第140話 橇と、視る男
橇の旅は、二日目に入った。
雪原は広く、空は高く、道は————ゴルドの頭の中にしか、なかった。
「そこの雪、色が違うだろ。下が空洞だ。左に寄れ」
「よく分かるな、そんなもの」
「北育ちは、雪を二百色に見分ける」
「二百!?……ふ。面白い。では勝負だ、ゴルド。俺の眼と、あんたの経験、どちらが先に危険を見つけるか」
「乗った」
かくして、橇の先頭で、妙な勝負が始まった。結果を先に言うと、七対五で、ゴルドの勝ちだった。俺の加護は「視えるもの」しか視えないが、北育ちの経験は「雪の下の見えないもの」を読むのである。
「参った。北の経験、恐るべし」
「ふん。だが、あんたの眼も大概だ。……三つ目の氷の裂け目、あれは俺も見落としてた。命拾いした」
「では引き分けということで」
「七対五で俺の勝ちだ。北の男は勘定に細かいぞ」
——昼の休憩で、事件が起きた。
例によって、俺が、礼儀として(礼儀として、である)ゴルドを拝見した時のことだ。
————ゴルド。健康状態: 良好。士気: 高い。特記: 下着は、毛皮の……黒。
「……ふ。ふふふ」
「な、なんだよ、急に笑い出して。気味が悪いな」
「ゴルド。あんた、いい漆黒を、穿いてますな」
「はあ!?」
「同志よ!!夜の民は、下着まで夜の色か!!素晴らしい!!俺の魂の色と同じ————ぐはっ」
沙耶の肘が、俺の脇に、深々と入った。
「すみませんゴルドさん。私たちのこれ、黒い下着を視ると発作が出るんです」
「発作!?というか視えてんのか、俺の下着が!?おい、どこまで視えてんだ!!」
「安心されよ。九割は墓まで持っていく」
「一割はどこに行くんだよ!!」
橇の上が、大騒ぎになった。ちなみにヴィクは「またやってる……」の顔で、日誌に『圭吾、国境を越えても通常運転』と記録していた。解せない。敬意の発露なのだが。
——夕方の野営前、文が届いた。
届いた、というのが、北の雪原では珍事である。配達人は、鳥だった。里長の飼っている伝令鳩(角はない。普通の鳩である)が、フォルテからの文を、里経由で追いかけてきたのだ。
「コタからだわ。観測長通信、第一号」
『皆さんへ。フォルテ、全て順調です。観測日誌、毎朝つけてます。判も捺してます。靄、平常値。北の空の色、藍。“朝飯の味”、リタさんの差し入れの黒パン(まだ、かたい。でも、うまい)。……皆さんがいなくて、店の売り上げが二割減ったと、屋台のおやじさんたちが騒いでいます。主にひなたさんの分だそうです』
「「「「…………ぷっ」」」」
「私たちの兵站長、経済圏だったのね、やっぱり」
「ん。かえったら、とりもどす。うりあげ」
『追伸。イタチが、皆さんの家の暖炉の前から動きません。夜、たまに、窓の外を見ています。……たぶん、待ってます。俺もです。観測長・コタ(捺印)』
文の最後には、木彫りの印章の、赤い判。イタチの意匠が、少し、滲んでいた。
「……ちゃんと、捺してるな」
「ん。……コタ、えらい」
ヴィクが、返事を書いた。観測日誌の書式で、几帳面に。最後の一行だけ、書式の外だった。
『追伸。暖炉の前は、いい場所だ。イタチは、分かっている。帰ったら、皆で、そこに座る』
なお、文を届けた伝令鳩は、帰る前に、ひなたにパン屑をもらい、掌に乗って完全にくつろいだ。
「ん。……このこ、かえりたくなさそう」
「頼む、帰ってくれ。お前が帰らないと、コタへの返事が届かない」
鳩は、名残惜しそうに三周旋回して、南へ飛んだ。餌付けの翼に、国境はない。
——夜。北の空の帯が、また少し、近くなった。
ゴルドが、焚き火の向こうで、ぽつりと言った。
「明日の昼には、氷の森だ。……そこから先は、五十年、誰も踏んでない雪だ」
「踏み心地が、楽しみだな」
「……あんたら、ほんとに、変わってるよ」
「よく言われる。褒め言葉として、受理している」




