第169話 呼び名会議
深刻な話が続いたので、記録しておく。この時期、俺たちの間で一番もめた議題は————呼び名、である。
「議題!!“ヴィクトリアを、今後なんと呼ぶか”!!」
夕飯後の頂の間。議長は、経理。板書は、俺。当事者は、居心地悪そうに、茶をすすっていた。
「べ、別に、今まで通りでいいだろ。ヴィクで」
「駄目よ。せっかく本名を教えてもらったのに、使わないのは、それはそれで失礼な気がするの。候補を挙げます。一番、ヴィクトリア(フルネーム)」
「長い」
「長いのよね。戦闘中に叫ぶと、二拍かかるわ」
「「却下」」
「二番、トリア(後ろ取り)」
「な、なんか、別人みたいだ……」
「三番、ヴィー」
「酒場のあだ名っぽいわね」
「発案者として、追加候補を出す。“紫紺の姫将軍”」
「呼び名の話をしてるんだが?」
「では“夜統べる者”」
「二つ名の話になってるぞ」
「“V”」
「暗号か」
却下の速度が、回を追うごとに上がっていく。
「ん。“ゔぃっちゃん”」
「「「「!?」」」」
「か、可愛いけど!!可愛いけど、威厳がどこかへ家出するわね!!」
「い、いいだろ別に!!却下だ却下!!……い、いや、却下だが、ひなたが個人的に呼ぶ分には————べ、別に」
「(あ、まんざらでもない)」
「五番、ヴィッキー」
「西の商人みがあるのよ」
「六番、リア」
「誰だ」
「最後、姫」
「や、やめろ!!鳥肌が立つ!!」
『あら、里の皆は呼んでるわよ。姫様って』
「里はいいんだ、里は!!お前たちに呼ばれると、背中がかゆい!!」
議論は白熱し、投票となった。
「投票の前に、本人の希望は」
「……ヴィクで。理由は————皆が、半年、そう呼んでくれた名前だから」
「「「「(それを先に言いなさいよ)」」」」
結果は————
「満場一致。“ヴィク”続投」
「……ふ。ふん。最初からそう言ってる」
「ただし!!」
沙耶が、指を立てた。
「“ここぞ”の時は、フルネームで呼ぶこと。勝負服と同じ扱いよ。本名はね、とっておきの日のために、あるんだから」
「……ん。それで、いい。それが、いい」
当事者の批准を得て、議題は可決された。ちなみに議事録の隅に、ひなたが『ヴィクは、ヴィク。まえから、ずっと』と書き足していた。真理である。
なお、この会議には、次点の議題もあった。
「続いて第二議題。“ヴェイルさんの呼び方”」
『あら、私?』
「現状、呼び方がばらばらなのよ。私は“ヴェイルさん”、圭吾は“姉君”、ひなたは“おねえさん”、隼人は————」
「“姉貴の姉貴”」
「経由地を挟むな」
『ふふ。何でもいいわよ。五年ぶりに、呼び名が増えていくの、悪くないもの』
結果、各自ばらばらのまま「全部正解」で可決された。当家の会議は、たまに、何も決めない。
——会議のあと、俺は、当事者に呼び止められた。
「なあ、圭吾。……お前、名乗りの夜から、一度も“ヴィクトリア”って、私に呼びかけないな。名簿では読み上げたくせに。皆は試しに呼んだのに、お前だけ」
「ほう。気づいたか」
「気づく。……な、なんでだ。呼び方が、分からないのか」
「逆だ。温存している」
「温存?」
俺は、大灯の光を見ながら、答えた。
「フルネームは、ここぞの日のためにある。……経理の言う通りだ。で、俺の“ここぞ”はな、我が眷属よ。たぶん、まだ先で、たぶん、一回きりだ。だから、取ってある。安売りはしない」
「な、なんだそれ。……いつだよ、その、ここぞって」
「さあな。来れば分かる」
「気になるだろ!!」
「気にしておけ。伏線とは、そういうものである」
「自分で伏線って言うな!!」
「……ちなみに、参考までに聞くが。お、お前の“ここぞ”とやらに、私の予定は、関係あるのか」
「大いにある」
「そ、そうか。……そうか」
眷属は、それ以上、聞かなかった。聞かずに、耳の先だけ赤くして、階段を降りて行った。
温存とは、つまり、約束の一種である。
——夜。観測日誌の隅の、本日の落書き。
ヴィクの字で、小さく。
『呼び名会議、可決。ヴィクは、ヴィク。……でも、あいつが私に呼びかける時の分だけ、温存してるのが、じわじわ気になる。なんだよ、ここぞって。いつだよ』
その下に、もっと小さく。
『……ちょっとだけ、楽しみにしてる。悔しいが』
なお、この頁を後日読んだ者として記録するが————紳士なので、読まなかったことにしてある。




