第15話 大食い大会という名の錬金術
フォルテの収穫祭が、始まった。
大通りは端から端まで屋台で埋まり、石畳は人で見えない。ドワーフの揚げ芋、獣人のおやじの炭火串、エルフの果実水。焼ける脂の匂いと、呼び込みの声と、子供の笑い声。……いい街だ、本当に。
そして俺たちのパーティには、開幕前から戒厳令が敷かれていた。
「いい、ひなた。祭り予算は“一人銅貨50枚まで”。一発分の貯金には、指一本触れさせません」
「50枚……串焼き、十六本ぶん……」
「換算が早い。そして顔が絶望してる」
「祭りは三日あるのよ。配分を考えなさい、配分を」
ひなたは、銅貨の入った小袋を両手で握りしめ、この世の理不尽を噛みしめる顔をしていた。最終兵器の維持費は、平時の食欲とは別会計なのである。
——ところが、開始一時間でわかった。ひなたに、予算は関係なかった。
「はい、お嬢ちゃん、味見してきな」
「ん。……おいしい。すごくおいしい」
「だろだろ!ほれ、もう一本!」
あの心底幸せそうな食いっぷりは、屋台のおやじたちにとって最高の宣伝になるらしい。ひなたが立ち止まった屋台には、なぜか行列ができる。結果、試食と「おまけだ」の連鎖で、ひなたは銅貨を一枚も使わずに大通りの半分を食べ歩いた。
「経費ゼロ……この子、祭りと相性が良すぎるわ……」
「さや。これ、おまけの、おまけ」
抱えきれなくなったらしい。ひなたが差し出したのは、包み紙にくるまれた焼き菓子だった。
「……ありがとう。うちの経理、祭りで最初に手にした品が、もらい物ね」
ちなみにその頃、隼人は射的屋台で景品を七個抜いて、店主から出入り禁止を言い渡されていた。
「なんでだよ!ルール通りだろ!」
「ルール通りに全部当てるやつがあるか!!」
自分の予算五十枚のうち四十枚を弾代に溶かした男は、両腕いっぱいの景品を抱えて戻ってきた。ガラス細工の鳥。小さな手鏡。櫛。用途のわからない置物が、四つ。
「四十枚で七個だ。安い」
「使い道は」
「ない」
——そして、この日。俺たちは知ることになる。
俺たちの大砲は、食わせると“稼ぐ”ということを。
きっかけは、広場の特設舞台だった。
『収穫祭名物ォ!!大食い大会ァ!!参加費銅貨10枚!優勝賞金、銀貨3枚と“屋台通り一日食べ放題券”!!』
ドワーフの司会が板を掲げた瞬間、隣で、ごくり、と喉の鳴る音がした。
「……沙耶。あれは“出費”か?それとも“投資”か?」
「参加費10枚で、優勝すれば銀貨3枚と食べ放題……」
沙耶の眼鏡が、そろばんの光を宿した。
「——投資よ。行きなさい、ひなた」
「んッ」
かくして、俺たちの最終兵器が舞台に上がった。
対戦相手は屈強な男たちが十一人。樽みたいな腕のドワーフ、犬耳の大男、プロの大食い自慢たち。ルールは単純、制限時間内にボア肉の丼を食った数で勝負。
「はじめェ!!」
——結果から言おう。
虐殺だった。
十五分後、舞台の上に立っていたのは、頬に米粒をつけた小柄な少女ひとり。足元には空の丼が二十七個、塔になっていた。二位のドワーフは九杯で沈んだ。
「に、二十七杯……!?優勝ッ!!満場一致で優勝ゥ!!……というか嬢ちゃん、あんたまだ食えるのか!?」
「ん。まだ、おやつ前だから」
「おやつ前!?」
会場は大爆笑と拍手に包まれ、そして俺たちは静かに拳を握った。参加費10枚→賞金銀貨3枚。利回り三十倍。祭りの錬金術である。
「よし、次の大会も出よう。夕方の部もある」
「隼人、俺たちの大砲を興行に使うな」
「なあ、ひなたに賭けられる賭場ないかな」
「胴元の顔が真っ青だからやめてあげて」
——騒ぎのあと、舞台裏でひなたは、見知らぬ青年に呼び止められていた。さっきの大会で三位だった、体格のいい犬耳の獣人である。
「あ、あんた……いや、あなた!俺、大食いじゃ隣街まで負けなしで……あんなに綺麗に、幸せそうに、大量に食う人、初めて見た!お、俺と、勝負——いや、今度、飯でも……!!」
耳まで赤い。獣人の耳が、ぺたんと伏せては立ち、忙しなく動いている。あれは、あれだ。惚れた男の耳だ。
ひなたは、きょとんと彼を見上げ——にこ、と笑った。
「いいよ。おごりなら」
「おごり——うん!!おごる!!いくらでも!!」
「(あの青年、破産するぞ)」
「(言わぬが花よ)」
「(ちなみにひなた、絶対“ごはんの約束”としか思ってないぞ)」
「(でしょうね)」
恋の行方に幸あれ。主に、彼の財布に。
「あら——皆さん!」
