第一話 死因、誰も覚えてない
気がつくと、真っ白な空間に立っていた。
床も壁も、継ぎ目ひとつない白。どこまでが床で、どこからが空なのかも分からない。
「……来た」
俺は、震える拳を握りしめた。
「ついに来たか、この日が……! 見ろ、この白、この無限の静寂! 明らかに現世ではない! ここが魂の中継点——すなわち≪狭間≫!」
「出た。けーごの発作」
嫌というほど見慣れた顔が三つ、実に嫌そうな目でこちらを見ていた。
隼人、沙耶、ひなた。俺を入れて四人。付き合いは十年を超える、ただの腐れ縁だ。
「発作ではない。予習だ。俺はこの日のために十年、あらゆる転生パターンを研究してきた」
「その十年を資格の勉強に使いなさいよ」
「沙耶。俺の記憶が正しければ、お前は資格の勉強を三日で投げたはずだがぁ?」
「勉強してる記憶を最後に死んでるの。美談にさせなさいよ」
「なあ、それより重要なことに気づいたんだけど」
隼人が静かに手を挙げた。明るい茶の短髪に、いつもうっすら笑っているキツネ目。こいつがこの顔をしている時は、大抵ろくなことを考えていない。
「俺たち死んだんだろ? ってことはこの後、お詫びのチートが出る。……あれって、人数分出るのかな」
「出るだろうな。それが?」
「一人が四人分もらう、って交渉はできないかなと」
「お前は今、この流れで三人を売る算段をしたな???」
「売ってない。効率化しただけだ。お前らが使うより、俺が使った方がいい」
「ねえ」
小柄な体で栗色の癖っ毛を揺らして、ひなたがのんびり手を挙げた。
「お腹すいた」
「魂になってもお前はお前だな……」
「でも実際、なんで死んだの? 私たち」
沙耶の一言で、全員が黙った。
……誰も、覚えていなかった。死の瞬間どころか、その日に何があったのかすら。
「まさか」
黒のロングストレートを揺らし、眼鏡の奥の目をすがめて、沙耶が真っ先に口を開いた。
「隼人、あなた何かしたでしょ」
「は? なんで俺なんだよ」
「日頃の行い」
「言ったな。じゃあ俺は圭吾に賭ける。中二病こじらせて、変な儀式でもやったんだろ」
「心外だな。俺の儀式は安全性を最優先している」
「やってはいるんだ……」
「あたしは、ひなたじゃないと思う」
「お前だけ自分を除外するな」
「待て、整理しよう。ちなみに俺の最後の記憶はコンビニだ。新作の唐揚げ棒を買っていた」
「私は勉強」
「俺は家でネット」
「何を見てたかは、聞かないでおくよ」
「助かる」
「あたしは二度寝の途中」
「…………おい、待て。全員、別々の場所にいたな?」
沈黙が落ちた。
別々の場所にいた四人が、同時に死ぬ。そんな都合のいい災害があるか?
「つまり、なすりつけ先がいない……ってこと!?」
「お前の心配はそこなのか」
そのときだった。
白い空間の中心が、金色に染まった。光の柱が立ち、その中から人影が現れる。
『——迷える四つの魂よ』
「「「こいつのせいです」」」
三本の指が、一斉に俺を指した。
「お前ら、仲間を売るにしても早すぎるだろ!!」
神は、それには何も答えなかった。長い衣。性別も年齢も測らせない佇まい。目が合っただけで背筋が伸びる、静かな威圧感。
つまり——本物だ。
「ハッ!?…素晴らしい……素晴らしいぞ! 御身こそ輪廻の支配者、時の紡ぎ手! この日のために、俺は名乗りを三百ほど用意して——」
「静かにさせます」
沙耶が俺の口を塞いだ。解せない。最大級の敬意なのに。ついでに、右目を隠していた前髪まで無造作に払われた。人の封印を何だと思っているのか。
『我は輪廻の管理者、サンサーラ。汝らの魂を、次なる世界へと導く者である』
『これより転生の手続きを行う。一名ずつ、生前の記録を確認する』
神は手元に、光でできた帳簿のようなものを広げた。こうして始まった。人生で——いや、人生後で最も奇妙な、神様との事務手続きが。
『——隼人。特記事項。閲覧履歴に、公開に適さぬ記録が多数』
「おい」
「知ってた」
「知ってたね」
「……なあ、俺いま、家に残してきたパソコンのことを考えて泣きそうになってる」
「遺品整理で全部バレるわね」
「俺を殺した犯人、絶対に許さねえ……」
『——沙耶。特記事項。「品行方正な自分」を演出しようとして空回りした記録、三百二十七件』
「多くない!? っていうか演出て何よ、素よ!」
『素ではない、と記録されている』
