第109話 代われ、が言えない
三日ぶりに会った暁の連中は、また一段、綺麗になっていた。
ギルドの朝である。依頼板の前で、シリルが、こちらに気づいて手を挙げた。
「やあ、圭吾くん。ちょうどよかった」
板から剥がされた一枚が、差し出される。『西の畑、ボア四頭。作物被害、継続中。危険度・低』。
「僕らが受けようと思ってたんだ。四頭のうち一頭が、かなり大きいらしくてね。……よければ、合同でどうだい」
「乗った。ちょうど眷属に、実戦を見せておきたかったところだ」
「私は見物人か!?」
かくして、九人の朝である。
——道すがら、俺は、礼儀として、四人を順に拝見した。
シリル。疲労、軽微。特記、絆・整流中。ミア、ボルグ、ニナ。三人とも、同じ。三日前より、一段、深い。
その最後で、ニナが、ふと、こちらを振り向いた。
「……あの。今、見ました?」
「見ていない」
「見ましたよね。首の後ろが、ぞわっとしたので。斥候の勘です」
「加護の話である。あんたの襟元の話ではない」
「襟元の話は誰もしてません!!」
「ニナさん、ごめんなさいね。うちのこれ、公文書に載ってる方なので」
「公文書!?」
「名誉ある記載である」
「名誉じゃないのよ」
隼人が、腹を抱えて笑った。ボルグが、その隼人を見て、綺麗に微笑んだ。笑い声は、続かなかった。
——現場は、林と畑の境の、空き地だった。
ニナが、雪の残る足跡を読んで、戻ってきた。しゃがんだまま、指で地面に線を引く。
「大型が一頭、林の奥。小型三頭が、手前の茂みに散ってます。……問題はこっち。畑側に、柵の切れ目がひとつ。追い込み方を間違えると、四頭とも畑へ雪崩れます」
「では、こうしよう」
シリルが、迷わず線を足した。
「僕らが林側から詰める。腐れ縁の皆に、畑側の口を塞いでもらえるかい。一頭も、作物のほうへは行かせない」
「承知した。……ニナさん。逃げ口の幅は」
「橇一台ぶん。二人立てば、塞げます」
「ん。あたしが、たつ」
「一人で塞ぐ気か、兵站長」
「ん。だって、こっちがわ、はたけ」
我が家の兵站長にとって、畑は、聖域である。理由としては、たぶん一番強い。
——始まった。
林の奥から、まず、大型が出た。
見上げるほどの、黒い塊だった。牙が、朝の光を跳ね返す。踏み込むだけで、地面が鳴った。
「ボルグ!!」
「————おう」
盾が、正面から、それを受けた。がん、と鈍い音が鳴って、ボルグの足が、雪を削って半歩下がる。それだけだった。名門B級の盾は、伊達ではない。
「ミア!!右へ回らせるな!!」
「はい!!」
ミアの手から、細い光の帯が三本、大型の右側の地面へ走った。爆ぜて、雪と土が跳ねる。大型が、嫌がって、左へ体を振った。教科書通りの、綺麗な牽制だった。
同時に、茂みから、小型が三頭、一斉に飛び出す。
「一頭、僕がもらう!!」
シリルが跳んだ。一頭目の首に、剣が、迷いなく入った。
「二頭目、畑!!行くぞ!!」
俺は叫んだ。視えている。小型の二頭目が、柵の切れ目へ、まっすぐ向いた。
「ん」
ひなたが、腰を落として、投げた。
黒パンが、うなりを上げて飛び、二頭目の横っ面に、ゴッ、と入った。小型が、横倒しになって、雪を巻き上げる。
「隼人!!」
「おう!!」
倒れた一頭に、エースの剣が落ちた。一撃だった。
——その、後ろで。
大型の三度目の突進を受けたボルグの盾が、一寸、下がった。
「ボルグ」
ミアが、詠唱の合間に、声をかけた。
「交代しましょう。私が引きます。少し、休んで」
「————平気だ」
盾の陰から、短い返事が返った。
「まだ、支えられる」
ミアの唇が、一度、開いて、閉じた。
「……分かったわ。無理は、しないでね」
俺は、それを、横目で聞いていた。聞いていて、口を挟めなかった。三頭目が、まだ、動いていたからである。
「三頭目!!林の縁!!人から離れてる!!」
「————それでいい」
ヴィクの掌に、紫紺が灯った。細い光が、木立の間を縫って、三頭目の胴を、貫いた。
「ヴィク、詰めすぎ!!木の根、右!!」
沙耶の声が飛ぶ。ヴィクが、言われた通りに一歩ずらした。うちの経理は、敵に一撃も当てられない。当てられない代わりに、味方の足元を、ずっと見ている。
「圭吾、柵!!さっきの一頭が突っ込んだせいで、切れ目が広がってるわ!!」
「————ひなた、寄れ!!ニナさんの言った通りだ、二人要る!!」
「ん」
俺は、切れ目の端に立った。畑を背にすると、空き地の全部が、正面に来る。
——そして、大型が、残った。
「ニナ、報告!!」
「シリル!!林の裏に回り込める道!!三歩ぶん、雪が硬い!!」
