第102話 観測長、卒業試験
「——これより、観測長就任試験を行う!!」
西の丘、夜明け前。いつもの岩の上に、犬耳をぴんと立てたコタが、直立不動で立っていた。
試験官は、俺たちの五人と、じいさん。課題は「観測当番・完全単独運用」。俺たちが北へ発ったあと、フォルテの空を見張り続ける目の、最終確認である。
「では、始め」
「はいっ!!まず、夜明け前の靄の高さ!!基準杭の三つ目、平常値!!風向き、北北西!!月齢、記録済み!!“朝飯の味”の欄……り、リタさんの差し入れの黒パン、かたい!!けど、うまい!!」
「ん。ごうかく」
「まだ早い、兵站長。……北の空の色は?」
コタは、北の地平を、じっと見た。見て、少し迷って、正直に言った。
「……灰色の帯、あります。濃さは、昨日と同じ……いや、違う。“同じに見えるけど、自信がない”です!!だから今日は、じいさんの計器の数値も、横に書きます!!」
「「「「…………」」」」
「な、なんか変なこと言いました!?」
「いや」
俺は、採点板に、大きく丸を書いた。
「満点だ。——“自信がない”を書ける観測者が、一番信用できる。断言する観測者は、いつか嘘をつく」
「ヴィクさんの受け売りですけどね!!」
「受け売りを実行できるのが、才能なんだ」
ヴィクが、腕を組んで、教師の顔で頷いた。悪口一年生は、いつの間にか、観測の師匠になっている。
コタに続いて、新人三人組の実技もあった。三人とも、手順は完璧————だったのだが。
「“朝飯の味”の欄、読み上げます!!『夜明けの丘に立ちて思う、パンの温もりは遠き母の——』」
「詩!!詩になってる!!」
「駄目ですか!?観測に、心を込めろと教わったので!!」
「心はいい。だが五・七・五はいらん。観測日誌は文芸誌ではない」
「ヴィク先生の採点、厳しい……!!」
なお、三人の日誌はその後も時々俳句が混入し、後日、王都のロズリンさんから「編集済みの句集はないのか」と問い合わせが来ることになる。読者がいた。
——試験の後半は、じいさんの新兵器のお披露目だった。
「旅用に試作した携行式・魔素計、三号機ですじゃ。一号機はひなたさんの測定で煙を吹き、二号機はヴィクさんの測定で沈黙しましたでな……三号機は、お二人を測らないことを前提に設計しましたじゃ」
「設計思想が敗北から始まってる」
「敗北こそ設計の母ですじゃ。ほっほ」
三号機のお披露目に際し、俺は命名を申し出た。
「機体名≪深淵の羅針≫を提案する!!」
「三号機ですじゃ」
「せめて≪漆黒の——」
「三号機ですじゃ(にっこり)」
「じいさんまで事務側なのか!!」
三号機は、三号機のまま、掌に載る木箱で、淀みの気配に針が振れる。コタの腰に、正式装備として下げられた。
「これで、鼻の代わりには遠いですが、留守中の早期警報にはなりますじゃ」
「じいさん、ありがとうございます!!俺、この針、毎朝拝みます!!」
「拝むより、記録ですじゃ」
——昼からは、ひなたの「保存食研究・最終報告会」だった。
我が家の裏庭に、雪の壁をくり抜いた棚が、ずらりと並んでいる。
「ん。はっぴょう、します。——ふゆは、そとが、ぜんぶ、れいぞうこ」
「発想が豪快なのよ」
「ゆきのなか、おんど、いつもおなじ。だから、くさらない。……で、これが、けっさく」
差し出されたのは、固い焼き菓子だった。齧ると、中から蜂蜜がとろりと出てくる。
「みつを、なかに、とじこめた。そとは、かちかち。なかは、こおらない。——なまえは、“こおらないおやつ”」
「そのままか」
「ん。わかりやすさは、せいぎ」
「実際、旅の糧食で一番大事なのは分かりやすさなのよね……悔しいけど」
ちなみにこの傑作、試作の過程で失敗作が十七種類出ており、全部ひなたが「しょぶん」した。処分方法は、言うまでもない。
「俺たちの兵站長、研究費が全部胃袋に消えるの、経理としてどう処理してるんだ」
「“研究費兼食費”って科目を作ったわ。もう諦めてるの」
——夕方。ギルドで、引き継ぎ書類の山と格闘した。
「観測当番の正式移管、受理しました!!観測長・コタ、副に新人三人組、技術顧問・じいさん、と」
リタさんが、台帳に判を捺しながら、ふと手を止めた。
「……皆さんが居ない三か月、この欄、ちゃんと埋まるんですね。なんだか、変な感じです」
「埋まるさ。埋まるように、半年かけて作ってきた」
「ん。コタ、もう、ひとりで、はかれる」
「ひなたさん……!!俺、毎日書きます!!“朝飯の味”の欄も、絶対サボりません!!」
「それが一番の観測だ、観測長」
式のあと、じいさんとコタが、二人で計器の手入れをしていた。師弟の絵である。
「よいですかコタさん。計器はの、毎朝、挨拶するもんですじゃ。“今日も頼む”と」
「計器に、挨拶」
「道具はの、挨拶される数だけ、正直になりますのじゃ。……わしの計器が長持ちなのは、そのせいですじゃよ」
「(あの理屈、私たちの黒パンの手入れと同じね)」
「(ん。どうぐは、かぞく)」
この街の物持ちの良さは、たぶん、こういうところから来ている。
帰り際、コタが、俺をこっそり呼び止めた。
「あの、圭吾さん。……ひとつだけ、聞いていいですか。北って、その、危ないんですよね。皆さんでも」
「ああ。たぶんな」
「……俺、留守番って決まった時、悔しかったんです。けど、今日、試験やって分かりました。この丘から見えるものを毎朝書くのが、俺の戦いなんですね」
「ほう」
犬耳の青年は、拳をぐっと握った。
「だから、行ってきてください。フォルテの空は、俺が見張ってます!!」
「……うむ。良い観測長になったな、お前は」
なお、この感動の場面を、物陰から見ていた者が一名いた。
「(……ふ。ふふ。“俺の戦い”……いい台詞じゃないか。私も観測日誌に書いておこう)」
「(我が眷属よ、感動を記録するな。本人が照れる)」
「(お前にだけは言われたくない!!)」
観測の目は、育った。あとは、託すだけである。




