第101話 雪中特訓、開講
「——集合ォォ!!」
雪の積もった訓練場に、狼耳の教官の声が響いた。
半年記念の翌朝である。俺たちの五人は、約束通り、ヘクトルさんの北方特訓に放り込まれていた。ロゼ姉御たち《酔いどれ猫》も一緒である。北行き部隊、総勢九名。
「これより、北方行軍特訓を開始する!!北の敵は魔物ではない!!“寒さ”だ!!寒さは剣で斬れん!!いいな!!」
「「「「「はい!!」」」」」
「返事だけは良い……。では初日の課題。雪中行軍、半日。荷は本番想定。……おい、そこの漆黒」
「なんでしょう、教官」
「そのマント、置いていけ。濡れた布は北では凶器だ。体温を吸われて死ぬ」
「なん……だと……!?教官、これは聖別された、我が魂の一部——」
「魂ごと凍死する気か!!」
風呂敷マントは、初日にして装備から外された。俺の魂は、当面、宿で留守番である。
なお、その晩、俺は「携行物再審査申請書」なる書類を自作して教官に提出した。品目: 聖別済風呂敷(小)。用途: 精神の安定。携行形態: 畳んで懐に。
翌朝、書類は「却下」の判と共に返ってきた。ただし欄外に、教官の字で一行。「懐に入れる分には、装備ではなく私物である。私物は検査対象外」。
「(……教官、あれで優しいのよね)」
「(ん。ツンデレ)」
「(聞こえたら特訓が倍になるぞ、と経験者の私が言っておく)」
かくして俺の魂は、畳まれて、胸元に帰ってきた。小さく、温かい。私物として。
行軍が始まって、すぐに分かったことがある。
雪の上では、全員の“格”が変わるのだ。
先頭を行くのは、ひなただった。雪に埋まらない歩き方を、誰にも習わず三分で会得し、ついでに雪の下の「食べられる草の匂い」を拾いながら進む。
「ん。ここ、ふきのとう。はる、はやい」
「なんで雪の下の在庫まで分かるのよ……」
その隣で、ヴィクも平然と歩いていた。北育ちである。雪の上の体重の乗せ方が、そもそも違う。
「腰で歩くな、膝で歩け。あと、汗をかくな。汗は、北ではただの氷だ」
「我が眷属が今日も頼もしい」
「ふ、ふん。故郷の冬に比べれば、この雪は、春の挨拶みたいなものだ」
問題は、俺たちのエースだった。
「……おい、隼人。顔色が悪いぞ」
「……おかしいんだよ。体が、重い」
ヘクトルさんが、にやりと笑った。
「気づいたか。——貴様の加護は“危険度比例”だ。そしてこの行軍は、俺の管理下の、安全な訓練。つまり今の貴様は」
「常人以下ォォ!?」
「そうだ。北ではな、戦いの前に、歩きで死ぬ。加護が守ってくれん場面でどれだけ動けるかが、貴様の宿題だ」
「私たちのエース、雪の上では最弱の可能性が出てきたわね」
「うるせえ!!鍛えりゃいいんだろ、素の体を!!」
隼人は、その日から自主的に荷を倍にした。スリル中毒は、弱点を提示されると燃える性質でもある。
——昼休憩。雪原の真ん中で、ひなたの“試作”が振る舞われた。
「ん。ふゆの、おべんとう。だいいちごう」
芋と燻製の包み焼き。雪に埋めて保温するという逆転の発想(雪は断熱材である、とヴィク先生の監修つき)で、湯気が立っていた。
「うまっ。なにこれ、外で食う飯の温度じゃないわよ」
「兵站が既に北仕様……姉御、俺たちの台所係、大陸一では」
「あたし、この子を狙って引き抜きたくなってきたわ」
「「「「絶対に渡さん(わ)(ぞ)(ん)」」」」
「本人より周りが吠えるのね」
——午後は、ヴィクの“出す練習”だった。
雪原に的を立て、紫紺の出力を段階的に刻む訓練である。公認戦力となった以上、「軽くのつもりが的が消滅」では困るのだ。
「三割で撃ってみろ」
的の岩が、上半分消えた。
「……今のが三割か」
「す、すまない。……絞ったつもりだった」
「よし、一割だ」
的の岩に、綺麗な丸い穴が開いた。
「一割で貫通……。教官、俺の眷属の燃費、どうなってるんでしょうね」
「知らん。だが、分かったことがある。——貴様の課題は威力ではない。“遠慮の目盛り”だ。ひなたと同じ系統の悩みだな」
「ん。なかま」
「規格外の仲間入りは、複雑だ……」
ヴィクは、日暮れまで黙々と目盛りを刻んだ。三割、一割、五分。夕方には「雪玉を溶かすだけ」の超低出力に成功し、教官に「ふん、及第だ」をもらって、フードの奥で、こっそり口元を緩めていた。
「(見ろ、あの顔)」
「(褒められ慣れてないのよね、私たちの眷属)」
「(ん。もっと、ほめよ)」
締めは、雪合戦——ではなく「投雪訓練」だった。教官いわく、雪玉は北の投擲武器の基本だそうである。
的当ての成績は、ひなた(全弾命中・当然)、姉御(九割・さすが)、ヴィク(八割・軌道が綺麗)、と続き、最下位は、
「隼人くん、ゼロ発。どういうこと?」
「うるせえ!!的が反撃してこねえと、俺の体は本気を出さねえんだよ!!」
「じゃあ、こうしましょ」
姉御が、にっこり笑って、雪玉を握った。
「今からあたしたち全員で、あんたを的にする。反撃は自由。……ほら、危険度、上がった?」
「上がっ……いや待て、これ訓練か!?私刑では!?」
八対一の雪合戦は、危険度を得た隼人の圧勝で終わった。仕様が、実戦的すぎる。
——帰り道。夕暮れの雪道で、隼人が、荷を倍にしたまま、ぜえぜえ言っていた。
「くそ……ヴィクもひなたも及第で、なんで俺が居残り確定なんだよ……」
「安全な場所で最弱だからだ」
「言い方ァ!!」
「案ずるな、我が眷属……ではなく隼人よ。北に着けば危険だらけだ。お前は着いた瞬間、大陸最強に戻る」
「その仕様、行き帰りの旅程で一番役に立たねえんだよなあ!!」
宿に戻ると、恒例の風呂——は、なく、湯屋通いである。湯船で、重大な議題が出た。
「なあ。北の旅の間、風呂は、どうなるんだ」
「「「「…………」」」」
「野営続きなら、拭くだけね。何日も」
「何日も!?俺の聖なる清潔が!?」
「あんたのは聖なるじゃなくてただの清潔よ。……でも、深刻な問題ではあるわ。士気に関わる」
「ん。だいじょうぶ」
湯船の縁で、ひなたが、重大情報を投下した。
「ヴィクが、いってた。よるのたみの、さとには、“ゆや”が、ある」
「「「「なんだと!!」」」」
北に、湯屋がある。この情報だけで、行軍の足が三割速くなる見込みが立った。俺たちの士気は、単純にできている。
観測日誌、本日の特記。ヴィクの字で。
『特訓初日。課題: 隼人(素の体力)、圭吾(マント依存)、私(遠慮の目盛り)。……教官は、口が悪いが、教え方は丁寧だ。故郷の冬を思い出す寒さ。悪くない』




