第149話 手合わせ、姉妹戦
翌朝の雪原は、風もなく、絶好の手合わせ日和だった。
『規則を言うわ。当てるのは、術の圧だけ。怪我をさせたら、負け。……私が“まいった”と言うか、日が沈んだら、終わり。始めましょうか』
ヴェイルは、外套を脱いだ。下から現れたのは、夜色の装束————ヴィクの勝負服と、同じ仕立ての、姉の寸法のものだった。
「(勝負服、姉妹お揃いなのね)」
「(ん。……おうちの、せいそう、なのかも)」
観客席(雪の土手)には、七人と一人が陣取り、姉御が早速、賭け板を出しかけて、沙耶に没収されていた。
「では、二対一、開始である!!」
観客席では、姉御が没収されたはずの賭け板の二号機を掲げていた。
「はい注目〜。『姉君の勝ち』2.0倍、『妹+紳士の勝ち』1.8倍、『引き分けで夕飯』5倍!!」
「二号機!?没収したわよね、私!?」
「B級はね、装備の予備を持つのよ」
「そういう教訓じゃないのよ、予備って」
開幕は、静かだった。
ヴェイルが、指を、すっ、と横に振った。それだけで、雪原に、紫紺の光の帯が、三本、鞭のように走った。
「速っ————!?」
ヴィクが、跳んで躱す。俺は、跳ばない。跳ばずに、視る。
————ヴェイル。術式: 展開中。三本は、陽動。そして、雪面に視えた。ヴィクの足元の雪だけ、紫紺の光が薄く滲んでいる。仕込みの、漏れ光だ。
「ヴィク!!足元!!雪が光ってる、四本目だ!!」
「っ、ありがたい!!」
雪面から噴き上がった四本目の光の帯を、ヴィクは、紙一重で躱した。ヴェイルの眉が、微かに、上がった。
『……へえ。視えるの、貴方』
「視えるので」
『なら、これは?』
雪原の空気が、変わった。ヴェイルの周囲に、光の帯が、十二本、扇のように展開する。本気の圧、である。
「ヴィク!!正面は駄目だ!!全部本命!!」
「知ってる!!圭吾!!合わせろ!!」
「ほう!!承知!!」
来た。打ち合わせなしの、あれである。
ヴィクが、両手を、構えた。俺は、その半歩後ろで、声を、張った。
「“夜を統べる一族の血よ”!!」
「“我が右腕に眠る漆黒よ”!!」
「「“————今こそひとたび、目覚めて候え”!!」」
W詠唱(ごっこ・実戦版)である。中身は、ごっこだ。俺の詠唱に、出力は一銭も乗っていない。乗っているのは、拍子だけである。
だが、拍子は、力だった。
五年間、独りで詠唱してきたヴィクの術は、精密で、そして、少しだけ、性急だった。それが、俺の馬鹿声の伴奏がつくと、伸びるのである。呼吸が深くなり、溜めが利いて、紫紺の密度が、一段、上がる。
ヴィクの両手から放たれた紫紺の奔流が、十二本の光の帯を、正面から、押し割った。
『っ!!』
ヴェイルが、初めて、後ろに跳んだ。雪煙の中、姉の金の瞳が、大きく見開かれていた。
『今の、詠唱————』
ヴェイルは、構えを解かないまま、掠れた声で、言った。
『その韻律。誰に、習ったの』
「ん?私の我流だが、元は、ばあやの歌の……」
『違う。貴女のじゃない。そっちの、人間の方』
視線が、俺に、刺さった。
『貴方の拍子。“目覚めて候え”の、その節回し。……それ、一族の“起こしの韻”と、同じ拍なのよ。誰にも教えてないはずの、塔の、儀式の拍と』
「「「「…………」」」」
「……偶然、では?俺のは、前世からの、ただの中二……趣味の産物で」
『偶然で、あの拍は踏めないわ』
ヴェイルは、構えを、ゆっくりと解いた。手合わせの空気が、別の何かに、変わっていた。
『……面白くなってきたわね、貴方たち。休憩を挟むわ。午後は、本気で行く』
「今のは本気ではなかったんですかね!?」
観客席から、姉御の「ひゅう」という口笛が、飛んだ。
休憩の間、姉妹は、少し離れた雪の上に、並んで座っていた。
会話は、聞こえない。聞こえないが、時々、ヴェイルが何か言い、ヴィクが手を振り回して抗議し、ヴェイルがまた何か言い、ヴィクが頭を抱えるのが見えた。
「(黒歴史の追加開示ね、あれは)」
「(ん。ヴィク、みみまで、あかい)」
「(五年分の姉妹の時間、回収中である。……いい昼だ)」
雪原の手合わせは、まだ、前半である。




