第100話 腐れ縁は、まだ途中
初雪は、夜のうちに、降りた。
朝、窓を開けると、フォルテの屋根が、うっすらと白かった。北の空の帯は、雪雲の向こうに隠れて、今日は見えない。
「雪、か。今年は、早いわね」
「ん。ゆきのひの、あさごはんは、あったかいスープ」
「兵站長の判断が早い」
台所から、湯気と、いい匂い。広間の暖炉に、火が入る。我が眷属が、寝癖のついた紫の髪のまま、毛布を纏って降りてくる。いつもの、我が家の朝である。
ふと、思った。
こういう朝を、俺たちは、いくつ重ねたのだろう。
白い空間で、神様の帳簿に悪行を読み上げられた日から。草原に五人、いや、あの時は四人で、積み重なって落ちた日から。
「なあ、お前ら。今日、何の日か、分かるか」
「?雪の日」
「スープのひ」
「……ん?待って。今日って、確か——」
沙耶が、帳面をめくった。俺たちの経理は、金と一緒に、日付も几帳面に管理している。
「転生から、ちょうど、半年よ」
「「「「おお……」」」」
半年。たった、半年である。
無一文の野宿から始まって。ギルドに登録して、変態が公文書に載って、ボアの主を狩って、試験に受かって、氾濫を止めて、家を買って、監視者が居着いて、王都に呼ばれて、写本を読んで、魔族バレがあって、五人になって。
「……濃すぎない?私たちの半年」
「濃いな。前世の十年より濃い」
「ちなみに帳簿によると、この半年の総収入は金貨十枚超。総支出は、ほぼ同額です」
「貯金は!?」
「家と風呂と冷蔵庫と本棚に化けました。……悔いは、ある?」
「「「「ない」」」」
「でしょうね」
——昼。雪の止み間に、俺たちは、ぞろぞろと外に出た。
行くあてのない、ただの雪見の散歩である。大通りでは、屋台のおやじたちが雪かきをしながら呼び込みをやり、湯屋の煙突が景気よく湯気を上げ、教会の前では子供たちが雪玉を投げ合っていた。
「あ!!くちじょうずのざこと、つののおねえちゃんだ!!」
「その並びの二つ名、どうにかならんか!!」
雪玉が飛んできた。ヴィクが、指先ひとつで軌道を逸らした。子供たちが「ずるい!!」と沸いた。ずるいのである、俺たちの眷属は。
「ずるい」の声を聞いた俺が、参戦を宣言したのは、言うまでもない。
「よかろう、諸君!!雪合戦とは、すなわち白き戦!!この漆黒が、胸を貸して——」
直後、四方から、雪玉が飛んだ。子供たちのではない。俺たちの四人のである。
「「「「命中」」」」
「身内が一番、容赦ないィィ!!」
雪まみれの漆黒に、教会の前は大爆笑となった。冬のフォルテの、いつもの音である。
ギルドに顔を出せば、リタさんが増設された備考欄(本当に増設された。台帳に、頁が足された)を見せてくれ、ロゼ姉御が「北行きの餞別、考えといたげる」と笑い、ヘクトルさんが「明日から特訓だ、遅れるな」と念を押した。
帰り道、雪の積もった丘の上から、街を見下ろした。
白い屋根。灯りの色。煙突の湯気。俺たちの、街。
「……なあ。ひとつ、聞いていいか」
ヴィクが、街を見下ろしながら、言った。
「お前たち、さ。……転生して、半年。この世界に来て、後悔とか、したこと、あるか。元の世界に、帰りたいとか」
「「「「…………」」」」
四人は、顔を見合わせた。
沙耶が、指を折りながら、先陣を切った。
「醤油と味噌が、ないこと」
「パソコン、置いてきたこと」
「コンビニのおでんの、季節」
「ぷりん」
「……全部、食い物と娯楽じゃないか」
「つまり、その程度ってことだ」
俺は、雪の丘に、風呂敷マントを翻して、答えた。
「いいか、ヴィク。俺たちはな、前の世界で死んだ理由も知らん。この世界に呼ばれた理由も、たぶん、まだ半分も知らん。北には不気味な帯が湧いて、白いのと灰色のがうろついて、お前の探し人は塔で独りだ。分からんことと、物騒なことだらけだ」
「……ん」
「だが、腹は減るし、飯はうまいし、風呂は沸くし、雪は降るし、隣は騒がしい。……それで当分、文句はない。後悔してる暇が、ないんだ、俺たちは」
「……ふ。ふふ。……なんだ、その理屈」
「俺たちの理屈だ。半年かけて編んだ、な」
——夜。
暖炉の前に、五人。ひなたのスープと、ヴィクの淹れた茶(最近覚えた)と、沙耶の帳面と、隼人の内職(剣の手入れ)と、俺の設定ノート(この世界で三冊目である)。
「よし、お前ら。半年記念の、会議だ」
「議題は?」
「“次の半年で、やること”。挙げてけ」
隼人が、真っ先に言った。
「北行き。雪解けと同時に」
「観測体制の完成と、引き継ぎ」
「ほぞんしょくの、かんせい。あと、たびのおやつ」
「王都のロズリンさんとセヴラン導師への、報告網の維持。あと、稼ぐ」
そして、最後に、ヴィクが、小さく手を挙げた。
「見張りの塔に、行く。……それと」
「それと?」
「…………中級講座を、全員、卒業させる。特に、発音“だけ”のやつ」
「俺か!!俺のことか!!」
笑い声が、暖炉の火に混ざった。
窓の外は、雪。北の空は、見えない。それでも、方角は、全員の胸の中で、揃っている。
——腐れ縁、五人。転生、半年。
物語は、まだ、途中である。だが、ひとつだけ、確かなことがある。
この毛玉は、雪の下でも、腐らない。
——絆値は、今日も、測定不能。




