雨の玉隅
あの死地。ヴェーザーにいた晶を救ったのは、レイドヴィヒと白丸だった。
自分の左目がやられてから一人、気を吐いて、何度も突かれて斬られながらも、白丸が駆けつけるまでの時間を稼いだ。
そして、白丸の投げつけた煙幕が、晶を救ったのである。
すでに動ける体ではなかったが、晶は白丸からの応急処置と、身を守るための新たな刀を与えられた。
そして、白丸は爆雷管を背負い……
自分を逃すために信仰に殉じた。
ここまでして助けてもらった命だが、晶は玉隅たますみに帰りたかった。
もう光人は一人でも大丈夫だ。実峯も、綾鶴もいる。
こんな、碌に動けもしない自分がいたところで足手まといだろう。
ヴェーザーを脱出し……傘を深く被ってハイデ・アルエルクまでボロボロの体で歩き……
そして、こうして中荒隅なかあらすみまで戻ってきた時、故郷がリヒトからの襲撃を受けていたのである。
子供が人質に取られているらしい。ならば夜襲を仕掛け、速やかに敵将を処し、子供達を救出する必要がある。
玉隅に戻ると大雨が降り、雷鳴が轟く。すると不思議と、満身創痍のはずの晶の体は軽くなっていた。
敵将は……いつぞや相手をしたことがある、仮面の将である。
* * * * *
仮面の将と向き合うと、相手は明らかに取り乱した。
「お前が……西の亡霊……笑わせるな!!」
相手の言葉の意味はわからぬが、凄まじい怒号だ。
この男と、初めて斬り合った時も大雨。大陸の反対側である。
今一度、刃を交えることになる。
(八曜の神よ……我に力を!!)
* * * * *
仮面の男は突進してきた。早速、相手の間合いに入る。
まずは逆袈裟からきた。晶はこれを弾くと、反対側からの袈裟切り、これもいなすと、真っ向からの大面を振ってきた。ここで鍔迫り合いとなる。
仮面の奥の表情は読めない。
しかし、明らかに怒っていることだけは分かる。敵将は、冷静さを欠いている。
「ヤ!」と晶は刀で仮面男のツヴァイヘンダーを弾き、突きで仕留めようとしたところに、仮面の男の横一文字切りがくる。再び鍔迫り合い。
地の利はこちらにあるとは言え、ここは開けた道。
間合いの長いツヴァイヘンダーが有利である。
この男は、確かこの長剣で突きを多用してきたはずである。
あの突きがいつくるか……。
と、仮面の男は極端に距離を離し、きっ先をこちらに向けてきた。
来る! 長剣を体ごとぶつける例の突きだ!
刀で受けるには危険が大きすぎる。
晶はすり足で突きをかわした……瞬間に別の殺意を感じた。
(しまった!! これが狙いか!!)
すぐに仮面の男は体を反転させて、無防備なこちらの背中に向けて凄まじい逆袈裟を放ってきた。
晶はこれを、飛んでかわした。
なんとか既のところで男の剣をかわせたようだ。とにかく離れねば!
晶は無理くり体を捻り、横面を打つが片腕の横面なので威力はない。
仮面男に剣の腹で受け止められる。
しかしこれで再び男と正対できた。正面に居着けば、リヒトに対しては有利をとれる!
……などと思っていたところで仮面の男は晶の刀を弾いた。
(殺られる!!)
すぐさま危険を察知した晶は、男の尋常ではない速度の横一文字切りを、後転して交わした。
直ちに起き上がり、睨み合いとなる。
……その仮面の奥で何を考えているかは分からないが、どうやら突きを警戒しているのは感じるし、こちらとしても突きで仕留めたい。
仮面男はゆっくりと剣を上段に構えた。リヒト人の覚悟の表れだ。
それに対し晶は落ち着いて青眼に構えた。
さあ何が来る……。突きか、真っ向切りか……何か策を打ってくるか……
晶は頭の中で幾通りの展開を予想し、ジリリと距離をつめた。
仕掛けてきたのは、仮面男の方だった。
(袈裟か……!!)
これをまともに受けたら刀が持たない! 半身になって避けるが……
(いや、連続ぎりか!!)
地面から敵のツヴァイヘンダーが浮き上がってくる。
これも交わすと強烈な横切りが襲いかかってきた。
(ぐう!!)
仕方なく、刀で受ける。
……古い刀だったら、根本から折れていたであろう。
(八曜の神よ……我に……敵に打ち勝つ力を!!)
