第165話 もう、言ったら
灯の歌の夜の、あとのことである。
皆が寝静まった塔の、螺旋階段の途中————百八十段目の踊り場に、小さな露台がある。星のよく見える、風の通る場所。俺とヴィクの、塔での「定位置」になりつつある場所だった。
「……眠れないのか、我が眷属」
「お前もだろ」
「俺のは夜食の消化待ちだ。座れ。毛布はある」
毛布は、いつの間にか、この露台に二枚、常備されるようになっていた。どちらが二枚目を持ち込んだのかは、両者とも、記録しない主義である。
定位置の儀式は、塔でも、変わらない。
しばらく、星を見た。北の帯が、頭の真上を、静かに流れている。
『————二人とも、居たのね』
階段の上から、ヴェイルが降りてきた。手に、湯気の立つ杯を三つ、盆に載せて。
『里の香草の湯よ。眠れない夜のやつ』
「かたじけない、姉君」
『ところで。この露台、毎晩、二人で?』
「か、観測だ!!北の帯の、定点観測!!」
『ふうん。観測』
『毛布が二枚、畳んで常備されてる観測、ね』
「姉さんは目ざとすぎる!!」
姉というものは、黒歴史の司書であると同時に、監査の目も持つらしい。
三人で、湯を持って、並んだ。姉妹と、家主。妙な取り合わせの夜だった。
『……ね、ヴィク。今夜の歌、良かったわ。母さんの歌い方に、似てきた』
「……ん。ばあやの弟子だからな、私は」
『それで、ね。そろそろ、言ったらどうかと、思うのよ』
ヴィクの肩が、揺れた。
『名前のこと。家のこと。……全部』
「姉、さん」
『手帳を読む時、指で隠したでしょう。皆、気づいてる。気づいて、聞かないでいてくれてる。……ずっと、そう。この人たちは、気になることもあったでしょうに、半年以上、待ってくれてる』
ヴェイルは、湯を、一口飲んだ。
『秘密ってね、ヴィク。守ってもらってる間は、荷物なの。でも————自分で明かした瞬間、贈り物になる。……私は、貴女の口から、あの人たちに、贈らせてあげたい。奪われる前に。折れる前に。一番、いい形で』
『……なんて、偉そうに言ったけど。私も、文を百回、燃やした側だけどね』
「……姉妹で、同じ癖なのが、よく分かった夜だ」
『『うるさい(わね)』』
「…………」
「姉君。ひとつ、補足しても?」
俺は、湯の湯気越しに、言った。
「俺たちは、催促はしない。約束なので。……ただ、これだけは言っておく。お前が何を名乗ろうと、明日の我が家の朝飯の席順は、変わらん。お前の椀は、ひなたの右で、俺の向かいだ。名前が何文字増えようと、あそこがお前の席だ」
「…………ふ」
ヴィクは、湯を両手で包んで、長いこと、北の帯を見ていた。
見て、それから————言った。
「……決めた」
「ほう」
「明日。夕飯のあと。皆が揃ってる時に————言う。全部。名前も、家も、なんで塔なのかも。……荷物を、降ろす。降ろして、贈り物に、する」
『————ん。いい子』
「子供扱いするな、姉さん」
『何歳になっても妹は妹よ』
姉は、妹の頭を、角ごと、くしゃりと撫でた。妹は、抗議の声を上げながら、逃げなかった。
——部屋に戻る前、ヴィクが、俺を呼び止めた。
「なあ、圭吾。……ひとつだけ、先に聞いておきたい」
「ん?」
「明日、私が何を言っても“一度あることは、二度ある”の、二度目が来ても。……お前は、いつも通りで、居てくれるか」
俺は、いつも通りに、答えた。
「三度目も、四度目も、いつも通りである。俺たちの流儀は、知ってるだろう」
「……ふ。ふふ。知ってる。嫌になるほど、知ってる」
眷属は、笑って、階段を降りていった。
明日、夕飯のあと。半年と少し越しの、二度目が来る。
俺は、露台の星に、ひとつだけ、頼み事をした。明日の夕飯が、うまく炊けますように。大事な話の日は、飯が、うまくないといけないので。
——なお、階段を降りた先の台所に、灯りが点いていた。
「ん。————あした、だいじな日?」
鍋の下ごしらえをしていた兵站長が、振り向かずに、聞いた。
「なぜ分かる」
「ヴィクの、あしおと。かるくなってた。……だいじな話の日は、ごちそうにする。きまり、だから」
頼み事は、星より先に、台所に届いていた。




