第18話 遊び歌と帳簿の神様
その日は、朝から雨だった。
外仕事の依頼が軒並み流れ、掲示板に残っていたのは、一枚きり。
『サンサーラ教会より。炊き出しと雑務の手伝い。報酬、銅貨40枚と昼食付き』
「昼食付き」
「ひなたが取った。もう取った」
——というわけで、俺たちは教会に来ていた。
フォルテのサンサーラ教会は、街の東の、こぢんまりした石造りの聖堂だった。雨の日は、行き場のない者たちに炊き出しをするのだという。俺たちの仕事は、薪割り、鍋運び、配膳、そして子供の相手である。
聖堂に入って、まず俺たちの足が止まった。
正面の祭壇に、立像があった。長い衣。目を閉じた、性別のわからない顔立ち。そして、その腕に抱えられた——分厚い、帳簿。
「「「「…………」」」」
「見覚えしか、ないわね」
「うん。まんま、あの人……あの神?だな」
サンサーラ像である。似ている。というか、本人である。あの白い空間で、俺たちの閲覧履歴やら空回り記録やらを読み上げた、あの帳簿まで完全再現されていた。
「ようこそ、冒険者さん。今日は助かります」
出迎えてくれたのは、年配のシスターだった。ふくふくとした、優しそうな人である。
俺は、風呂敷マントの裾をさばき、恭しく一礼した。
「お招きに感謝を、聖堂の御母よ。本日、この“漆黒”があなたの白き殿にまかり越したのは、他でもない——」
「炊き出しの手伝いです」
「銅貨40枚と昼食付きの」
「あらあらまあまあ。元気な子たちねえ」
シスターは全部まとめて受け流した。教会は、懐が深い。
「なあ。あれ、賽銭とか要るのか?拝んどくべきか?」
「拝んでおきなさいよ。実際お世話になったんだから」
俺たちは、なんとなく像の前に並んで、手を合わせた。転生させてもらった恩はある。加護ももらった。文句——は、まあ、多少あるが。
「(あの節はどうも。加護、活用しています)」
「(変態紳士の加護の名称、やっぱり訂正できませんか)」
「(はらぺこの、おかわりください)」
「(閲覧履歴の件、帳簿から消せません?)」
拝んでいる内容が、全員煩悩だった。像は、目を閉じたまま何も言わなかった。当然である。
「あの、シスター。この像って」
「サンサーラ様ですよ。輪廻の管理者様。……あら、興味がおあり?」
「ええ、まあ。その、割と最近、お世話になったもので」
「まあまあ、信心深いこと」
違う。信心ではなく、実体験なのだが——
「実際に会ったんですよ、俺たち。転生の時に。その帳簿、実物はもっと光ってました」
「あらあらあら」
シスターは、ころころと笑った。
「いい子ねえ。そういう空想を大事にする子は、サンサーラ様に愛されますよ」
「(信じてもらえん)」
「(でしょうね。実例は伝承の中だけ、って世界だもの)」
「(正直に言っても空想扱いって、逆に楽でいいわね)」
教義曰く——魂は巡る。前の生も、次の生も、繋がっている。転生は教義の上では“ありうる話”だが、実際に転生者に会ったことのある人間は、いない。だから俺たちが何を言っても、微笑ましい空想で処理される。……まあ、都合がいいので、そういうことにしておく。
——炊き出しは、盛況だった。
ちなみに配膳開始の直前、寄付の箱をじっと見つめる隼人が発見され、全員で回収した。
「数えてただけだって。中身をどうこうする気はねえよ」
「教会で銭を数える顔じゃなかったのよ、今の」
「罰当たりの顔してたぞ」
「ん。ばちあたりのかお」
「お前らの俺への信用どうなってんの」
ひなたが配膳に立つと、なぜか列の回りが早くなった(「あの子が横にいると、うまそうに見える」と評判だった)。沙耶は帳簿——教会の在庫台帳を、頼まれてもいないのに整理し始め、シスターに拝まれた。隼人は薪割りの速さで子供たちのヒーローになり、俺は——
「ねえねえ、マントのにいちゃん、それなに?」
「ふっ……よくぞ聞いた。これは“漆黒の——”」
「ふろしきだ!」
「うらに“とくばい”ってかいてある!!」
「目ざといな!?……いいか、小さき者たちよ、これは“特売”と読むのではない。古の文字で“トク・バイ”——すなわち“二重の徳”を意味する聖句であって」
