第108話 誓約の型
夜、我が家の黒板の前に、ヴィク先生が立った。
本日の講義は、北方古語ではない。「誓約」である。
「講義する。よく聞け。絆には、型がある。前に一度、さわりだけ話したな。信頼なら信頼、犠牲なら犠牲————綺麗な形に沿って力が流れる、というやつだ。今日は、その中身をやる。代表は三つ。信頼型、犠牲型、共闘型。で、その中で最古の型のひとつが、“誓約型”だ」
黒板に、綺麗な幾何学模様が描かれる。編み目のように整った、対称の図形。
「誓約は、言葉で結ぶ。“誓いの文句”という設計図の通りに、糸が編まれる。だから形が、こうなる。……美しいだろう」
「美しいな。俺たちの毛玉と大違いだ」
「毛玉の図も描いてやろうか」
黒板の隅に、ぐしゃぐしゃの塊が描かれた。実物大の写生だそうである。解せない。
「で、だ。誓約型の強みは、揺らがないこと。設計図があるから、迷いが出ない。《暁の誓約》があれだけ精密に連携できるのは、この型のおかげだ。……ただし」
先生の声が、低くなった。
「弱点も、同じ場所にある。設計図があるってことは、“どこを梳けば全部ほどけるか”が、外から見えるってことだ」
「「「「…………」」」」
「毛玉は、ほどく順番が分からないから、ほどけない。誓約は、編み目が正確だから——端の一本を見つけられたら、するすると、最後まで」
「その端の一本ってのは」
「誓いの文句、そのものだ。“互いを疑わない。役割を守る。背中を預ける”。……あの言葉を、少しずつ“より正しく”磨いていけば、いい。疑わない、を、意見しない、に。役割を守る、を、はみ出さない、に。背中を預ける、を、自分では何も決めない、に」
沙耶が、息を呑んだ。
「……磨いてるのよ、あの巡礼。壊すんじゃなくて、磨いてる。誓いの言葉を、少しずつ“完璧”に寄せて」
「そうだ。だから本人たちには、良くなってるようにしか、感じられない。……整流、の正体だ」
講義の途中、隼人が手を挙げた。
「なあ先生。そもそも論なんだけどよ。誓いなんて無い方が、楽じゃね?俺たちみたいに」
「いい質問だ。……いいか、私たちに誓いが無いんじゃない。私たちのは“誓いにする必要がない”んだ。毎日全部口に出してるから。文句も、感謝も、悪口も。……誓約ってのは、口に出さなくなる代わりの、保存の術なんだ」
「保存……つまり、俺たちは生モノで、暁は保存食か」
「ん。なまものは、しんせんなうちに、たべる」
「例えが台所から出ないのよ、私たちの会議は」
なお、黒板の毛玉の絵には、いつの間にか経理の字で値札が付いていた。『査定額: 算定不能(担保価値: 無限大)』。俺たちの経理は、たまに、詩人である。
——議題は、更新の儀に移った。
シリルから聞き出した式次第は、こうである。誓いの文句の唱和。導師の祈り。そして「新しい誓いの句の授与」。
「三つ目だ。“新しい句の授与”。……更新のたびに、句が書き換わってる。たぶん、少しずつ、な」
「証拠は、取れるの?」
「ミアに頼んである。歴代の誓句の控えを、探してもらってる。……あの子も、薄々、気づいてるから」
「で、当日は、どうする気だ。乗り込んで巡礼をぶっ飛ばすか?」
隼人が、剣の手入れをしながら言った。気持ちは、分かる。分かるが。
「駄目だ。今回は、それが一番まずい」
ヴィクが、首を振った。
「暁は、操られてない。“心から”望んでる。あの状態で儀を力ずくで止めたら、暁にとって、私たちは“大切な儀式を壊した乱暴者”だ。絆は守れても、縁が切れる」
「じゃあ、どうすんだよ!!」
「……儀そのものの中で、勝つしかない。向こうの土俵で、向こうの流儀で、暁自身に“選ばせる”形で」
円卓が、うなった。難題である。
なお、講義中に居眠りした隼人には、写経二枚が科された。写す文言は「誓約の歴代の句」である。
「なんで俺が誓いの言葉を書き写して……ん?待てよ。これ書いてて思ったけどよ」
隼人が、筆を止めた。
「この誓い、削られてった言葉ってさ。全部“めんどくさい”方の言葉なんだな。互いを、とか。背中を、とか。相手がいると、めんどくさいもんな」
「「「「…………」」」」
「え、何。俺、変なこと言った?」
「いや————写経の効能が、初めて実証された瞬間だ」
居眠りの天罰が、本質を突いた。俺たちの講義は、たまにこういうことが起きる。
——散会後。屋根の上、定位置。
「……なあ、圭吾。ひとつ、白状しておく」
「ん?」
「誓約の型に詳しいのは、講座で習ったからじゃない。私の故郷の、家の絆が、あの型だったからだ」
夜風が、少しの間、二人の間を通り過ぎた。
「大きな、大きな誓約だった。一族全員が、ひとつの誓いで編まれてた。美しかったよ。本当に。……で、美しかったから」
「狙われた、か」
「……その先は、まだ、言えない。ただ……シリルたちを見てると、昔の家を思い出すんだ。だから、今回のは——負けたくない。私情で悪いが」
「ふ。何を言うかと思えば」
俺は、夜空に向かって、いつも通りに答えた。
「私情、大いに結構。俺たちの戦う理由は、いつだって私情だ。街が好きだから守る。飯がうまいから狩る。眷属が泣きそうだから、勝つ。公明正大な理由で戦ったことなど、一度もない」
「…………ふ。ふふ。そうだった。お前たちは、そういう連中だった」
「そういう連中である。さて、我が眷属よ。策を練るぞ。夜は長い」
「ん。……望むところだ」
儀まで、あと七日。
黒板の毛玉の絵は、消さずに残しておいた。あれが俺たちの、設計図のない設計図である。




