石で潰すから」
「お前の作戦は昔から人身御供が前提なんだよ」
「適任は圭吾よね。一番うるさいから狙われやすい」
「俺も圭吾に一票。今なら囮じゃなくて主人公っぽく死ねるぞ。よかったな」
「お前らってマジで俺を売る時だけ団結するよな」
——と、俺たちが醜い押し付け合いを繰り広げていた、その時。
ひなたが、すっ、とスライムの前にしゃがみ込んだ。
「ねえ、これって……食べられるのかな」
じゅる、と音がした。ひなたの口元からだった。
その瞬間。
スライムが、びたっ、と動きを止めた。
そして——ぷるぷるぷるぷるっ!! と今までの三倍速で震えたかと思うと、ものすごい速さで草むらの奥へ逃げていった。
「…………」
「…………」
「あ。逃げちゃった」
ひなたが、心底残念そうに言った。
「……今の、何?」
「スライムにも、命の危機ってものが分かるんじゃないか」
「野生の勘ってやつね」
俺たちは深く考えないことにした。考えたら負けな気がした。
※後から思えば、この時もう少し真剣に考えるべきだった。
気を取り直して、街道を歩く。日が傾き始めた頃、話題は自然と今後のことになった。
「着いたらまず金だな。売れるものが何もない」
「働くのよ、私たち。ゲームで言えば、まずは冒険者ギルドね」
「ギルド……ギルドか……ふっ、ならば必要になるな。我らの——パーティ名が」
「嫌な予感しかしない」
「安心しろ。候補はもう考えてある。三百ほど」
「名乗りの三百と合わせて六百!? あんたの脳の容量ほんっとにそればっかりね!?」
「よし、聞け。まず第一候補——」
「着いてから聞く」「着いてからでいいわ」「あたしは一生聞かなくていい」
「お前らァッ!!」
——そんなやり取りをしているうちに。
街道の先に、それは見えてきた。
夕日を受けて赤く染まる、石造りの城壁。固く閉ざされる前の、大きな門。行き交う馬車と、剣を提げた旅人たち。門の上には、この国のものらしい旗が翻っている。
異世界の、街だ。
「おお……!」
さすがに、四人揃って足が止まった。テンションの低い三人ですら、これには声が出た。
門の前まで来ると、槍を持った門番が俺たちを見て、怪訝な顔をした。まあ、そうだろう。旅装も荷物もない四人組だ。
「止まれ。……見ない顔だな。どこから来た? 代表者は誰だ」
「「「こいつです」」」
三本の指が、一斉に俺を指した。
「お前らそれ、神様の前でもやったな!?」
門番は、俺たちを上から下まで、じっくりと眺めた。当然だ。汚れひとつない妙な服。荷物なし。武器なし。金なし。怪しさの見本市である。
「……身分証は」
「ないです」
「荷物は」
「ないです」
「どこから来た」
「「「「…………遠くから」」」」
「怪しすぎるだろ」
ごもっとも。門番の目がどんどん剣呑になっていく。槍を持ち直す、嫌な音がした。
——と、門番は俺たちの身なりをもう一度見て、ふと眉を緩めた。
「……ああ、そうか。お前ら、追い剥ぎにやられたクチか。この街道、たまに出るんだ」
出た——! 勝手にいい感じの解釈をしてくれる、話の分かる大人!
(乗れ……! 全員、その解釈に乗れ……!)
俺たちは目配せし合った。以心伝心。十年の絆は伊達ではない。
「そ、そうなんです! 実は私たち、隣の……えーと、大きな街から来た商家の子女でして! 馬車ごと襲われて、従者は散り散り、積み荷の宝石も反物も何もかも奪われ——」
「盛るな盛るな盛るな!!」
「……商家の子女? そこの男二人もか?」
「三百二十九件目」
「数えるのやめてくれる!?」
「門番さん。こいつの話は全部嘘です。俺たちは何も持ってないし、何者でもないです」
「隼人、お前は売るのが早いんだよ!! せめてもう少し泳がせろ!?」
「泳がせた先に何があったんだよ、今の」
門番は、こめかみを押さえて長いため息をついた。
「……あー、もういい。分かった。何も分からんことだけは分かった。……で? この街に何の用だ」
「冒険者ギルドに登録を! 俺たち、冒険者になりに来た者です!」
ここぞとばかりに俺は言った。本日一番まともな発言だったと思う。
「ギルド志望か。なら、それを先に言え」
門番は詰所から木の札を四枚持ってくると、俺たちに一枚ずつ押し付けた。
「仮札だ。三日以内にギルドで正式に登録しろ。ギルドが身元を引き受ければ、この街の客人扱いになる。登録できなければ——出て行ってもらう。いいな」
「「「「はい」」」」
「……返事だけは揃っていて気持ち悪いな、お前ら」
なるほど。辺境の街は人手不足で、冒険者の卵には門が広いらしい。ありがたい制度だ。主に、俺たちみたいな「何者でもない」連中に。
こうして俺たちは、日暮れ前の門をくぐった。
石畳の大通り。パンと肉の焼ける匂い。魔法の灯りがともり始めた露店の並び。
そして、行き交う人の中に——居た。
髭を三つ編みにした、樽みたいな体格の男。頭の上で犬の耳をぴこぴこ動かしている、女の冒険者。露店の奥には、木彫りの人形みたいに整った顔の、長い耳の店主。
ドワーフ。獣人。エルフ。物語の中でしか知らなかった住人たちが、当たり前の顔で夕方の買い物をしていた。
「居た————ッッ!! 本当に居たぞ、お前ら!!」
「叫ぶな!! 街道から数えて二回目よ!!」
「見ろ、あの耳! あの髭! ファンタジーが歩いてる!!」
「あんたの声が今、この通りで一番ファンタジーより目立ってるのよ」
ちなみに、犬耳のお姉さんの方へ吸い寄せられかけた俺の襟首は、沙耶が無言で確保した。紳士の出番は、まだ先らしい。
そして、大通りの先にひときわ大きく掲げられた、剣と盾の看板——
「冒険者ギルド」
その六文字を見上げて、俺は拳を握りしめた。
「ふ……ふふ……来たぞ……俺たちの物語が、ここから始まる……!」
「その前にごはん」
「その前に宿だ」
「その前にお金でしょ。……ね、誰か売れそうなもの持ってない?」
三人の視線が、ゆっくりと俺に集まった。
「俺を見るな」
To be continued——してたまるか、まだ何も始まってない。




