第144話 雪原の会敵
異変は、隼人の一言から始まった。
「おい。俺、今、めちゃくちゃ調子いい」
氷の森を抜けて、半日。塔まで残り一日の、開けた雪原の真ん中である。俺たちの危険度計の針が、振り切れる方向に、跳ね上がった。
「総員、円陣!!橇を中央!!」
「ひなた、方角!!」
「ぜんぶ」
「全部!?」
「ぜんぶのほうこうから、“まずそうなの”。……かこまれてる」
雪原の縁が、盛り上がった。
雪の下から、湧き出すように、現れたのは、白い獣の群れだった。狼に似て、狼より大きい。氷の毛皮。そして、その体表に、見覚えのある、粘つく色のもや。
「芯持ちだ!!北方版!!数は、五十!!」
「五十!?谷の時より練度が高いぞ、動きが!!」
群れは、無駄のない包囲陣形で、じりじりと輪を縮めてきた。獣の動きではない。やはり、操縦されている。
「ゴルド!!あれは!?」
「“氷狼”だ!!だが、変だ!!氷狼は群れても十頭!!五十なんて聞いたことがねえ!!」
「操られてるんだ!!胸の奥に芯がある!!砕けば正気に戻る!!」
「砕くって、五十を!?」
「いや、五十は、いらん」
俺は、視線を絞った。見えている群れの動きを、追う。
群れの向きが変わるたび、周囲より一拍早く動く狼がいる。北の丘と、真後ろ。胸の毛の隙間から、粘つく光が漏れている。
「中継を探せ!!北の丘に一、真後ろのでかいの、一!!残りは————ひなた!!」
「ん。ひがしの、いわかげ。“まずそうなの”、こい」
「東の岩陰だ!!俺たちの眼と鼻の合わせ技である!!残り四十七は、親経由で繋がれてるだけ!!」
「三頭なら、話が早いわね!!」
「作戦≪芯抜き≫、三連発だ!!ひなた、ヴィク、そして、沙耶!!」
「私!?」
「素還りの、練習台だ!!北の丘の一頭、風で転がして、隼人に届けろ!!」
「れ、練習台って、あんた、こんな時に、ああもう!!」
沙耶が、眼鏡を、外した。
「やってやるわよ!!こちとらね!!二日も橇の上で正座して、腰が限界なのよ!!」
素の風が、吹いた。北の丘の親狼が、雪煙ごと吹き飛ばされて、宙を舞う。
「あいよッッ!!」
跳んだ隼人の剣が、空中で、親の胸の芯を、正確に両断した。
「東は、私だ!!」
ヴィクが橇の横を走り、岩の脇へ射線を通した。紫紺の細い閃光が、雪原を横切り、親の胸を、針の穴ほどの精度で撃ち抜いた。遠慮の目盛り、実戦投入である。
「のこりは、いちばん、おっきいの」
ひなたが、黒パンを、構えた。
真後ろの巨大な親狼が、危険を悟って、跳躍した。速い。だが、
「ん。えんりょの、いちげき」
ゴッッ!!!と。
跳躍の頂点で、巨体の胸に、黒い流星が突き刺さった。芯の砕ける音が、雪原に、澄んで響いた。
——直後。四十七頭が、一斉に、止まった。
もやが潮のように引き、氷狼たちは、きょとんとした目で顔を見合わせ、蜘蛛の子を散らすように、雪原の彼方へ消えていった。
「……終わった、か。所要————」
「四十秒よ。口上抜きなら、私たちはこの速さなの」
「今、俺への当てつけを感じたが!?」
「気のせいよ(棒)」
ゴルドが、腰を抜かしたまま、笑い出した。
「はっ……はっはっは!!なんだよ、あんたら!!五十頭の氷狼を、四十秒!?里の連中に話しても、誰も信じねえぞ!!」
「では、観測日誌の写しを、証拠として進呈しよう」
「公文書で自慢する隊が居るか!!」
戦場の跡には、氷狼の抜け毛が、そこかしこに残っていた。ゴルドいわく、氷狼の冬毛は上等の防寒素材だという。
「ん。————ひろう。ぜんぶ」
「戦利品の回収が早い」
「かられた子たちの、おとしもの。むだにしない」
拾い集めた毛は、後日、里へ送って加工してもらう手筈になった(仲介: ゴルド)。俺たちの経理はこの取引を『雪原拾得物運用益』として帳簿に立てた。科目名が、もう商社である。
姉御の戦評も、あった。
「今の戦い、ひとつだけ注文。————圭吾、あんた指示が早すぎ。あたしらB級が置いてかれる瞬間があった。次は、二拍、待ちなさい」
「……承った。十人の隊列は、まだ、練り途中ですな」
「そ。伸びしろって言うのよ、それは」
——だが、笑いは、長くは続かなかった。
戦場の検分中、ヴィクが、雪の上に、それを見つけたのである。
雪の上の、二筋の“無”だった。
足跡では、ない。踏まれてもいないのに、そこだけ風紋が消えている。人が二人、立っていた形の、綺麗な空白。戦いの間、群れの後方にあって、戦いが終わる前に、消えた気配の跡。
「見てたんだ。灰色が。今の戦いを。……足跡を残さない連中の、これが“居た”の痕だ」
「試された、ってこと?」
「か、測られたか。……どちらにせよ」
俺は、消えた足跡の先の、黒い針を見た。
「あちらさんも、俺たちの到着を、知ってるわけだ」
夜営では、氷狼の毛の「配分会議」が開かれた。
「里への加工賃を引いて、残りは十等分。……で、加工後の使い道だけど」
「耳当ての、うちがえ!!教官のやつの、ほしゅうに」
「ん。それと————イタチの、ふゆの、ざぶとん」
「番人の座布団が優先議題に上がる隊、私たちだけでしょうね」
「満場一致で可決である」
塔まで、あと一日。
隠れての接近は、もう、意味がない。ならば、正面から、である。いつも通り。




