第103話 処方箋を、公文書に
絆外来の引き継ぎは、書類仕事から始まった。
俺たちの留守中、外来を回すのはリタさんと《酔いどれ猫》の残留組である。そのための「教本」を作る。理論はヴィク、症例は沙耶、実技は俺たち。円卓に紙とペンと、大量の蜂蜜菓子(著者の燃料)が並んだ。
「では、教本の題名から決めるぞ。——≪漆黒の医典≫」
「却下。『絆外来 運用手引き』」
「事務ゥゥ!!」
「公文書になるのよ、これ。ギルドの棚に置くんだから」
そう。問題は、そこだった。
俺たちの外来の処方を、公文書の文体で書くと、どうなるか。
「……ねえ、これ、真顔で書くの?『処方: 罵倒。用法: 対象二名を向かい合わせ、過去の恨みを一日三回、食後に投与』って」
「書くしかないだろ。事実なんだから」
「『副作用: 取っ組み合い。ただし本症例において取っ組み合いは治癒の兆候である』……私、経理なのに、なんでこんな文章書いてるのかしら」
「ふ。歴史に残る医学書の誕生である」
「医学書扱いされたら医学が怒るのよ」
ちなみに、俺の担当章「診察の心得」は、初稿が全文差し戻しになった。
「『第一条: 患者の魂の色を視よ』……色って何よ」
「魂の色だが?」
「公文書!!『第二条: 診察とは敬意である』……これは、いいわ。採用。『第三条: 漆黒の心得を持て』……はい削除」
「三条だけなぜ!!」
「一般の読者が着いてこれないからよ!!」
最終的に俺の章は、第二条だけが生き残った。一番大事なことは、残ったので、良しとする。
執筆は、難航した。特に揉めたのは、用語の定義である。
「“汚す”って動詞、公文書に使えないわよね。言い換えないと」
「ん。“あじつけ”」
「天才か。『絆に味付けを行う』……いける。いけるわ」
「兵站長の語彙が今日も強い」
かくして、教本の中では、罵倒は「調味」、喧嘩は「攪拌」、恨みの在庫は「熟成素材」と呼ばれることになった。読んだ者が料理書と間違える危険は、あるが。
症例一号の頁の執筆には、思わぬ監修が入った。当事者たち————《岩割り》の兄弟が、噂を聞いて押しかけてきたのである。
「俺らの症例だろ!?正確に書けよ!?あの時の油は獣脂で……」
「待てドム、獣脂って書いたら、また植物油派が黙ってねえぞ」
「うるせえガレン、事実は事実だ!!」
「事実なら手入れ回数も書け!!俺の方が多い!!」
「多けりゃいいってもんじゃ————」
「(……ねえ。監修に来て、目の前で症例を再発させてるんだけど、あの兄弟)」
「(教本に書き足そう。『本症例は、完治後も定期的に再演される。それが健康の証である』)」
——昼過ぎ、実技監修として、姉御が合流した。
「はいはい、現場のプロが来たわよ。……なにこれ。『症例八: 幼馴染二名。処方: 隠し事の開封』。開封って、あんた」
「隠し事は、缶詰と同じでな。開けなければ、腐る」
「言い方は雑だけど、中身は正しいのが腹立つわね……」
姉御は、教本をめくって、途中で、ふと真顔になった。
「……ね、紳士くん。ひとつ、現場から追加した方がいいことがあるわ」
「ほう」
「“治せない場合”の頁よ。……あんたたちの処方は、要は「引っ掛かりを作る」でしょ。でもさ、世の中には、引っ掛かりが元々ない絆もある。綺麗ーに整った、型の美しいやつが」
円卓が、少しだけ、静かになった。
「……《夜明け鳥》の時も、危なかった。あれは“隠し事”という引っ掛かりが、ぎりぎり残ってたから治せた」
「そ。じゃ、聞くけど——隠し事すら、ないやつは?喧嘩の種も、恨みの在庫も、最初から綺麗に片付いてる絆は、どうやって汚すの?」
「「「「…………」」」」
「……姉御。それは、仮定の話か」
「仮定よ、今のところは。でもね、五十年もあの巡礼が“整えて”回ってるなら——どこかに、腐れ縁の逆。“完璧に正しい絆”ってのが、いるはずなのよ。そういうのが狙われた時の頁が、この教本には、まだない」
ヴィクが、ペンを止めて、低く言った。
「……姉御の言う通りだ。美しい絆ほど、梳きやすい。理屈の上では、な。……書いておこう。『本教本の処方が効かない症例が、存在しうる』と」
「対応策の欄は?」
「空欄だ。今は、まだ」
教本の最後の頁に、空欄がひとつ、残った。妙に、胸に引っかかる空欄だった。
——夕方。教本の清書が終わり、リタさんに納品した。
「『絆外来 運用手引き・全三十二頁』、確かに!!……うわ、ほんとに『調味』って書いてある……備考欄がまた賑やかになる……」
なお、納品の直前、奥付を巡って最後の攻防があった。
「著者名は『漆黒の医院 院長(世を忍ぶ仮の姿)』で」
「『パーティ《腐れ縁》』に修正しておきますね」
「せめて連名に!!」
「公文書ですので!!」
事務は、今日も俺の浪漫に勝つ。三連敗である(王都の口上、五人目の登録、そして本日)。
「リタさんの台帳の恨みの歌、十八番が増えるな」
「十九番まで作詞済みです!!」
「増えてた!?」
帰り道、雪の大通りで、ヴィクがぽつりと言った。
「……なあ。姉御の言ってた“完璧に正しい絆”。……私は、ひとつだけ、心当たりの型を知ってる」
「ほう」
「“誓約”だ。約束の言葉で結ぶ、古い型の絆。……綺麗なんだ、あれは。恐ろしいくらい、綺麗な形をしてる」
「誓約、ね。……ま、俺たちには縁のない型だ」
「そうだな。お前たちのは、毛玉だからな」
「誇り高き毛玉である」
この会話を、数日後に思い出すことになるとは、この時の俺たちは、まだ知らない。
遠征帰りの、あの綺麗な連中が、もうすぐ帰ってくる。