剣を受けながら近づく。そして……晶は敵の剣を弾き……
いよいよ切り札の多段突きを繰り出そうという段である。
一撃、二撃とかわされたが、三撃目でついに、刀が仮面男の胸に届いた……。
男は唸り、やがて、地面に倒れる。
* * * * *
雨は降り続く。雷鳴も激しくなっていく。今までの疲れが一気に襲いかかり、まともに立っていられる気がしなかった。
そして……相手が全く動かなくなったところを確認する。
晶は、ずっと、この男の仮面の下が見たかった。
晶の手は、男の仮面へ伸びる。
暗闇でも、一瞬の雷鳴で相手の顔が見えた。
大雨の玉隅。全く同じ顔が、二つ……
晶は思わず自分の口を押さえた。
そして……
天高く咆哮し、ついに大声で泣いた。
* * * * *
その昔、中荒隅に厳しい父親の元で育った二人の兄弟がいた。
浅井篤あざいあつし。浅井晶あざいあきら。双子である。
父親は二人に、何よりも強くなることを義務付け、特に柳家や久遠寺と言った御三家に打ち勝つには、より厳しい苦行を。
信仰に殉じるほどの苦行を二人に強いて修行をさせた。
壮絶な修行だったという。
それこそ、いつどちらかが死んでもおかしくないような修行だったのだという。
それほどの苦行を、父親は双子に強いた。
兄は、それは京国で成り上がるためだと感じ、弟は、それが信仰のためであると信じた。
当然二人には母親がいた。
この母親は、特に篤の方を愛していた。
そして父親が息子達にやらせようとしていることは結局のところ、柳谷を出し抜くためのことだと思っており……
父親もそんな母親からの視線に気がついていた。
ある夜のことである。母親は篤の手をひいて、川沿いに隅扇島まで、とにかく中荒隅村から出ようとしたところ、川辺で父親に見つかり……
『天誅』の一言で母親を切り捨てた。
少年、浅井篤の中で、神が完全に死んだ瞬間だった。
自分に苦行を強いていた人間は、神でも親でもない。ただの外道だとした篤は怒りに身を任せ、小刀で父の胸を刺したのだ。
その場に居合わせたのが、誰よりも父を尊敬していた弟、晶である。
晶からはこう見えた。神を裏切り、信仰を捨てて親を殺してまで、遠くへ逃げようとしたのかと……
「どこへ行く!!」
晶からの問いに、篤も叫ぶ。
「退け! 拙者は京武士をやめるにござる!」
「信仰を捨てるにござるか!!」
「貴様らがやっているのは信仰ではござらん! 責任転嫁にござる! 拙者はそんなものを断じて武士とは認めん!
ましてそれで死ぬなどと!!」
晶は刀を抜いた。
「この親殺しめ!! 地獄に、落としてもらえ!」
晶の斬撃は、篤の顔面を横一文字に切りつけ、少年浅井篤は川に流されていった。
この瞬間、少年浅井篤は確かに、一度死んだ。
仇敵とはいえ、家族を斬ってしまった。
以来晶は、兄殺しの罪を背負って生きている。
そして、八曜の神に毎日祈り、懺悔をする日々だった。
神の存在を、人々に説くことで、自分の罪が浄められる。
そう信じて、信仰にのみ、生きた。
兄殺しの、『人斬り浅井あざい』
中荒隅にはもう、住めなかった。この『浅井』がどの段階かで名を歪めて生まれた言葉が、『人斬り伊罪いざい』である。
自分の真似をして、リヒト人を斬りまくる人間を、『伊罪』と人々は呼ぶようになった。
そんな人殺しの存在は、晶の心を苦しめた。
『浅井』の性を名乗れなくなった。
そして仙神堀で修行する間も。結局故郷を忘れることができず中荒隅に帰った後も。
優しく温かい村人に許されて、村長の家に居候をさせてもらった後も……。
兄の存在を忘れたことはなく、常に祈りを捧げていた。それが、晶の信仰だった。
その信仰が……再び自分を中荒隅に呼び戻し、もう一度兄を斬り殺すことになるとは……。
信仰とは、八曜の教えとは、信仰に殉ずる覚悟とは、一体、なんだったのか!!
自分のしていたことはただの……兄殺しだ……
信仰に殉じるとはなんなのだ! 家族を殺すことか!
その覚悟があれば何をしたって、人間は許されるのか!
幾億という言葉が、雨と共に晶に突き刺さる。
大雨に打たれ、晶は初めて大きく咆哮しながら涙を流し……
自分のしてきたことになんの意味などなかったことに絶望しながら、兄の亡骸を前にして、身を屈めた。




