第146話 姉と、膜越しの問答
姉さん、と呼ばれた人は、膜の内側で、腕を組んだ。
「紹介しよう、お前たち。ヴェイル。私の、姉だ」
ヴィクの声は、まだ少し、震えていた。震えながら、それでも、役目のように続けた。
「姉さん。こっちは————」
『いい。名乗らせないで』
ヴェイルの声は、静かなまま、鋭かった。
『名乗られると、覚えてしまう。覚えると————帰しにくくなる。……ヴィク。単刀直入に言うわ。その人間たちを連れて、南へ帰りなさい』
「断る」
『即答しないの。五年ぶりの姉との会話でしょう』
「五年ぶりの姉が、開口一番、追い返しにかかってるからだ!!」
膜越しの姉妹喧嘩(初観測)である。俺たちは、口を挟まず、しかし一歩も引かず、ヴィクの後ろに、壁として立っていた。
「(……姉君、圧が凄いわね。関守さんの十倍)」
「(ん。でも————こわいのと、つめたいのは、ちがう。あのひと、こわいけど、つめたくない)」
「(ほう。兵站長の見立ての根拠は)」
「(……いもうとのはなしをするとき、こえが、すこし、やわらかい)」
(俺たちの観測班は、圧の中でも仕事が正確である)
『……はあ。……変わったわね、貴女。五年前は、口答えなんて、できなかったのに』
「変えて、もらったんだ」
『そのようね。……で?何をしに来たの。ここに』
「決まってる。父さんに、会いに来た」
初めて、はっきりと、その言葉が、ヴィクの口から出た。
父さん。探し人、ではなく。
ヴェイルの金の瞳が、揺れた————ように、見えた。一瞬だけ。
『…………会って、どうするの』
「連れて、帰る」
『どこへ?』
「それは————」
『言えないでしょう。帰る場所なんて、もう、ないんだから。私たちには』
ヴェイルの声は、静かで、平坦で、そして、その平坦さが、一番、痛かった。
『いい、ヴィク。教えてあげる。この五年、私が何をしてたか。私は、ここで、門の鍵を、守ってたの。誰も、入れないように。誰も、ね。……あの灰色たちも、白いのも、この膜の前で、五年間、立ち往生してる』
「灰色を、知ってるのか」
『知ってるわよ。月に一度は、来るもの。膜の外に立って、じーっと、数えて、帰っていく。里の人たちが見てるのは、その行き帰りの、ほんの切れ端でしょうね。……気味の悪い隣人だけど、膜は破れない。破れないように、私が、鍵を変え続けてる』
「なら————なんで、私まで、締め出すんだ!!」
ヴィクの叫びが、雪原に、割れた。
「私は、鍵の血筋だぞ!!父さんの、娘だぞ!!五年、探したんだ!!手がかりを、南の果てまで!!やっと、やっと着いたのに————なんで、姉さんが、鍵を!!」
沈黙が、長かった。
膜の向こうで、ヴェイルは、目を伏せていた。伏せたまま、囁くように、言った。
『見せたくないからよ』
「……え」
『今の父さんを。貴女にだけは』
風が、雪の粉を、膜に沿って、さらさらと流した。
『ヴィク。最後の忠告。……このまま、帰りなさい。貴女の記憶の中の父さんが、笑ってるうちに。それが、姉としての、精一杯の』
「お断りだ」
ヴィクは、涙目で、真っ向から、言い放った。
「見せたくないものごと、引き受けに来たんだ、私は!!それに————こっちには、汚いものを見ても逃げない連中が、九人もいる!!」
『…………』
ヴェイルの視線が、もう一度、俺たちを撫でた。今度は、さっきより、長く。
『……その根拠のない自信は、どこから来るの』
「(ね、ねえ。今の流れ、あたしたちの出番ある?)」
「(黙って立ってるのが仕事よ、今は。……姉妹の五年分が、済むまで)」
「(ん。————でも、そろそろ、けいごが、なにか、やる)」
「(分かるの?)」
「(マントのすそを、にぎった。あれは、やるまえの、くせ)」
俺は、無意識に、マントの裾を握り込んでいた。
「根拠なら、ある」
俺は、一歩、前に出た。膜越しの姉君に、正面から、名乗りを上げるためである。
「姉君。名乗るなと言われたが————覚えてもらう覚悟で、名乗らせていただく」




