交幻
ここはどこだろうか?
壁も、床も真っ白。こんな場所は初めてだった。
そして、白い何かに腰をかけ、白い台を前にして、誰かと向き合っている。
自分の姿も、全く珍妙なものである。深く傘をかぶり、白装束。
京国水星祈祷の衣装である。
……目の前に座するこの男に、会った事がある。というより、一度会ったら忘れられない風貌だ。
この妙な仮面。
『カンプフ・フュア・ディー・フライハイト』で、加賀美殿を退けた男だ。
自分は、リヒト領ニーナ・ハーゲンで一度斬り合っている。
決着はつかなかった。
……つまり、自分の目の前に座っているのは敵だ。
しかし、今すぐここで斬り合うなどというような、殺伐とした空気ではない。
もちろん、談笑などする気にもならないわけだが。
* * * * *
ところで、白い台の上には、『玉隅』の地図が広げられている。
地図上には駒が置いてあり、さながら軍議である。
……なぜリヒト兵と軍議を?
自分の置かれている状況が飲み込めていないのは、相手も同じなようでお互い、黙っている。
すると、この空間のどこからか、声が響いてきた。
* * * * *
声は、こう言っている。
「……仮面の男。お前の兵力は百だ。
目的は『玉隅』の制圧。お前は街の入り口に立っている。
お前ならどう攻める?」
仮面は一間置いて、
「まず……」
と発した。
「攻めん。情報が少なすぎる。
兵力が百。そのうち補給兵、工兵、衛生兵はどのくらいで、こちらの兵糧はどのくらいだ。
敵の事がわからぬのは仕方ないとしても、味方のことがわからぬのでは軍議すらできぬ」
この男が、京言葉を話せるのは知っている。
すると、空間の声は返した。
「百の兵は全員歩兵だ。兵糧は一晩。
天候は大雨。そして時間は夕刻だ。
京国の状況は、主力の兵は目の前に座っているその男。
その他は常駐兵が三百だ」
ゴツン。と仮面は地図の上に両腕を落とした。
鎧が鳴る音が聞こえる。
「とすると状況はこうだな?
玉隅は京国の首都だ。そこに将兵も残っていないということは、
京国の主力は、リヒトの反抗作戦に出ている。
おそらくシュワルツワルトにいる。
……『お前ならどうする』という質問を、
『リヒト国ならどうする』と置き換えるのであれば、シュワルツワルトを落とされる前に玉隅を百の兵で制圧するしかない。
……俺の隊の他全員がシュワルツワルトを防衛している間にな」
空間の声は何も返さなかった。
「ということで、『お前ならどうする』という質問に対してのこちらの答えは、『玉隅を短期決戦で制圧する』
ということになる」
すると、声は今度は自分に問いかけてきた。
「西の亡霊。お前は京側の立場となって答えよ。
玉隅の兵力は三百だが、お前は後手盤となる。
戦が始まり既に一時間は経過しているとする。
お前ならどうする」
……自分はそんな物騒な名前で呼ばれておるのか。
内心複雑だった。
とりあえず、質問に答えねばならない。
「もちろん、防衛するにござる。
拙者の場合としては、リヒトの兵百よりも指揮官を討てば終わりにござる。
……よって、拙者は三百の兵を、玉隅の子供、老人を避難、護衛させるに使うにござる」
答えると、仮面の男は遮ってきた。
「残念ながらそうはさせない」
男の両手は、相変わらず地図の上にある。
「まず、我々リヒト側の目的だが、『玉隅の制圧』だ。
制圧の定義とは、都市の防衛力を無力化し、実効支配することにある。
敵の兵はこちらの倍。そしてこちらは短期決戦を仕掛けねばならないとなると……
先手となる俺の策はこうだ。
子供を人質に取る。玉隅の子供の数など知らんが、五人も捕らえれば十分だろう。
それで三百の兵には、玉隅の山から降りてもらう。
これで実効支配だ」
仮面の男は、バン。と地図を叩いた。
「もちろんこれには、代案を用意しておかねばならない。
それは、京武士が『信仰に殉じる』ことを子供に強要し……幼い命が失われた後で徹底抗戦された場合のことだ。
まして玉隅は京国の首都。その可能性は大いにあると考えたほうがいい。
相手の数はこちらの三倍。玉隅という立地と、状況から鑑みるに援軍がくるとは思えない。
あいにく玉隅の立地は広くはない。
数の利はそこまで活かせないのであれば……『西の悪霊』とやらがくる前に指揮系統を炙り出し、捕縛するなりする。
……こう言ったところか」
沈黙が訪れる。
これは……発言権がこちらに移ったということだろうか?
