第124話 出立前夜
出立前夜、我が家に、回覧板が回ってきた。
宴では、ない。宴は、しないと決めていた(帰ってきてからの分を、取っておくのである)。代わりに、街のみんなが考えたのが「回覧板」だった。
板、といっても、実際は分厚い紙の束である。街の顔ぶれが、ひとことずつ、書いて回した寄せ書きだった。
「読み上げるわよ。……『黒パンの補充、三十個、馬車に積んどいた。特売価格でいい。パン屋』」
「泣かせる上に実用的!!」
「『北で酒が切れたら、そこで冒険は終わりだ。樽ひとつ積んどけ。ドワーフ一同』……積んであったわ、もう」
「早い!!」
「『観測日誌の写し、月イチで待ってます。“朝飯の味”の欄は必須。リタ』『縁の点検、月イチでちゃんとやりなさいよ、九人の中でも。ロゼ』『帰ったら再戦だ。丼で。コタ』『嬢ちゃんの角の磨き布、荷に入れた。コルン村ばあちゃんズ』————」
「まだあるわよ。『北方の宿一覧、活用されたし。喧嘩の続きも書いておいた。暁の誓約(工事中)』『計器を壊すな。壊したら、北まで取り立てに行く。セヴラン』『君たちがいない王都はつまらないよ!!母上も寂しがってる!!ユリス』……あと、これ」
最後から二枚目は、宛名も署名もなく、几帳面な字で一行だけ。
『観測日誌の続きを、楽しみにしている。“朝飯の味”の欄も。————漆黒の同志より』
「ロズリンさん!?自分から名乗った!?」
「あの人、たまに攻めるのよね……事務の顔で」
読み上げは、二十分続いた。最後の一枚は、ヘクトルさんの字で、一行だけだった。
『生きて帰れ。以上』
「……教官らしいわね」
「ん。いちばん、みじかくて、いちばん、おもい」
荷の最終確認では、恒例の議題が出た。
「で————勝負服、持っていくの?」
「も、持っていかない!!旅装で行く!!あんな嵩張るもの……」
「ん。もう、つめた」
「詰めたのか!?」
「かさばらないように、たたみかた、くふうした。……“ここぞ”は、たびさきにも、ある」
「〜〜っ、か、勝手にしろ!!」
勝手にした。勝負服は、荷の一番上に、鎮座した。
——夜半。荷の最終確認が終わって、それぞれが、それぞれの夜を過ごした。
沙耶は帳面の行程表を三度見直し、隼人は剣を研ぎ、ひなたは弁当の最終数量を数え(途中で一個食い、数え直しになった)、俺は設定ノート(この世界で四冊目)に、北行きの決意を三頁書いた。
ちなみに、俺の設定ノート(四冊目)の北行き決意三頁の中身は、こうである。一頁目: 北方の伝承と俺の設定の照合表(役に立つ日が来る。たぶん)。二頁目: 旅の口上・全二十種(十秒版に改稿済み)。三頁目: ————白紙。
白紙の頁の隅には、こう書いてある。『この頁は、北で見たものを書く。設定ではなく、事実を』。
設定ノートに事実の頁ができるのは、四冊目にして、初である。
そして、屋根の上である。
先客は、いた。当然のように。毛布も、二人分、敷いてあった。当然のように。
「……眠れないのか、我が眷属」
「お前もだろ」
「俺は違う。前夜の屋根は、儀式なので」
「なら、私も儀式だ」
北の空は、よく晴れていた。灰色の帯が、地平の際に、静かに横たわっている。明日から、あれに向かって歩くのだ。
「なあ、圭吾。……ひとつだけ、先に謝っておく」
「ほう」
「北で、私は、たぶん、隠し事をする。まだ言えないことが、いくつもある。家のこと。塔のこと。……探し人のこと。都合が悪くなったら、黙る。……そういう旅になる。先に、謝っておく」
「ふむ」
俺は、夜空を見たまま、答えた。
「謝罪は、却下する」
「……なんでだ」
「隠し事は、荷物だからだ。旅ってのはな、我が眷属よ。荷物を持った奴を、責めながら歩く場所じゃない。重そうなら、時々、持とうか?と聞く場所だ」
「…………」
「だから、こう言い直せ。『重くなったら、言う』と。それなら、受理する」
ヴィクは、長いこと、黙っていた。
それから、膝を抱えたまま、小さく、言った。
「……重くなったら、言う」
「受理した。以上、前夜の儀式、終わりである」
「……ふ。なんだ、その儀式」
「俺たちの流儀だ。慣れろ」
「もう、慣れてる」
眷属は、笑った。フードのない、月明かりの下の、100点の笑い方だった。
——布団に入る前、俺は、円卓の上に、一枚の紙を置いた。
明日の朝、全員で読む分である。書いてあるのは、家訓と、行程と、そして一番下に、大きく一行。
『これは、別れの旅ではない。連れて帰る旅である』
北の空の下、フォルテ最後の夜が、静かに更けた。




