第107話 綺麗な挨拶
違和感が形になったのは、ギルドの朝だった。
依頼板の前で、《暁の誓約》の四人と一緒になった。挨拶を交わす。それだけの、朝の風景である。
「おはよう、皆。今日もいい天気だね」
「おはようございます、シリルさん」
「おはよう。……うん、いい天気だ」
「おはよう」
「「「「…………」」」」
俺たちの五人は、顔を見合わせた。
今の挨拶、四人が、まったく同じ抑揚だった。息継ぎの位置まで、揃っていた。
「(なあ。合唱の練習でもしてるのか、あの人たち)」
「(してないでしょ。……してないから、変なのよ)」
俺は、覚悟を決めて、一拍、切り替えた。拝見する。
——シリル。健康状態: 良好。疲労: 軽微。機嫌: 平静。特記: 絆・整流中。
背中が、冷えた。
該当なし、ではない。まだ、消えてはいない。だが、「整流」。流れを、整えられている最中、ということか。
「(視えたのね)」
「(ああ。……進行中だ。ドムさんたちの時より、ずっと、ゆっくり。ずっと、丁寧に)」
午前のうちに、暁の訓練風景も、こっそり観察した。
的当ての的を見て、隼人が、うめいた。矢の穴が、全部、中心の一点に、同心円状に重なっていたのである。
「……すげえ、けど。なんつうか、こう」
「怖い、のよね。上手すぎて」
「ん。まと、かわいそう」
「的に同情する日が来るとはな」
ちなみに俺たちの的は、いつも穴がバラバラで、たまに的自体が消滅する(出力事故)。どちらが健全かは、もう、分からない。
——昼、シリルを、飯に誘った。
探りを入れるためである。が、探るまでもなく、本人が、ぽつりと言った。
「……なあ、圭吾くん。変なことを聞いていいかい」
「どうぞ」
「“喧嘩の仕方”って、どうやるんだったかな」
俺は、匙を、止めた。
「……忘れたんですか」
「うん。……いや、変だよね。分かってる。でもさ、この間、ミアが珍しく僕の采配に文句を言いかけたんだ。で、僕は言い返そうとして、出てこなかった。言い返す言葉が、どこを探しても。代わりに口から出たのは“そうだね、君が正しいよ”で」
「……それで?」
「ミアも“いえ、あなたが正しいわ”って。……で、二人で笑って、終わった。綺麗に、終わったんだ。……綺麗に終わったのに、なんでかな。夜、眠れなくてね」
シリルは、綺麗な顔で、綺麗に笑った。
「変だよね、こんな相談。喧嘩がないのは、いいことのはずなのに」
「シリル」
「うん?」
「その“いいことのはず”って言葉、最近、よく使いませんか」
シリルの笑顔が、初めて、一瞬だけ、止まった。
「…………言われてみれば。口癖みたいに、使ってる、かも」
——午後。ミアが、沙耶を訪ねてきた。
女子二人の相談は、台所の茶の間で行われた。俺たちは席を外した——が、俺たちの壁は薄い(実証済み)。
『……最近ね、みんな、優しすぎるの』
『優しすぎる?』
『そう。誰も、怒らない。誰も、拗ねない。誰も、無茶を言わない。理想のパーティなの。ずっと憧れてた形なの。……なのに、怖いのよ、沙耶。夜中にね、思うの。私たち、このまま全員が“正しい”だけになったら、何が残るのって』
『……ミア。ひとつ聞くわ。その感じ、いつから?』
『遠征の、帰り道から。……あの、巡礼様に会ったあたりから、かな』
台所が、静かになった。
『ね、沙耶。笑わないで聞いてね。あの導師様……とても、いい方なの。いい方なんだけど……あの方が拝んでくれた日の夜からね、夢を見るの。真っ白い、綺麗な部屋で、みんなで背筋を伸ばして座ってる夢。誰も、何も、喋らないの。……それが、すごく——安らかなの。安らかで、目が覚めると、泣いてるの』
——夕方。円卓、緊急会議。
「症状を整理するわよ。①言い返す言葉が出ない ②口癖“いいことのはず” ③白い部屋の夢 ④本人たちは巡礼に好意的。……最悪ね。外から刈られたドムさんたちと違って、内側から、ゆっくり“整えられて”る」
「外来の処方は」
「効かない、たぶん」
ヴィクが、教本の最後の頁——あの空欄を、開いた。
「油壺も、報酬袋も、隠し事の開封も、全部“既にある引っ掛かり”を使う処方だ。……暁には、それが、ない。誓約の型が綺麗すぎて、汚れの取っ掛かりが、最初から存在しない」
「なら、どうすんだよ」
「……分からない。だから、調べる。まず、あの“更新の儀”の中身をだ」
会議では、暁専用の「問診票」も設計された。
「普通の問診じゃ、全員“問題ありません”で終わるわ。だから、質問を変える。————『最近、無性に食べたくなったものは?』『最後に大声を出したのはいつ?』『今、一番めんどくさいことは?』」
「めんどくさい、を聞くのか」
「“めんどくさい”はね、心が生きてる証拠なのよ。整えられた心には、めんどくさいが、ないの」
「……深いな、絆外来の問診」
会議の隅で、ひなたが、ぽつりと言った。
「……シリルたち、ごはん、たべるの、はやくなった」
「ん?」
「まえは、たのしそうに、たべてた。いまは、ただしく、たべてる。……ごはんは、ただしく、たべるものじゃ、ない」
俺たちの兵站長の物差しが、今日も、一番深いところを測った。
儀まで、あと八日である。




