第115話 白い夜
誓約更新の儀は、夕刻、暁の拠点の広間で始まった。
広間は、白かった。掃き清められた床。白布の祭壇。等間隔に並べられた蝋燭。暁の四人は、揃いの正装で、祭壇の前に、綺麗に、正座していた。
そして、その中央に、白い外套が、にこにこと立っていた。
「皆さま、ようこそ。本日は、良き誓いの日和で」
巡礼は、参列席の俺たちを見ても、にこにこを、崩さなかった。
「おやおや。“毛玉”の皆さまも、ご一緒でしたか」
「シリルの招待でな。……それと、参列者への振る舞いも、仰せつかっている」
ちなみに、入場の受付で、ひと悶着あった。参列者名簿に、俺が「漆黒の医院・院長」と記帳したのである。
「圭吾くん、ええと、これは……本名で頼めるかな」
「では併記で」
「併記って、名簿に二行使うの、君だけだよ!?」
シリルに苦笑いで訂正され、名簿には「圭吾(元・院長)」と残った。元、が付いた理由は不明である。シリルなりの折衷案らしい。
広間の隅では、既に、鍋が湯気を上げていた。岩割り兄弟が搬入した特大の鍋で、ひなたが、おたまを構えて仁王立ちしている。白い儀式の間に、飯の匂いが、堂々と漂っていた。
ちなみに鍋の搬入時、岩割り兄弟が、白い広間の入り口で軽く揉めた。
「おい、鍋の脚の位置、床の板目に合わせろ。儀式の場だぞ」
「板目より水平だろ。汁がこぼれたら大惨事だ」
「板目!!」「水平!!」
「(《腐れ縁》の外の連中まで、私たちの流儀に染まってきてるのよね……)」
最終的に、板目に合わせた上で水平を取るという職人の妥協が成立し、鍋は儀式の広間に、堂々と鎮座した。
「ふふ。賑やかなことで。……では、始めましょうか」
——儀は、静かに、進んだ。
蝋燭が灯される。四人が、目を閉じる。歴代の誓句が、読み上げられていく。
『互いを疑わず、役割を守り、背中を預ける』
読み上げの声は、美しかった。美しくて、少しずつ、細くなっていく誓いの変遷が、参列席の俺たちには、痩せていく糸にしか、聞こえなかった。
「(……始めるわよ)」
「(ああ。営業、開始だ)」
俺たちは、いつも通りを、始めた。
まず、俺と沙耶の小声の口論である。議題「参列の座布団の位置が予定と半歩ずれている件」。
「(あんたが詰めなさいよ)」
「(俺は式次第の紙を持つ係だ。動けば紙が鳴る)」
「(係の数が人数より多いのよ、私たちはいつも!!)」
次に、隼人の飯の偵察と、ひなたの防衛である。
「(なあ、あの鍋、味見まだ?)」
「(ん。だめ。ほんばんまで、ふうじる)」
「(一口だけ)」
「(いちくちが、いちばん、しんようできない)」
参列席の端から、姉御が「静かにしなさいよあんたたち」と言いながら、肩を震わせて笑いを堪えていた。
白い広間の中で、俺たちの一角だけが、生活の音を立てていた。
——変化は、唱和の三巡目に、起きた。
目を閉じて誓句を唱えていたミアの睫毛が、ぴくり、と動いたのである。鼻が、小さく、ひくついた。
鍋の、匂いだった。
『……(これ、あれだ。故郷の、冬至の鍋の……なんで)』
盾役の喉が、こく、と鳴った。斥候の唱和が、半拍、遅れた。シリルの綺麗な背筋が、ほんの少しだけ、揺れた。
巡礼の、にこにこが、微かに、深くなった。
「皆さま。心が、揺れておりますね。……いけません。誓いの前では、心は、静かな水面でなければ」
「巡礼。ひとつ、質問が」
俺は、手を挙げた。参列者の、正当な権利である。
「その“静かな水面”とやらは、誓いに、必須ですかな。……俺の知る限り、こいつらの一番いい誓いは、腹の鳴る音と一緒に立てられたもんですが」
「おや。……参列者さまは、儀の作法にお詳しくない様子。誓いとは、雑音を捨てて――」
「雑音、ときたか」
俺は、立ち上がった。ゆっくりと。礼儀の範囲で。
「巡礼。あんたの言う雑音ってのはな————腹の音と、飯の匂いと、隣の奴の貧乏ゆすりと、言いかけてやめた文句のことだ。……そいつを全部捨てた誓いが、誰と誰の誓いになるのか、俺にはさっぱり分からんのだが」
「「「「…………」」」」
暁の四人が、目を、開けていた。
巡礼は、にこにこのまま、俺を見た。数える目で。
「……毛玉の御仁。儀を、妨げますか」
「まさか。参列と、質問と、振る舞いの支度をしているだけだ。なあ、暁の諸君。ひとつだけ、聞かせてくれ」
俺は、四人に向き直った。
「新しい誓いの句を、もう、聞いたか。『何も、望まない』。……あんたたちは、それを、望むのか」
蝋燭の火が、揺れた。
シリルの唇が、開きかけて、閉じて、また、開いた。
「僕、は————」
白い夜の、静寂が、割れ始めていた。