「助かる!!ボルグ、位置を変えるよ。二歩、左!!」
「————おう」
暁は、喋っていた。よく喋り、よく応え、位置を変え、受け直した。五年ぶんの連携は、綺麗なだけではなかった。速くて、正確で、しかも、噛み合っていた。
正直に言う。見惚れた。
四度目の突進で、ボルグの踏み直しが、半拍、遅れた。
俺には、視えた。切れ目からでも、視えた。盾を握る腕が、細かく、震えているのが。
「シリル!!」
俺は、畑を背にしたまま、腹の底から叫んだ。
「盾が保たん!!代われ!!」
シリルの顔が、こちらを向いた。向いてから、ボルグを見た。
「ボルグ。君が平気なら、僕は————」
「平気だ」
「……そうか。君を、信じるよ」
綺麗な、信頼だった。
一往復で、綺麗に、終わった。
俺は、もう一度、叫ぼうとした。
叫ぶより、五度目の突進の方が、早かった。
盾が、傾いだ。
大型の肩が、盾の縁を舐めて、ボルグの体が、横に飛んだ。革の肩当てが雪の上を滑り、その下の肩が、凍った地面を擦った。
「ボルグ!!」
「————どけ!!」
飛び込んだのは、隼人だった。
倒れたボルグと大型の間に体をねじ込み、剣の腹で牙を受け、足を踏ん張って、押し返す。
「畑!!行かせるな!!」
俺の声に、ひなたが、逃げ口の真ん中へ、どすんと立った。二頭目を倒したばかりの黒パンは、もう手にない。素手である。それで、充分だった。大型は、目の前の壁の質量を測って、突進をやめた。
沙耶が、ボルグの襟をつかんで、後ろへ引きずり出す。
「ひなた、こっち!!押さえて!!」
「ん。……けいご、あな」
「ニナさん!!こっちへ!!二人で塞ぐ!!」
「入ります!!」
斥候が、飛び込むように切れ目の端に立った。ひなたが抜けた穴が、埋まる。大型は、隼人の剣に押さえられたまま、畑を見ることすら、できなくなった。
ひなたが、擦れた肩に、掌を押し当てた。血は、多くない。
「シリル!!隼人が押さえてる!!押さえてる間しか、ない!!」
隼人は、両手が塞がっていた。剣の腹で牙を受け、足を踏ん張って押し返すだけで、精一杯である。斬るには、手が足りない。
そして、押さえられた大型の喉へ、まっすぐ回り込める位置にいるのは、林側のシリル、ただ一人だった。
シリルの顔が、上がった。
「ニナ!!」
「切れ目から動けません!!でも、道は覚えてます!!さっきの三歩、硬いところ!!そこから左!!」
「ミア!!」
「行きます!!」
ミアの光の帯が、大型の顔面で爆ぜた。目を灼かれた黒い塊が、天を仰いだ。その喉へ、名門B級のリーダーの剣が、まっすぐ、入った。
大型が、崩れた。
四頭、討伐。最後の一頭は、暁の手の中にあった。
——後片付けの、空き地である。
沙耶の携行袋から包帯が一巻き出て、ボルグの肩に巻かれた。歩ける。骨も、腱も、無事だった。避けられた怪我としては、軽い方である。避けられた怪我である、という一点を除けば。
「すまん。……手間を、かけた」
「気にすんなよ。俺、割り込むの得意なんだ」
「うん。……不思議なんだが」
ボルグが、巻かれた肩を、他人の物みたいに眺めた。
「五度目が来た時、俺は、危ないと思わなかった。思えなかった、が正しいのかな。……最近、恐怖を感じなくなった。いいことのはずなんだが」
「「「「…………」」」」
俺たちの五人は、誰も、答えられなかった。
黒い塊の脇では、畑の持ち主の爺さんが、泣きながら手を合わせていた。礼は、その場で片付いた。ボア肉と、冬野菜がひと箱。半分は暁へ、半分は俺たちへ。ギルドの窓口には、討伐証明の紙が一枚。
「ん。……にく」
ひなたが、猪の腹のあたりを見たまま、少しだけ、口を開けていた。
「兵站長。顔」
「ん。……ふゆの、にく。あぶら、のってる」
「見ただけで分かるのね」
なお、猪の顔面で潰れた黒パンは、戻ってこなかった。ひなたは、その場で、しばらく黙祷していた。
——帰り道、シリルが、俺の横に並んだ。
「圭吾くん。さっき、君は“代われ”と言ったね」
「言った。届かなかったが」
「届いてたよ。ちゃんと、聞こえてた」
雪を踏む音が、四つ、五つ。
「聞こえていて、僕は、ボルグを見た。腕が震えているのも、見えていた。……それで、僕の口から出たのは、“君を信じるよ”だ。……綺麗だろう」
「綺麗だな」
「うん。綺麗だった。……で、ボルグは、転んだ」
シリルは、それきり何も言わずに、まっすぐ前を向いて歩いた。綺麗な背中だった。綺麗な背中の、肩のあたりに、初めて、力が入っているのが見えた。
儀まで、あと五日。
午後の予定は、決まっている。絆外来の、押し売りである。




