第110話 シリル、笑わない
——同じ日の、午後である。
朝の合同討伐の後始末を終え、ボルグの肩に包帯が巻かれたのを見届けて、それから、俺たちは動いた。まず、正攻法である。
「絆外来の、定期検診です!!Cランク昇級記念の無料奉仕!!」
という名目で、暁の拠点に乗り込み、処方を、片っ端から試した。
油壺作戦、不発。暁には「道具のこだわり」で揉めた歴史が、ない。装備は結成時から全員、規格統一である。
報酬袋作戦、不発。「宛名がひとつ?なら、皆で分ければいいね」と、一秒で綺麗に解決された。
鍋の〆作戦、不発。「〆は日替わりの当番制だよ」と、そもそも争点が存在しなかった。
「(全滅よ、全滅!!引っ掛かりが、ほんとに、ひとつもない!!)」
「(三十年物の恨みどころか、三日物の愚痴すらないのか、この人たち!!)」
奥の手の「演劇作戦」も、試した。沙耶が変装して、シリルに近づき、嫉妬なり警戒なりの“感情の引っ掛かり”を起こす作戦である。
結果。
「やあ、沙耶さん。変装ですか?似合ってますね。ミアも呼びましょうか、その格好、きっと褒めますよ」
「一秒でバレた上に、綺麗に善意で返された……!!」
「あの人、疑うという機能が消えてるのよ。もう」
最後の頼みの、隠し事の開封も——
「隠し事?うーん、ないなあ。僕らは、なんでも話し合うから」
シリルの返事は、綺麗だった。綺麗で、完璧で、取り付く島もなかった。
——収穫が、ひとつだけ、あった。
帰り際、沙耶が、ミアの袖を引いた。先日、こちらから頼んでおいた“宿題”の回収である。ミアは、周囲を確かめてから、こっそり紙束を渡してきた。
歴代の、誓句の控えだった。
夜、円卓に、五年分の誓いの言葉が並んだ。
結成時: 『互いを疑わず、役割を守り、背中を預ける』
二年目: 『互いを疑わず、役割に徹し、背中を預ける』
四年目: 『疑いを持たず、役割に徹し、全てを預ける』
前回: 『疑いなく、乱れなく、全てを預ける』
「……見なさいよ、これ。“互いを”が、消えてる」
沙耶の指が、震えていた。
「最初の誓いには、“互い”がいたのよ。相手がいた。それがどんどん削られて、最後は“疑いなく、乱れなく”……相手のいない、ただの、綺麗な状態になってる」
「磨かれてるな。……ヴィクの読み通りだ」
「で、今回の“新しい句”の草案が、これ。ミアが写してくれた」
紙には、一行。
『何も、望まない』
円卓が、凍った。
「……望まない、って。何よ、それ。誓いですらないじゃない」
「いや、最後の誓いだよ、それは」
ヴィクの声が、掠れていた。
「望みは、糸の始まりだ。何かを望むから、人は結ぶ。……“何も望まない”を誓ったら、新しい糸は、二度と、出ない。今ある綺麗な形のまま、絆が、完成する。完成って、つまり」
「止まる、ってことだ」
俺は、教本の空欄の頁を、開いた。開いて、書き込めるものが、まだ、何もなかった。
「……なあ。ひとつだけ、確認だ。シリルは、今日、笑ったか?」
全員が、記憶を、さらった。
微笑は、あった。礼儀の形の、綺麗な微笑は、ずっとあった。だが——
「……声を上げて笑ったのは、見てないわ。今日は」
「昨日も、だ」
「ん。……わらいかた、わすれてる。けんかと、おなじ」
外の雪が、音もなく降り続いていた。
「儀まで、あと五日。……手は、あるの?」
「ひとつだけ、考えてる」
俺は、黒板の隅の、毛玉の絵を見た。
「引っ掛かりがないなら、作るしかない。それも、外から傷をつけるんじゃなく——連中が“自分から引っ掛かりたくなる”ものを、見せるしかない」
「見せるって、何を」
「決まっている。世界一、汚くて、うるさくて、間違いだらけの絆をだ」
四人と一匹(遊びに来ていたイタチ)の視線が、俺に集まった。
「つまり、いつも通りの俺たちを、あいつらの目の前でやる。……作戦名は、そうだな」
「(あ、また長いのが来るわよ)」
「≪営業≫だ」
「「「「短っ」」」」
「姉御の教えその一、口上は十秒まで。……応用編である」
——夜。屋根の上。
「なあ、圭吾。ひとつ、確認したいんだが。……綺麗なことは、悪じゃ、ないよな」
「ああ。悪ではない」
「暁の連携は、綺麗で、強い。あれ自体は、五年間の努力の結晶だ。……なら、どこからが、駄目なんだ。どこまでが、成長で、どこからが————病気なんだ」
「……難問だな。俺の答えは、こうだ。————“戻れるかどうか”」
「戻れる?」
「綺麗になっても、汚いところに戻れるなら、それは成長だ。戻れなくなったら、病気だ。……俺たちが毎日汚れてるのはな、我が眷属よ。帰り道の点検なんだ。たぶん」
「……ふ。理屈っぽい。————でも、今夜のは、書き留めておく」
儀まで、五日。俺たちの営業が、始まる。