「まずは前提として……玉隅は『信仰に殉じる』ことを強要などさせぬ。
それは兵たちにも徹底してござる。
よって、そちらがその策でくるならば、喜んで玉隅を一時明け渡すにござる。
そこからが拙者の勝負となる」
晶は腕を組み、男の手で隠れた地図を見つめながら……
「敵の数は百。時刻は夕刻で雨。
なれば拙者が辿り着く頃には玉隅は暗闇にござる。
状況から鑑みるに……仮面殿はこちらの夜襲を受けた経験のない東進軍。
なれば夜間奇襲を行い、敵将を処し……速やかに囚われた子供たちを救出するにござる。
そして兵三百を呼び戻し、玉隅を奪還するにござる」
するとまた沈黙が訪れる。仮面の男が口を開く。
「この机上の戦は、そもそもの前提がおかしいので真剣に考える気が起きぬのは、
この状況であるならば俺は皇子の側を離れる気はないのでシュワルツワルトにいるはずだ。
この男も……おそらく玉隅の防衛になどつかぬだろう。
……だからもしもの戦いになるのであろう。
そんなものは余興だと思うが……。余興に付き合うとするならば確かに現時点では割と現実的な流れだろう。
敵は一時的に玉隅を解放。そして奪還を試みてくる。
確かに、俺たちは噂に名高いこの者の奇襲を受けたことがない。
仙野多摩が制圧され、淀桂からリヒトの援軍がくるとも思えない。
我々の状況は芳しくない。
その上で、仮にこの男が我々に夜襲を仕掛けてくるならこうだ」
仮面の男は、コツコツコツと何度も地図を指で突く。
……癖なのだろう。どこかで見たことがあるような景色だ。
「いずれにせよ、我々……というか俺か。が、一晩耐えねばならん。
この男を相手に一晩生き残る必要がある。
そこの戦闘の件はやってみねばわからん。
だから、生き残れたという前提で話をさせてもらう。
シュワルツワルトの防衛にどれだけ時間がかかるかわからん以上、我々に救援の隊は来ない。
ならどうするか? 答えは一つだ」
ゴン。と指で玉隅をつつく。
「中荒隅。……今は玉隅か。の気候は不安定で、気流の動きが早い。
夜中に雨が降っているならば、だいたい次の日は雨は上がっている」
……。妙に博識だな。思わず感心してしまった。
「それと、この前提なら我々は爆雷筒を持っているはずだ。
朝が来て、雨が止んだら……地盤の緩んだ有山に残っている爆雷筒を設置して爆破。大規模な土砂崩れを起こして村ごと倒壊させる。
……それで京国がシュワルツワルトを制圧して、首都を引っ越されたらもう手も足も出ないがな。
もし仮に、リヒト側がシュワルツワルトの防衛に成功したのなら、我々リヒトにとって玉隅なぞ価値のない都市だ。
崩落してくれて一向に構わん。……ひとまず質問の答えにはなったのではないか?」
男の意見というよりも、男の仕草ひとつひとつが嫌に気になる。
この男は、自分が玉隅にいることは無いと言い張るが、
実際のところ晶は中荒隅に帰りたかった。……もしそれが叶うのであれば。
「……確かに、中荒隅の地盤のゆるさはひどいものにござるよ。
土砂崩れが起きると想像するだけでも怖いことにござる。
……なれば拙者としては……お主がもし玉隅にいるのであれば、
……朝が来る前にお主を斬り申す。これが答えではござらんか」
目の前で仮面の男は、フン。と鼻を鳴らして、それから地図から手をようやく退けた。
お互い、憎み合うでもなく、でもそこに何かしらの感情はあるのを感じながら……
眩しい光があたりを包んでいき、夢の終わりを告げようとしている。




