第17話 世界は広い、財布は狭い
迷宮の調査が始まるまで、数日の間があった。
ギルドが調査隊の体制を組み、王都に応援を要請し、許可やら何やらを整える間——Dランクの日常は、普通に続く。本日の依頼は、行商馬車の護衛。フォルテから東の宿場町まで、往復二日の旅である。
受注の時、リタさんは依頼票を渡しながら、祈るように言った。
「Dランクになって最初の依頼です。いいですか、皆さん。護衛は“何も起きなかった”が満点のお仕事です。ですから、どうか——静かに」
「案ずるな、受付の乙女よ。我らが往くは沈黙の道。影は語らず、風は騒がず——」
「圭吾さん?」
リタさんの声が、半音、低くなった。
「ハイ!!静かにします!!」
「静かに、が一番苦手な四人に言いますか、それ」
「言うだけ言わせてください。台帳のために……」
「Dランク様のご一行、よろしく頼むよ」
依頼主は、陽気な行商のおっちゃんだった。幌馬車の荷台には、フォルテの魔石と毛皮がぎっしり積んである。
「護衛は初めてかい?」
「ふっ……“初”という言葉は正確ではないな。我らは常に、何かの最初を生きている。だが安心されよ、隊商の主。汝の荷は、我が千里の眼が影より守護する」
「……兄ちゃん、芝居の一座の人かい?」
「冒険者です。すみません、こういう人なんです」
「初めてです。手順に不備があれば言ってください、って言いたいのよ、彼は」
「おっ、通訳が丁寧だねえ。……ん?あんたら、もしかして例の」
「その呼び名、東の宿場町まで届いてます?」
「届いてるよ!森の主を狩った新人だろ?いやあ、頼もしいねえ!」
俺たちの悪名——もとい勇名は、街道を伝って歩くらしい。
——護衛の旅は、のどかだった。おおむね。
最初のウルフは、街道を半日ほど行った林の際で出た。三頭。荷馬車の匂いに釣られたらしい。
「敵影、左の茂み。三。——危険度、低。通常営業で頼む」
「あいよ」
「ん」
ゴッ、ゴッ。荷台から放たれた黒パンが二頭の鼻面を撃ち抜き、怯んだ最後の一頭は、隼人が剣の腹で軽くいなして追い払った。開戦から終戦まで、およそ四十秒。俺と沙耶に至っては、一歩も動いていない。
「ちなみにご隊商の主よ、解説しよう。俺たちの戦闘は単純だ。大抵の敵は、パンと隼人で終わる。群れやデカブツで俺たちにまで火の粉が来る時だけ、罵倒を開始。それでも駄目な大物は——」
「お財布と相談よ」
「…………あんたら、ほんとに“例の”なんだねえ」
御者台のおっちゃんが、拍手とも困惑ともつかない顔で言った。
「今の、護衛って言うのかい?パンが狼を撃ち落としていったよ」
「弊パーティの通常営業です」
「罵倒って何だい?聞くのが怖いけど」
「聞かない方が幸せです」
「世も末だねえ!」
街道をごとごとと進む馬車。隼人が御者台の隣で周囲を警戒し、俺が加護で先の様子を視て、沙耶とひなたが荷台で装備の点検をする。ウルフが二度出たが、どちらも黒パンと隼人で片付いた。Dランクの仕事は、こうでなくては。
そして、旅の醍醐味は——おっちゃんの土産話だった。
「おっちゃんは、どこまで行ったことあるんです?」
「そりゃもう、あちこちさ。王都ヴェルナだろ、港のハーヴェンだろ……ああ、ハーヴェンはいいぞぉ。大陸中の飯が集まる。年に一度の大市なんか、通りの端から端まで全部屋台だ」
がたっ、と荷台で音がした。ひなたが、身を乗り出していた。
「……全部、屋台」
「おう。エルフの果実酒、ドワーフの燻製、南の島の香辛料——嬢ちゃん、食うの好きか?なら一度は行きな、ハーヴェン」
「いく。ぜったい、いく」
「旅程が今、食欲で決まった」
おっちゃんは笑って、懐から古びた地図を広げてくれた。羊皮紙に描かれた、大陸の姿。俺たちが、初めて見る“世界の全体図”だった。
「ふおおおお……!!」
地図を前に、俺は震えた。これが、この世界の全貌。俺たちがまだ知らない、山と、海と、森と、国々。
「見ろ、お前ら!大陸の形が視えたということは——俺たちの物語の“舞台”が視えたということだ!ここも、ここも、いずれ我らが踏破する地!!」
