第143話 白い空の下
塔を初めて視認した夜、俺は、変な時間に、目が覚めた。
見張りの交代には、まだ早い。焚き火は静かで、八人の寝息と、一人の見張り(ゴルド)の気配は、いつも通り。
なのに、妙に————明るかった。
天幕の外に出て、理由が分かった。
空が、白かったのである。
夜なのに。星の代わりに、天の全部が、薄い乳白色に光っていた。雪原も、氷の森も、白い光の下で、影をなくしていた。
そして、焚き火のそばに————先客が、いた。
ゴルドではない。ゴルドは、焚き火の横で、器用に立ったまま、眠っていた。眠らされていた、というべきか。
先客は、白い光の中に、輪郭だけで、立っていた。
大きな、大きな、帳簿を抱えて。
「よう」
俺は、あくびをかみ殺して、挨拶をした。
「雑な神様。……ずいぶんと、お久しぶりですかな」
『よう。ひさしぶり』
サンサーラの声は、相変わらず、遠くて近くて、雑だった。
『いや、たいしたようじゃないんだけど。ちかくをとおったから』
「神様も、通りかかるんですな。北を」
『とおるよ。けっこう、いそがしいんだ、さいきん。ちょうぼの、かんじょうが、あわなくてね』
白い輪郭が、帳簿を、ぱらぱらとめくった。
『なあ、けいご。ひとつ、きいていい?』
「どうぞ」
『きみたちのいく、あのとう。あそこの“かんじょう”がね、ごじゅうねん、うごいてないんだ。しゅうしが、ぴったり、ゼロ。……いきてるものの、かんじょうじゃ、ないんだよ、あれは』
「……死んでる、ということですか。塔の主は」
『それが、ちがう。しんだものの、かんじょうは、とじられる。あそこのは、とじても、いない。ひらいたまま、とまってる。こういうのを、なんていうか、しってる?』
「さあ」
『“たなあげ”っていうんだ』
神様は、雑に、笑った気配がした。
『たなあげされた、かんじょう。だれかが、わざと、とめてる。とじさせも、うごかせも、しないで。……ちょうぼのかみとして、いちばん、はらのたつやつだよ』
「時に、神様。せっかくの機会なので、こちらからも、ひとつ」
『どうぞ』
「俺たちが、なんで死んだか。なんで四人まとめてか。……そろそろ、教える気は」
『それは、けいやくがい』
「即答ですか」
『そくとうだよ。……ああ、それと、さきにいっておくけど————ひなたちゃんの ぶんは、きかれても、まだ、はなせないからね』
「聞いてませんが!?……聞いてませんが、その言い方だと、“話せる何か”が、あるんですな?」
『……しごとに、もどるね』
「逃げた!!」
神様は、都合が悪くなると、忙しくなる。観測日誌にだけは、書いておく。“死因、同時死、ひなたの件————全部、先方は把握済み。開示は、契約外”。
「それを、俺たちに、どうしろと」
『どうしろとは、いわないよ。かみは、けいやくがいのしごとを、たのめない』
「ちなみに神様。参考までに聞くが、俺の勘定は、今、どうなってます」
『きみ?ええと……ふきん(せいべつずみ)いちまい、かしいっぱい、かりいっぱい、ろまんけいひ、さんていふのう。————けいさんするきも、おきないね』
「神に経理を投げられた!!」
『さやちゃんに、かんしゃしなよ。あのこの ちょうぼだけが、きみのかんじょうを にんげんかいで ゆいいつ、おえてるんだから』
「……それは、まあ。……日頃から、感謝は、している」
『めずらしく すなおだ』
白い輪郭は、帳簿を、ぱたんと閉じた。
『ただ————きみたちのかんじょうは、あいかわらず、めちゃくちゃでね。かしとかりが、こんがらがって、けいさんできない。……で、けいさんできないかんじょうっていうのはね、けいご』
「ふむ」
『たなあげも、できないんだ』
白い光が、少しずつ、薄れ始めた。
『あ、それと。さいごに、ひとつだけ、まじめなはなし』
白い輪郭の声が、一段だけ、低くなった。
『とうのなかで————“かんじょうがっぺい”を、もちかけられても、のるな。それだけは、かみのちゅうこくとして、きいておいて』
「勘定、合併?……それは、どういう」
『きかれても、いえない。けいやくがいだから。————ただ、おぼえておいて。きみたちのかんじょうは、めちゃくちゃなまま が、いちばんつよい』
『それだけ。がんばってね。ああ、あと、ひなたちゃんに、つたえておいて。“こおらないおやつ、こんどたべさせて”って』
「神が餌付けされている!?」
『じゃあね』
光は、消えた。空には、いつの間にか、星が戻っていた。ゴルドが、はっ、と目を覚まして、辺りを見回した。
「……俺、今、立ったまま寝てたか?」
「ええ。良い寝相でした」
「北の男として、あるまじき……すまん」
「気にされるな。不可抗力なので」
——翌朝、皆に、夜の来客を報告した。
「棚上げの、勘定……」
「計算できない勘定は、棚上げできない。つまり、私たちの毛玉は、あいつらの“整理”が効かない、ってお墨付きね」
「ん。かみさま、おやつの、よやくをした」
「そこも重要な情報なのか?」
「じゅうよう。かみさまも、おなかが、すく」
なお、翌朝の報告会の議事録には、正式な議題として『神様へのおやつの予約(こおらないおやつ・一個)』が記載され、経理の承認印が捺された。俺たちの帳簿は、神仏まで取引先である。
観測日誌、本日の特記。
『夜間、白い空。神託(雑)あり。要旨: 塔の勘定は五十年棚上げされている。誰かが、故意に。……そして、私たちの勘定は、棚上げ不能(公認)』
塔まで、あと二日である。