人混みの向こうから手を振ってきたのは、ミアさんだった。今日はローブではなく、祭り用の白いワンピースである。情報量が、多い。
隼人が、真顔で夜空の星を数え始めた。俺は紳士力を九割まで引き上げ、視線を顔面高度に固定した。
「ミアさん。お一人で?」
「はい!シリルたちは巡回のお手伝いで……あ、沙耶さん、その焼き菓子どこのですか?わたしも——」
「……その、ワンピース」
沙耶が、低い声で言った。目が据わっていた。
「よくお似合いね。“いろいろと”」
「?ありがとうございます!沙耶さんの眼鏡も素敵です!」
「これ伊達なのよ!!もういいわよ!!」
「三百三十四」
「数えるなって言ってるでしょ!!」
——午後。俺は俺で、運命に出会っていた。
くじ引き屋台の景品棚。その最上段に、それは吊るされていた。
漆黒の、ロングマント。
「店主。あれは」
「ん?ああ、特等だよ。一回銅貨5枚」
「———来た。俺の祭りが、来た」
結果を先に言うと、俺は銅貨45枚を溶かした。九回引いて、当たったのは飴玉が七個と、木彫りの蛙がふたつ。
「けーご、蛙増えてるね」
「うるさい。十回目で来る。俺の魂が囁いている」
「その魂、今日一日で信用ゼロよ」
十回目。——外れ。飴玉。
「うおおおお店主ォォ!!頼む、あとひと引き!ツケでもいい!!」
「兄ちゃん、ツケでくじ引くやつがあるか。……ったく、しゃあねえなあ」
髭を三つ編みにしたドワーフの店主は、豪快に笑うと、棚の下から何かを引っ張り出した。黒い、大きな風呂敷である。
「ほれ、荷物包み用の黒布だ。売れ残りだが、まあ、羽織りゃマントに見えんこともねえ。今日一番笑わせてもらった礼だ、持ってけ」
「————!!」
俺は、その黒布を、恭しく両手で受け取った。羽織った。翻した。
「フ……フフ……悪くない。名付けて“漆黒の——”」
「風呂敷よ」
「風呂敷だな」
「ふろしき、にあうよ?」
「お前らには浪漫がない!!ないったらない!!」
なお風呂敷マントは、翻すたびに裏の『特売』の文字が見えることが後に判明する。それでも俺は、脱がなかった。
——日が暮れて、祭りは提灯と魔法灯りの光に沈んだ。
夜の部に入ってすぐ、隼人が景品の山を抱えて露店の列に消えた。戻ってきた時には、手ぶらだった。掌の上で、銅貨が音を立てている。
「七個まとめて、銅貨五十枚」
隼人が、五十枚を沙耶の掌に落とした。
「弾代、回収したのね」
「見ろ沙耶。出入り禁止は、原価だ」
「その理屈で出禁を三軒に増やさないでよ」
「待て隼人。あの中に手鏡があったはずだ。あれは買い戻す」
「何に使うんだよ」
「紳士の身だしなみだ」
そう言いながら、俺の手は、ありもしない鏡を掲げる角度を調整していた。斜め上。曲がり角の、その先。
「その手つき、身だしなみじゃないわよね」
「……その用途は、まだ思いついていなかった」
「今、思いついたって自分で言ったわね。……で、予算は?」
沙耶が、掌を上にして、手を出した。
俺は、その上に、木彫りの蛙を、二つ、並べた。
沙耶は、無言で、それを俺の手に戻した。
そこへ、ひなたが小袋を差し出した。受け取った沙耶が、中を覗いて、動きを止める。
「……減ってない。一枚も」
「うん。みんな、くれるから。だから、かえす」
沙耶は、しばらく小袋を握っていた。それから、静かに宣言した。
「祭りの会計は、今夜で締めます。二日目と三日目、追加の予算はなし。初日に五十枚を、蛙と飴玉に変えた人がいるので」
「俺、十枚残ってる」
「それも戻して」
「経理が世知辛い!!」
夜の部の雑踏を、四人でだらだらと歩く。焼き菓子を齧るひなた、戦利品の飴玉を数える隼人、帳面を締める沙耶、風呂敷を翻す俺。悪くない。実に悪くない、Dランク最初の休日である。
——その時だった。
視界の端を、何かが、掠めた。
人混みの切れ間。提灯の光の下を、小柄な影が、するりと抜けていく。フードから、ひと房だけ零れた髪が見えた。
——紫だ。
俺は、反射的に視た。加護が、いつものように情報を——
——状態: 【???】
「————」
読めなかった。
傷も、疲労も、機嫌も、何も。あの加護が、初めて、何も寄越さなかった。
「圭吾?どうしたの、急に止まって」
「……いや」
もう一度、目を凝らした時には、紫の髪はもう、人混みのどこにもなかった。
「……なんでもない。見間違いだ、たぶん」
祭りの夜は、まだ二日、残っている。




