第131話 夜の関
関守は、若い魔族の女性だった。
濃紺の外套。頭巾の下の、小ぶりの角。琥珀色の瞳。腰に、武器はない。ただ、立ち姿だけで「ここは通さない」と言える種類の、静かな圧があった。
「ようこそ、夜の関へ」
声は、丁寧だった。丁寧で、温度がなかった。
「南の旅人がた。ここより先は、夜の民の地。通行には、関守の認めが要ります。お一人ずつ、前へ」
「(例の“顔で選り分ける”ってやつね)」
「(手順通りに行くぞ。火を掲げて、正面から、だ)」
先頭は、俺だった。灯りを掲げて、関守の前に立つ。
琥珀の瞳が、じっ、と俺の顔を見た。見る、というより————読む、に近い目だった。俺の加護が人を視る時、相手はこう感じるのか、と思う類の。
「……ふ。変わった、絡まり方」
関守は、小さくそう言って、頷いた。
「お通りください」
「かたじけない。……ちなみに、今のは何を見て」
「顔です」
「顔の、何を」
「それは、関守の職掌ですので」
取り付く島は、なかった。だが、敵意もなかった。
続いて、沙耶、隼人、ひなた、姉御たち。全員、同じように「顔」を読まれ、全員、通された。ひなたに至っては、関守が微かに目を見開いて「……良い、絡まり」と呟いた。俺たちの兵站長は、初対面の関守にまで褒められる。
そして————最後の一人が、前に出た。
ヴィクである。
灯りを掲げ、まっすぐ、関守の前に立つ。
琥珀の瞳が、ヴィクの顔を見た。
見て————止まった。
「…………」
関守の、温度のなかった表情が、割れた。目が、見開かれ、唇が、震えて、何かの名前の形に、開きかけて————
「ヴィ」
「それ以上は」
ヴィクが、静かに、遮った。
「……今は、その名では、旅をしていない。ヴィク、と。頼む」
関守は、口を、閉じた。閉じて、深く、深く、頭を下げた。関守が旅人に下げるには、深すぎる角度だった。
「……お通り、ください。ヴィク、様」
「様も、いらない」
「お連れの方々も、あなたの、道連れですか」
「ああ。……私の、家族みたいな、ものだ」
関守の琥珀の瞳が、俺たち八人を、もう一度、ゆっくりと見渡した。そして、最初の冷たさが嘘のように、柔らかい声で、言った。
「なら、良い旅を。夜の民の地は、あなたがたを、歓迎します」
通過の際、関守は、小さな包みを、ひなたに、そっと差し出した。
「……凍り餅です。道中の。……その、良い絡まりの方に、餞別を渡すのが、関守の古い習わしで」
「ん。ありがと。————おねえさんも、たべる?あたしの、こおらないおやつ」
「え。……い、いいのですか」
交換は、成立した。関守が、任務中の顔のまま、耳だけ赤くして蜂蜜菓子を齧るのを、俺たちの全員が、微笑ましく見守った。兵站長の外交に、国境はない。
——門を、くぐった。
九人と馬車が通り抜けるまで、関守は、ずっと頭を下げたままだった。
しばらく歩いて、姉御が、我慢できずに口を開いた。
「……ね、角の子。今の関守さん、あんたの顔見て、名前を言いかけたわよね」
「…………ん」
「知り合い?」
「いや。会ったことは、ない。でも、向こうは、私を知ってた。……そういうことが、ある家なんだ、私の家は」
「ふうん?……ま、いいわ。詮索しないのが、この隊の流儀だっけ」
「悪いな、姉御」
「いいのよ。ただ、ひとつだけ教えて。あの関守さん、あんたに頭下げてる間……ちょっと、泣きそうだったわよ。……いい意味で、よね?」
ヴィクは、少しの間、黙って、それから、小さく頷いた。
「……たぶん。帰ってきた、って意味では」
夜の民の地の、最初の空気を、俺たちは、ゆっくり吸い込んだ。
寒い。フォルテより、ずっと。だが、石碑の言葉の通り、灯りを掲げて歩く限り、この土地は、こちらを拒んでいなかった。
その夜の野営で、ひなたが、関守にもらった凍り餅を、皆に配った。
「ん。かんもりのおねえさんの、こおりもち。……あじが、ちょっと、さみしい」
「寂しい味、とは」
「ひとりで、つくったあじ。……たぶん、あのおねえさん、ずっと、ひとりで、あの門に、たってる」
「「「「…………」」」」
兵站長の舌は、味の向こうの暮らしまで読む。帰りにあの関を通る時は、九人分の飯の匂いを、置いていこうと思った。
「(……なあ、圭吾)」
「(ん?)」
「(関守が言いかけた名前。……“一度あることは、二度ある”の、二度目が、近い気がするぞ)」
「(だろうな。だが、催促はしない。約束なので)」
北の空の帯は、ここからだと、頭上に近かった。