「地図見て興奮できるの、ある意味才能よね」
「ロマンだろ。分かるよ、俺は」
「隼人は分かるんだ」
「だって地図ってさ、“まだ稼いでない金”が描いてあるようなもんだろ」
「お前の浪漫は換金レートがついてるんだよ」
「ここがフォルテ。王都はここ。で、北はずーっと行くと……ここから先は、魔領だ」
「魔領」
地図の北の端。山脈の向こうに、色の塗られていない広い領域があった。
「魔族の国、ですか」
「そうさ。ま、行くこたぁないよ。休戦してるっていっても、国交はない。北の山を越える隊商なんて、もういやしない」
「ふうん……」
俺は、その空白の領域を、じっと見た。地図に描かれない場所。行った者が帰らない場所。——心のノートの「いつか行く場所」の欄が、勝手に増えていく。
「あんた、今“行きたい”って顔したね?」
「してない(した)」
「顔に出てるのよ、あんたは」
——夕方、宿場町に着いた。
荷を下ろし、宿を取り、夕飯は名物だという川魚の塩焼きだった。囲炉裏で串に刺さって焼かれる魚を前に、ひなたの喉が、ごくり、と鳴る。
「ん。……三本」
「二本まで。予算」
「…………二本」
「偉いわ。成長よ、それ」
最終兵器が、涙を呑んで二本で我慢した。俺たちの経理は今日も鉄壁である。
ちなみに宿の看板娘さんが酌に来てくれた時、俺は姿勢を正して「その髪留めの職人の腕、実に——」まで言ったところで、沙耶に襟首を確保された。
「採点前に回収。はい、おやすみなさい」
「まだ何も言ってないだろう!?」
「言う前に止めるのが、一番安いのよ」
経理は、俺の紳士活動まで経費管理し始めていた。
——宿場町で荷を下ろし、翌日の帰り道。
おっちゃんは、ぽつりと言った。
「しかし、あれだね。あんたらみたいな若いのが育ってくれると、助かるよ。……最近、物騒でね」
「物騒?」
「北から来る隊商が、めっきり減った。山向こうと細々やってた連中も、今年はさっぱりだ。……それに、ほら、フォルテの迷宮も荒れてるって言うだろ?なんだか、世の中の底の方が、ざわざわしてる気がしてさ」
世の中の底の方が、ざわざわしてる。
商人の勘、というやつだろうか。俺の加護は何も視ていないのに、その言葉だけが、妙に残った。
「……まあ!生きてりゃなんとかなるか!あんたらも、稼ぎな稼ぎな!」
「はい。——あ、ちなみに護衛の報酬って、宿場町の名物代は含まれます?」
「含まれないよ!?」
護衛依頼、無事完了。報酬は銀貨1枚と、おっちゃんのおまけの干し果物。
帰りの街道で、夕日を見ながら、隼人が伸びをした。
「世界、広いなあ」
「ああ。……広いな」
「なあ、行きたい場所、決めとこうぜ。目標があると働けるだろ」
言い出しっぺの隼人から、順番に挙げていくことになった。
「俺はハーヴェンだな。港町、大市、大金が動く場所——胴元の匂いがする」
「目的が汚い。私は王都ヴェルナね。大聖堂と、あと大きな書庫があるらしいわ。学びたいじゃない、色々」
「優等生の演出、旅先でもやるんだ」
「演出じゃないわよ!!」
「ぜんぶ、いく。ぜんぶ、たべる」
「ひなたは安定だな。……俺か?俺は決まっている」
夕日に向かって、俺は風呂敷マントを翻した。裏の“特売”が、茜色に輝いた。
「魔領。そして——地図に描かれぬ、名もなき廃墟。世界の空白にこそ、我が魂は呼ばれている」
「はいはい」
「流すな!お前ら、いつか俺に感謝することになるぞ。“あの時ついて来てよかった”と!」
「その台詞、行き先が観光地なら素直に聞けるのよね」
「ひなたの目標が一番わかりやすいわね。——ま、その前に」
沙耶が、帳面をぱたんと閉じた。
「まずは目の前の迷宮、よね」
フォルテの城壁が、夕日の向こうに見えてきた。俺たちの街。俺たちの、最初の街。
門では、いつもの門番さんが手を挙げて迎えてくれた。
「おう、《腐れ縁》。初護衛はどうだった」
「何も起きませんでした(狼三頭を除く)」
「括弧の中身が聞こえてるんだよなあ」
世界は広い。財布は狭い。だが、時間だけは、たっぷりある。