「うそだー!!」
「うそではない!!(うそである)」
子供たちの玩具になっていた。
だが、玩具には玩具の意地がある。俺は薪の山の上に立ち、風呂敷を翻して宣言した。
「よかろう、小さき同胞たちよ!特別に見せてやる——我が闇の力、その一端を!!」
「「「おおーっ!!」」」
「往くぞ……冥府の淵より這い出でし影よ、我が意に従い——躍れッ!!」
足元の影が、ぴくり、と小指の先ほど動いた。
「「「…………」」」
「今の見たか!!影が!動いただろう!!」
「うごいてない」
「みえなかった」
「にいちゃん、くちじょうずのざこだ」
「口上手の雑魚!?お前ら容赦がないな!?」
なお、その日の夕方には、子供たちの間で「くちじょうずのざこごっこ」が流行した。全員が俺の口上を完璧に暗唱していた。子供の記憶力は、使いどころを間違えている。
「めいふのふちよりはいいでしーかげよー」
「発音まで完コピしなくていい!!」
そして、雨上がりの中庭で、子供たちが遊び始めた時だった。
石畳の上で、女の子たちが手を繋いで、輪になって回る。古い、数え歌のような節回しで——歌が、聞こえてきた。
「——むすんで、むすんで、なないろのいと」
「とけたらおしまい、よるのそこ」
「からまりしものは、といてはならぬ」
「といたらだれかが、ないている——」
……ん?
俺は、配膳の手を止めた。
「シスター。あの歌は?」
「ああ、“糸むすび”の歌ですね。この辺りの子は、みんなあれで輪遊びを覚えるんですよ。古い古い、お祖母ちゃんのそのまた昔からある歌で」
「“絡まりしものは、解いてはならぬ”……」
「ええ。教会の古い書き付けにも、同じ文句があるんですよ。意味は、まあ——“ご縁を粗末にするな”ということでしょうねえ」
絡まりしものは、解いてはならぬ。
——どうか、絡まったままで在れ。
一瞬、あの白い空間の、去り際の呟きが、頭をよぎった。
……いや。考えすぎだろう。縁を大事にしろという説教と、事務の雑な神様の呟きだ。似ているといえば似ているが、それだけの話で——
子供たちは、何度も同じ節を繰り返した。むすんで、むすんで。とけたらおしまい。単純な旋律なのに、一度耳に入ると、妙に頭から離れない。
——といたら、だれかが、ないている。
誰が、泣くのだろうな。ふと、そんなことを思った。縁を解いたら泣くのは、解かれた側か。解いた側か。それとも——
「けーご。手が止まってる。おかわりの列、来てる」
「おっと。すまん」
俺は、思考を打ち切って、鍋に向き直った。子供たちの歌は、まだ続いている。むすんで、むすんで、なないろのいと。
——夕方。仕事を終えた俺たちに、シスターは焼き菓子を持たせてくれた。
「またいらっしゃいね。サンサーラ様は、よく働く子がお好きよ」
「どうですかね。俺たちの記録、悪行の方が多かったですけど」
「あらあら。……でもね、冒険者さん」
シスターは、にこにこと言った。
「悪さの数だけ、庇い合った数がある子は、サンサーラ様の一等のお気に入りなんですって。昔の書き付けの、受け売りですけどね」
「「「「…………」」」」
俺たちは、顔を見合わせた。
——売った記録、一万四千二十件。庇った記録も、同数。
「……その書き付け、誰が書いたんです?」
「さあ?昔々の、どなたかでしょうねえ」
教会を出ると、雨上がりの空に、夕焼けが広がっていた。
「なあ。今の、偶然だよな」
「偶然でしょ。偶然じゃなかったら、何だって言うのよ」
「ん。おかし、おいしい」
「お前は平常運転だな」
「ま、なんにせよ——雨の日の銅貨40枚と昼飯にしては、いい一日だったんじゃない?」
「ん。スープ、三杯もらった」
「配膳係が一番食べてどうするのよ」
ちなみに帰り際、俺はシスターに「また闇の力が必要になったら、いつでも呼ぶがいい」と告げ、「あらあら、次は薪割りをお願いね」と完璧に等価交換された。教会、強い。
偶然。偶然、ということにしておく。
ただ、帰り道——俺は一度だけ、聖堂を振り返った。帳簿を抱えた神様は、目を閉じたまま、何も言わなかった。
あの雑な神様が、何を記録して、何を待っているのか。俺たちはまだ、何も知らない。




