第105話 湯屋のぬし、現る
暁の儀まで、まだ日がある。その間も、湯屋は毎朝、湯を沸かす。
事件の第一報は、毛玉が持ってきた。
「きゅっ!!きゅきゅっ!!」
朝の我が家に飛び込んできた湯守イタチが、圭吾の袖を咥えて、ぐいぐい引っ張る。
「どうした番人。……湯屋で、何かあったか」
「きゅうっ!!」
——あった。大あり、だった。
湯屋に着くと、番台のおかみが青い顔で出てきた。
「助けとくれ!!男湯の配管に、なんか、でっかいのが詰まってる!!湯がぜんぶ、ぬるぬるになっちまって!!」
「ぬるぬる?」
浴場を覗くと、湯船の湯が、妙な粘り気を帯びて、てらてら光っていた。俺は、視た。
——粘性スライム(大)。状態: 満悦。特記: 温泉を気に入っている。
「スライムだ。しかも、風呂を気に入って住み着いた個体。……冬の湯屋は、温かいからな」
「ぬしじゃないか、それもう」
ちょうど朝湯に来ていたロゼ姉御が、面白そうに湯船を覗き込んだ。
「討伐依頼、出すまでもないでしょ。あたしらでやっちゃお。湯屋には、あたしも世話になってるしね」
ちなみにこの時点で、湯屋の前には野次馬の行列ができていた。「湯屋にぬしが出た」の一報は、朝の市場を三分で一周したらしい。ドワーフの賭け板も、当然のように出ていた。『討伐所要時間: 四半刻以内=1.5倍、それ以上=3倍』。
「営業妨害では?」
「いいのよ、これがフォルテの平常運転。……ちなみにあたしは四半刻に一枚張ったから、さっさと終わらせるわよ」
「参加者が賭けに入っていいんですか姉御」
編成は、俺、隼人、ひなた、姉御。沙耶とヴィクは「配管側の栓」を締めに、裏へ回った。
「作戦は単純だ。湯を抜き、現れた本体の核を、ひなたが抜く。いつもの芋掘りである」
「ん。まかせて」
「姉御は?」
「湯船のふちで、追い込み役。逃げ道を塞ぐわ」
——作戦は、途中まで、完璧だった。
湯が抜け、湯船の底で、透明な巨体がぷるぷると現れた。ひなたが、するすると接近する。
その時である。
スライムが、震えた。住処を奪われる危機を悟った本体が、粘液を、四方に、盛大に撒き散らしたのだ。
「うわっ、ぬるっ——きゃあっ!?」
濡れた床で、追い込み役の姉御が、滑った。滑って、転んで、粘液の水たまりに、豪快に着地した。
「ちょっ、なにこれ、ぬるぬる、やだ、革鎧の中まで入って——ひゃんっ!?」
俺と隼人の動きが、止まった。
「冷たっ、や、動くと余計に、んんっ、そこは、だめだって、あはは、くすぐったい!!ちょっと誰か——」
姉御は、粘液まみれの床で、立とうとしては滑り、滑っては変な声を上げていた。実害は、ない。粘性スライムの粘液は、無害のぬるぬるである。無害の、ぬるぬる、なのだが。
「(圭吾……おい、圭吾……)」
「(丸太だ。丸太になれ隼人。目を、床のタイルの目地に固定しろ)」
「(声が……声が耳に……)」
「(耐えろ!!視なければ加護は発動せん!!俺は今、中二モードだ!!漆黒の存在に、湯屋の床は視えない!!)」
「(視えないは無理があるだろ!!)」
「二人とも!!見てないで手ェ貸しなさい!!って、ああもう、使えない!!」
裏から戻った沙耶が、俺たちの首根っこを掴んで壁に向け、自分が姉御を引き上げた。ヴィクは、モップを構えたまま、ジト目で男性陣を眺めていた。
「……お前たち、こういう時、本当に戦力外だな」
「む、むしろ動かなかったことを褒めてほしい!!紳士と、むっつりの、全力の不動である!!」
「威張るな!!」
——騒ぎの間に、仕事は終わっていた。
「ん。とれた」
ひなたが、拳大の核を、ずぼっと掲げていた。ぬしは、ぷるん、と揺れて、ただの大きな水たまりになった。芋掘り、本日も安定である。
「はい、ぬし討伐完了。で、姉御、大丈夫?」
「あっはっは!!大丈夫大丈夫。減るもんじゃなし。——いやあ、いい声出ちゃったわね、あたしとしたことが」
姉御は、粘液まみれのまま、けろりと笑っていた。それから、壁に向かって直立している男二名に、にんまりと目を細めた。
「で?留め具くんと紳士くんは、今の、聞いてたのかしら〜?」
「「聞いてません(であります)」」
「即答は聞いてた証拠なのよねえ。あっはっは!!」
「私たちの男性陣、姉御に勝てる日が来るのかしら……」
「こないだろうな……」と、ヴィクが遠い目で言った。実感のこもった遠い目だった。
外に出ると、野次馬の賭けの精算が始まっていた。
「討伐、四半刻以内!!的中は、ロゼの姉御、一名!!配当一・五倍!!」
「ふっふ〜。ごちそうさま」
「参加者が総取りって、いいんですかそれは」
「いいのよ。で、この配当で、あんたたちに葡萄湯おごったげる。転んだ詫びを見なかったことにする口止め料込みでね」
「「見ました、とても、しっかりと」」
「言うんじゃないわよ!!」
——後始末。
湯屋は半日休業となり、俺たちが総出で床を磨くことになった。
粘液は、男湯から順に落とす。沙耶とヴィクが脱衣所、ひなたが釜場(と、賄いの交渉)、隼人が湯口。残ったのが、湯船の中と、その縁である。
つまり洗い場には、桶を挟んで、俺と、袖をまくった粘液まみれの姉御が、二人。
俺は、ロゼと自分の間にある、二つの桶を見た。
「姉御と二人きりで風呂掃除。これは、ほぼ混浴では?」
そこへ隼人が、三つ目の桶を置いた。
「隼人、出ろ。比率が崩れる」
「はあ?湯口が終わったから来たんだろうが」
沙耶が、脱衣所の入口から言った。
「あんたが出れば、男女一人ずつよ」
俺は、自分の桶を、両足の間へ引き寄せた。
「あらぁ?」
「言うな」
ぬしの核は上物で、売却益は湯屋の修繕費に全額寄付した。おかみは礼に「家族湯の券」をくれかけたが、沙耶が「修繕費を寄付した先から券をいただいたら、寄付が半分戻ってきます」と丁重に断った。番人イタチは、通報の功で、鮎(冬物・高級品)を一尾もらって、湯口の岩の上で誇らしげだった。
なお後日談がひとつ。おかみが感謝のあまり新メニュー「ぬし鍋」を考案しかけ、全員で全力で止めた。スライムは、食えない。正確には、食えるが、味がしない上にぬるぬるが三日取れない(ヴィク先生の北の知識による)。
「ん。……たべられないものは、おしながきに、のせては、だめ」
「兵站長の食の倫理が今日も正しい」
観測日誌、本日の特記。
『湯屋のぬし、討伐。被害: 男性陣の精神のみ。……なお姉御は本件を今後最低一年、宴の持ちネタにすると宣言した。男性陣に、合掌』




