第147話 名乗りと、毛玉の証明
「我が名は圭吾!!パーティ《腐れ縁》が参謀にして、漆黒の存在!!そこなヴィクの、家主で、講座の生徒で、観測仲間で、そして————主である!!」
膜の向こうで、ヴェイルの眉が、ぴくりと動いた。
『……主?』
「うむ。こいつは俺の眷属なので」
『眷属』
「あ、姉さん、違うんだ、これはこいつの持病みたいなもので————」
『眷属って、言ったわよね、今。私の妹を』
膜越しの空気が、三度ほど、下がった。
『……ふうん。南の人間は、五年で、私の妹を“眷属”呼ばわりするほど、偉くなったの』
「ひっ、姉さん、目が————」
「よくぞ聞いてくれた、姉君!!説明しよう!!眷属とは、我が家において最上位の敬称!!住まいと飯と月謝を共にし、屋根の上の定位置を分かち合い、蜂蜜菓子の専用棚を持つ者だけが呼ばれる、栄誉の称号である!!」
『……何を言ってるの、この人間は』
「大丈夫です、姉君。十年一緒にいる私たちにも分かってません」
「沙耶!?援護しろ!?」
膜の向こうの温度が、下がったまま、しかし、ほんの少しだけ、揺れた。呆れという名の、揺れ方だった。
『……ヴィク。あれが、貴女の選んだ連れなの』
「…………ん。あれで、いいんだ。あれが、いいんだ」
『正気?』
「正気だ。見てくれ、姉さん。口で説明するより、早い」
ヴィクは、振り向いて、俺たちに、頷いた。
打ち合わせは、ない。だが、俺たちに、打ち合わせは要らないのである。
「よし、お前ら。いつも通りだ。点呼!!」
「点呼って、あんた、この状況で!?」
「この状況で、やるのが、俺たちだ!!議題!!“本日の橇の座席が不公平だった件”!!」
「出たわね!!言っておくけど、あんたが一番いい席だったのよ!!御者台の右!!風が来ないの、あそこだけ!!」
「戦略的配置だが!?」
「戦略って言えば通ると思ってるのよね、この男は!!二日連続よ!?」
「なら明日はお前が右だ!!その代わり俺は毛布を二枚————」
「毛布の接収は既に議決済みよ!!寒がりは正義!!」
「行政用語で罪を洗うなと何度言えば!!」
「ん。けんかは、そこまで。おやつの、じかん」
「「はい」」
議題は、続いた。
「続いて!!“ひなたの弁当の芋が俺だけ小さかった件”!!」
「ん。きのせい。……はんせいは、してる」
「両立するのか、それは!!」
「次!!“先生の写経二枚の量刑が重すぎる件”!!……おい隼人、お前が出した議題だろ、堂々と言え!!」
「だって先生こわ……いや、なんでもないです」
「あとで写経三枚な」
「増えた!!」
雪原に、いつもの騒がしさが、フルセットで展開された。ゴルドと姉御たちは「始まったよ」の顔で見守り、ひなたが全員に凍らないおやつを配給し、俺と沙耶は齧りながらまだ小声で口論を続けた。
そして、配給は、膜の向こうにも及んだ。
「ん。————おねえさんも、どうぞ」
ひなたが、膜の際まで歩いて、凍らないおやつを、ひとつ、雪の上にそっと置いたのである。
『……私に?』
「ん。かぞくの、おねえさんだから。かぞくのかぞくは、かぞく」
『…………理屈が、通ってないわ』
「とおってる。あたしたちのあいだでは」
膜の向こうで、ヴェイルは————立ち尽くしていた。
『…………なに、これ』
「毛玉です」
ヴィクが、言った。少しだけ、誇らしげに。
「絆値、測定不能。王都の王盤も黙らせた、大陸一の毛玉。これが私の、五年の、答えだ。姉さん」
『……喧嘩、してたわよね、今』
「してた。あれで、切れないんだ。切れないどころか————強くなる。私たちの絆は、汚れるほど、強い」
ヴェイルは、長いこと、黙っていた。
黙って、膜越しに、俺たちを、ひとりずつ、見た。あの、関守と同じ「顔を読む」目で。ゆっくりと、九人分。
そして、最後に、妹の顔を、見た。
『ヴィク。ひとつだけ、確かめさせて』
「……ん」
『貴女、今————幸せなの』
ヴィクは、瞬きをした。それから、迷いなく、頷いた。
「ん。幸せだ。悔しいけど」
『悔しいのね』
「悔しいんだ。こんな連中で、幸せになってしまったのが」
『…………ふ』
膜の向こうで、初めて————ヴェイルが、笑った。ヴィクとよく似た、不器用な、口の端だけの笑い方だった。
『……日暮れまでに、天幕を張りなさい。膜の外の、風のない場所を教えるわ。話は、火を挟んで、するものだから』
夜門の膜が、細く、開いた。
ヴェイルが、外に、出てきたのである。五年ぶりの姉妹の距離が、膜一枚から、焚き火一つに、縮まった。




