第152話 父を、取り戻したい
夜明けの雪原に、十一人が、並んだ。
夜門の膜の前。ヴェイルが、両手を掲げ、低く、長く、詠唱する。あの、歌のような韻律で。
膜が、頂きから裾まで、ゆっくりと、割れていく。外からの客を拒んできた門が、開いていく。
『開いたわ。……最後にもう一度だけ、聞く。ヴィク』
ヴェイルは、振り向いた。
『本当に、行くのね。見てしまったら、もう、知らなかった頃には、戻れないのよ』
ヴィクは、頷かなかった。
頷く代わりに、俺たちの方を、振り向いた。九人の顔を、ひとりずつ、ゆっくりと見た。それから、深く息を吸って————言った。
「みんな。……ここまで、来てくれて、ありがとう。門の前で、最後に、ちゃんと言っておきたいことが、ある」
雪原の朝の光の中、俺たちの眷属は、背筋を伸ばした。
「私の探し人が、私の父さんだってことは、もう、膜の前で言った。聞いてただろ」
「ん。きいてる」
「父さんは、五十年、この塔の見張り番をしてる。……そして、三年前から、止まってる。絆も、勘定も、表情も、全部。凍った川みたいに。それを」
声が、一度、詰まった。詰まって、それでも、まっすぐに、続いた。
「父を、取り戻したい」
風が、雪の粉を、朝日の中に、きらきらと巻き上げた。
「五年前は、ただ、会いたかった。去年までは、ただ、確かめたかった。でも、今は、違う。お前たちと、暮らして、暁を見て、素還りを知って、棚上げの話を聞いて————分かったんだ。止まったものは、戻せる。汚せば、戻る。繋げば、動く。……私たちの流儀なら、届くかもしれない」
「だから————手を、貸してほしい。私たちの、いちばん出鱈目な流儀で、私の父さんを、取り戻すのを」
言い切って、ヴィクは、頭を下げた。
角ごと、深く。
一瞬の、間。
それから、俺たちの返事は、いつも通り、揃った。
「「「「今さらである(よ)(わ)(ん)」」」」
「っ、と言うと思ってた!!思ってたけど、一応、ちゃんと頼んだんだ!!礼儀として!!」
「うむ。受理した。では、諸君!!」
俺は、風呂敷マント(北仕様・耳当て装備)を、ばさりと翻した。
「本日の任務を、告げる!!三年止まった勘定を、動かす!!五十年降りられん当番を、代わる!!凍った川を、汚す!!棚上げの棚を、蹴り倒す!!作戦名は!!」
「「「「短く!!」」」」
「≪ただいま≫、である!!」
「「「「…………」」」」
「……珍しく、満点じゃない。作戦名」
「たまには俺も満点を出す」
ヴェイルが、開いた門の脇で、小さく、笑った。
『……行きましょう。ようこそ、見張りの塔へ』
——門を、ひとりずつ、くぐった。
くぐり際に、それぞれが、ひとことずつ、こぼした。
「よし。お邪魔します、っと」
「失礼します。……帳簿と胃薬は、持ちました」
「ん。おべんとうも、ある」
「へへ。体が、軽くなってきやがった」
「B級九年目、初の規格外案件……行くわよ、あんたたち」
最後に、ヴィクが、くぐった。くぐる前に、一度だけ、南の空を見た。フォルテの方角を。それから、前を向いた。
膜の内側の空気は、静かで、古くて、そして、微かに————誰かの気配の名残りがした。五十年ぶんの、静けさの底に。
塔は、目の前に、そびえていた。黒い石積み。閉じた大扉。頂きの、あの灯り。
扉の前で、隊列が、自然に組まれた。先頭、ヴィクとヴェイル。半歩後ろに、俺。その後ろに、ひなた、沙耶、隼人。殿に、姉御たち《酔いどれ猫》とゴルド。
誰の指示でもない。半年と、二十日の旅が、この形を作った。
「ん。みんな、あめ、くちに、いれた?」
「「「「入れた」」」」
『何の確認なの、それは』
「俺たちの、出陣の作法です。姉君も、どうぞ」
ヴェイルは、差し出された飴を、少し迷って、口に入れた。入れて、小さく「……甘い」と言った。大丈夫の味である。
ヴィクが、扉の前に、立った。旅袋を、背負い直した。中には、五年分の、飴玉の包み紙。
そして、視線を、頂きへ、上げた。
その、時だった。
「圭吾。見て」
沙耶が、掠れた声で、空を指した。
塔の頂きの、灯り。
五十年、色の変わらなかった、あの灯りが————
揺れて、いた。
ほんの、微かに。蝋燭の火が、風に震えるように。俺の眼が、その揺れの中に、視た。揺れ動いた、小さな、小さな————欠片を。
「……起きて、る?」
「いや————」
俺は、確信を込めて、言い直した。
「待ってるんだ。誰かが、来るのを」
ヴィクの手が、黒い大扉に、かかった。




