第129話 吹雪
峠の上は、白かった。
白い、というのは、雪の色のことではない。視界のことである。朝から風が出て、昼前には、世界のすべてが白に塗り潰された。
「吹雪だ!!総員、停止!!」
「馬車、岩陰へ!!」
北方特訓の教えその一。吹雪と競争するな。視界が三歩を切ったら、進むな。掘れ。
「雪洞!!二基、掘るぞ!!馬車の風下!!」
八人の手が、一斉に動いた。特訓の成果である。誰も、指示を待たなかった。
————だが、その時。
「……おい。ミロは?」
姉御の声が、風の中で、尖った。
《酔いどれ猫》の弓手、ミロ。半刻前、「先の道を見てくる」と出た斥候が、戻っていなかった。
「まずいわね。この視界で、単独……!!」
「探すぞ!!だが、二次遭難はしない!!命綱で数珠つなぎだ!!」
「待って。それじゃ捜索範囲が、」
「ん」
ひなたが、風上に、鼻を向けた。
「みつけた」
「!?」
「かぜのなか、ミロの“おべんとう”の、におい。……けさ、わたした、こおらないおやつ。とおくない。ひだり、いわのしたのほう。————においが、うごいてない」
俺たちの鼻は、人は探せない。だが、飯は探せる。そして隊の全員が、今朝、同じおやつを持たされていた。————兵站とは、こういう時のための備えである。
「隼人!!」
「ああ————妙だな。俺の体が、さっきから、軽い」
エースが、にやりと笑った。危険度の上昇。つまり、この吹雪は、加護が「危険」と判定する本物で、そして、俺たちのエースが、大陸最強に戻る時間ということだ。
「命綱、俺に付けろ!!ひなたの方角へ、まっすぐ行く!!」
「行け!!」
隼人は、白い壁の中へ、迷いなく消えた。命綱が、するすると伸びていく。
——十分後。
綱が、三回、引かれた。発見の合図である。
引き戻された隼人の肩には、雪まみれのミロが担がれていた。岩の下の窪みに滑落し、足をひねって動けなくなっていたという。
「い、生きてる……!!悪い、姉御……道が、急に消えて……」
「馬鹿!!このド阿呆!!」
姉御は、ミロを、抱きしめてから、殴った。順番が、姉御だった。
「単独で視界の外に出るなって、何回言わせんの!!B級が聞いて呆れるわ!!」
「面目ねえ……」
「けど、よく生きてた。窪みに入ったのは、正解。……ほら、雪洞入るわよ。手当てする」
——雪洞の中は、外の咆哮が嘘のように、静かだった。
ミロの足に添え木を当て(捻挫。骨は無事)、湯を沸かし、凍らないおやつが配られた。
嵐が過ぎるのを待つ間、暇つぶしに「北方古語しりとり」が開催された。講座の復習を兼ねた、先生発案の知育遊びである。
結果。ひなたが食べ物単語だけで十二連鎖する快挙を成し、隼人は数字しか出せずに三巡で脱落し、俺は「該当単語なし」の中二語彙で全敗した。優勝は、まさかのミロ(寝てる間に覚えた、らしい。人体の神秘である)。
「……しっかし、あんたらの隊、すげえな」
ミロが、しみじみと言った。
「吹雪の中で、匂いで人を見つける嬢ちゃんに、吹雪の中ほど強くなる剣士に、書類で関守を倒す経理。……B級やってて、初めて“格上の隊”と組んでる気がするよ」
「格上ではない。出鱈目なだけである」
「自覚あんのかよ!!」
雪洞に、笑いが起きた。笑いの尻で、姉御が、ぽつりと言った。
「……ね。今の吹雪、ちょっと変じゃなかった?」
「気づいてたか、姉御も」
「ええ。雪雲の動きが、変。朝の空は、吹雪の空じゃなかった。なのに、急に来た。まるで、」
「まるで、峠を、越えさせたくないみたいに」
風の音が、雪洞の外で、唸っていた。
「……考えすぎかもしれん。天気に意思はない。だが、念のため、記録はしておく。観測日誌の、特記にな」
ヴィクが、日誌を開いた。開いて、書いた。
『峠にて吹雪。急発達。特記: 空の様子と合わない吹雪だった。気のせいの範囲————とは、書かないでおく。北では、気のせいを信じない』
夜、沙耶は、雪洞の温度を一刻ごとに記録していた。記録癖である。
「外は氷点下の底なのに、中は、ろうそく一本でこの温度。……雪って、ほんとに断熱材なのね。帰ったら、この記録、ヴィク先生の講座の教材にしましょ」
「ん。ゆきのいえの、けんきゅう。……フォルテのふゆに、やくにたつ」
遭難しかけた夜も、俺たちの手にかかれば、教材になる。転んでもただでは起きないのが、腐れ縁である。
夜、風は、少しずつ弱まっていった。
明日の朝、晴れれば、石碑の関である。




