第163話 うるさい飯
「本日より、作戦を、第二段階に移行する!!」
朝の食堂で、俺は宣言した。
「名付けて————≪出前≫である!!」
「「「「短い(わね)(な)(ん)」」」」
「ちなみに正式名称は≪漆黒の出前・湯気の遠征・第一夜≫……」
「はい十秒超過。≪出前≫で確定」
「姉御の教えが俺の浪漫を削っていく……」
「成長したので。内容はこうだ。今日から、俺たちの夕飯は、全員、頂の間で食う。父君の、目の前でだ」
『……いいの?あの部屋で、そんな』
「姉君。病人の枕元でこそ、飯はうまそうに食うものです。食欲は、伝染るので」
かくして、その夕方から、頂の間は、食堂になった。
大きな卓が運び込まれ、十一人分の椀が並び、ひなたの鍋が湯気を上げる。見張り椅子の父君を、上座に据えて。
ばあやの膳は、卓には並ばない。地下へ、別に降ろす。頂に上げるわけには、いかないからだ。
「ん。したの、ぶん。おなじ、こんだて」
「運搬は俺が引き受けた。三百六十段の下りは、鍛錬になる」
「上りが本番よ、それ」
「では————いただきます!!」
「「「「「いただきます!!」」」」」
初日の夕飯は、俺たちの平常運転で進んだ。つまり、うるさかった。
「あ!!おい隼人!!俺の燻製!!今、俺の皿から!!」
「証拠は?」
「現行犯だが!?」
「はいはい、没収。隼人は燻製一枚罰金。……ヴェイルさんも、遠慮しないで。おかわり、あるから」
『え、ええ。……この騒がしさの中で食べる飯、不思議と、進むわね』
「ん。それが、あたしたちの、あじつけ」
「あっはっは!!魔王サマの御前で宴だよ!!あたしら、南に帰ったら自慢できるね!!————ってことで、御前、失礼して一杯!!」
姉御が、椀の酒を、見張り椅子に向かって掲げた。
「姉御、患者に献杯はまだ早いです」
「酒は薬だよ、坊や」
「その理屈で酒場のツケが薬代になった例は、大陸史上一件もないのよ」
ゴルドは、鍋を三杯おかわりして、しみじみと言った。
「……王の塔で飯が食える日が来るとはなあ。里の連中に話しても、信じねえぞ、こりゃ」
『(ねえ、ヴィク。あの燻製の攻防……毎食、あれなの?)』
「(毎食だ。言っておくが姉さんも、三日で参戦することになる)」
『(まさか。私はそんな————)』
(翌日、参戦した)
騒ぎの間、俺は、視線を切らさなかった。
停止。停止。……抵抗中(透け)。停止。……抵抗中。抵抗中。透ける頻度が、明らかに、上がっている。
そして、事件は、二日目の夕飯で起きた。
きっかけは、ひなたの、何気ない一言だった。
「ん。おとうさんの、ぶんも、よそって、いい?」
『え?』
「たべられなくても。いいにおいは、とどく。おなかは、めで、たべるものだから」
ひなたは、返事を待たずに、椀に鍋をよそい、湯気の立つそれを、父君の膝先の机に、そっと置いた。
「どうぞ。きょうの、いちばん、おいしいところ」
湯気が、ゆらりと、父の顔の高さまで、立ち上った。
その、瞬間。
————ぐう、と。
音が、した。
頂の間の、全員の箸が、止まった。
音の出所は————見張り椅子、だった。
「「「「「…………」」」」」
「い、今の……」
「腹の音、よね……?」
『父さんの……お腹が、鳴った……?』
俺の眼が、特記を、捉えた。
————停止。抵抗中。……“ 空腹 ”。
「————確認した!!“空腹”のラベルだ!!五十年ものの見張りの体が、鍋の匂いに、正しく反応した!!」
「「「「「うおおおお!!」」」」」
頂の間が、沸いた。ヴェイルは椀を持ったまま立ち上がり、ヴィクは父の椅子に駆け寄り、ひなたは、静かに、握り拳を作った。
「ん。かった。においの、かち」
「兵站長!!歴史的勝利である!!」
「台帳!!台帳に書くわよ!!患者台帳、借り方に、初の入金“腹の音、一件”!!」
「うおおお!!記帳された!!」
「帳簿につけるほどのことか、腹の音って……いや、つけるほどのことなんだよな、今のは」
「し、失礼する!!父さん!!今、匙を————」
「待て」
俺は、駆け出しかけた背中を、止めた。
「腹が鳴ったのは、匂いが届いた証拠だ。口を開けろという合図ではない。……こじ開けない。方針だろう」
「————っ。……そう、だった。すまん」
ヴィクは、匙を取りに行く代わりに、椀を、父の膝先の机に、置き直した。湯気の立つ方を、顔の側へ向けて。
「置いておくからな。冷めたら、また、あたためる。何回でも」
だが、その晩から、父君の膳は、正式に、塔の十三人目の膳として、毎食、供されることになった。頂に十一膳。地下に、ばあやの一膳。そして、見張り椅子に、一膳。手つかずのまま下げられる膳。それでも————椀の湯気が立つ間、特記の“停止”は、目に見えて、薄くなるのだった。
観測日誌、本日の特記。
『療養九日目。父さんの腹の音を、全員で観測。“空腹”を確認。……生きてる。ちゃんと、お腹が、すいてる。なら、いつか、絶対、一緒に食べられる』
なお、翌朝の献立会議は、いつになく、荒れた。
「ん。“はらのおとが、いちばん、なるなべ”を、きわめる」
「テーマが攻めすぎである」
台所の研究目標に「聴覚」が加わった、歴史的な朝だった。