「帳簿に反論された……」
「三百二十七……」
「圭吾、数を復唱しないで」
『——ひなた』
神が、手を止めた。帳簿を見て、ひなたを見て、もう一度帳簿を見た。
神が、二度見をした。
『……魂の器に、規格外の数値が記録されている』
「あー。あたし、大食いだから」
『そういう記録ではない』
「じゃあいいや」
「お前は少しくらい自分に興味を持て」
『——圭吾。特記事項、二件。「淑女の観察」に関する独自の哲学体系を構築。および、設定資料——ノート二十六冊分』
「ふっ……よくぞ見抜いた。それこそ我が魂の書……!」
「恥という感情を現世に置いてきたのか、お前は」
「なお一件目について弁明しておこう。紳士とは、淑女のわずかな変化に気づける者のことだ。髪型、指先、歩幅。観察とは敬意。ゆえに俺は生涯、視線より先に指一本動かしたことはない」
「動かしたら埋める」
「沙耶、紳士への口の利き方ではないな、それは」
『……記録の確認を終える前に、補足がある』
神は帳簿をめくる手を止めて、初めて、俺たち四人をまとめて見た。
『汝らが互いを売った記録——通算、一万四千二十件』
「多っ」
「まあ、日常だからな」
『そして』
神は、静かに続けた。
『互いを庇った記録も——同数ある』
「…………」
「…………」
なんとも言えない沈黙が流れた。妙にむず痒い。誰も、誰とも目を合わせなかった。
「……その帳簿、壊れてるんじゃないですか」
「そうそう。集計ミスですって」
『帳簿は、壊れない』
『続いて、転生に際し汝らへ加護を授ける。希望はあるか』
「一番強いやつ。あと、売れるやつ」
「加護を換金しようとするな」
「私は皆より少し多め——ではなくて、最も有益な知識を」
「今、本音が漏れたな」
「おいしいものが見つかるやつ」
『……検討する』
神がひなたの扱いを覚え始めている。学習が早い。
「では——俺の番だな」
静かに一歩前へ出る。落ち着け。この瞬間を、俺は十年待った。
「我が右腕に眠りし、漆黒の——」
「はい却下」
「却下で」
「かっきゃー」
「お前ら、せめて神の返答を待て!」
『却下する』
「神まで!?」
「じゃっ、じゃあ…………」
俺は一泊置いた。
「……変態紳士の加護だッ!」
三人が、無言で一歩ずつ俺から離れた。
『…………』
神は、なぜか少しの間、沈黙した。
『——検討する』
「そっちは検討するのかよ」
「ふっ。神は分かっておられる」
「分かっててほしくなかった」
ちなみに加護の詳細は、全員まとめて「着いてからのお楽しみ」となった。希望を聞いた意味とは。神は説明が雑だった。
『……では、最後に』
一通りの手続きが終わったところで、俺は、最初から引っかかっていたことを聞いた。
「そもそも、なぜ俺たちは四人まとめてなんだ? 転生とは本来、一人ずつ執り行われる神聖な儀式のはず——」
『汝らの魂は、絡まっていた』
「絡まる!?」
「魂って絡まるものなの!?」
『四つの魂が固く絡まり合い、いかなる術をもってしても、分離できなかった。ゆえに、一括で処理した』
「処理て」
「雑ゥ!」
「フフッ、パソコンのフォルダ整理のようだ……隼人……お前ならよぉく分かるよなぁ……?」
「それ以上はダメだ、圭吾」
神は、俺たちの低レベルな応酬を完全に無視した。——ただ。
俺は見ていた。『一括で処理した』と口にしたあの一瞬、神が何かを言いよどんだように見えたのを。
まあ、気のせいだろう。神様も事務作業で疲れるのかもしれない。
『これより汝らを、剣と魔法の世界へと送る。……ひとつだけ、教えておこう』
神が、帳簿を閉じて俺たちを見た。
『かの世界では——絆は、力である』
「……絆」
「きずな……」
俺たちは、互いの顔を見合わせた。
ついさっき、神の前で互いを売り合った、四人の顔を。
「「「「詰んだのでは???」」」」
『着けば分かる』
だから説明が雑なんだよ。
足元に、光の紋様が広がっていく。ひなたが「わ、きれい」と目を細め、隼人が「なあ、この魔法陣も売れるかな」と最後までクズであり、沙耶が「待って、心の準備——」と今さらなことを叫ぶ。
光が視界を白く塗りつぶしていく、その間際。
神が、小さく呟くのが聞こえた。
『——どうか、絡まったままで在れ』
「……え、なんて?」
答えはなかった。
俺たち四人はまとめて光に呑まれ——そのまま、異世界に落ちた。




