ハイデ・アルエルクの戦い
中荒隅村が、京国『玉隅町』と名前を変えて数日。
仙野多摩には宇津木琴音が出向し、綾鶴は玉隅に戻ってきた。
隅扇島の常駐兵五千は、仙野多摩に移動になる。
大陸の半分の面積に居座る裸木山脈を取っ払えば、中央を京国の大軍が陣取ることになり、未だリヒト領である淀桂に対して重たい圧をかける形になる。
ついこの間まで、講和まで時間の問題と言われていた京国だが、今や天秤は京国側に傾きつつある。
サテ問題は、玉隅に配属となった京武士である。
それまで荒神やら仙神堀で、『武商工農労』にならぶカースト制度の下で「武士様」と崇められていたのが、
ここ玉隅ではただの人間。
つまり、農業も建築業も、村人と共に行わねばならないのだ。
これには最初晶も手を焼いた。
「そもそもが、八曜の神の名の下に、偉いもヘチマもござらん!
老若男女人種問わず皆等しく神の子にござる!!」
このセリフを一日で何度怒鳴ったことか……。
しかし、それでも京武士は順応したのは、やはり竹中晶と言う存在は今や、全ての京武士の中で憧れの存在であった表れかもしれない。
「晶様が言うなら……」八曜の信仰というよりも、絶対的な将の存在によって京武士たちは纏まっていった。
ここに、京国の中でも独特なイデオロギーを持つ町が生まれたのである。
桔梗凛から鳥が飛んできたのは、そんなある日のことであった。
* * * * *
気になるのは、鳥は晶にではなく、菊千代に飛んできたことだ。
手紙の内容はこうである。
「仙野多摩の奪還の件、感謝します。
私も正式に京国の戦士として、リヒトと刃を交える所存にございます。
ところで、菊千代様から伝えられた策を、琴音将軍に献策いたしました。
全て滞りなく執り行います。報告をマテ」
鳥が、菊千代の方に飛んでいった事で晶は慌てて桔梗凛から預かった青い布を、浴衣から探した。
「これ?」
菊千代がそれを浴衣の裾から取り出した。
「ど……どこにあったにござるか……」
「落ちてたんだよ。城の近くに。
……君、京武士と村で斬り合ったろ。そん時落としたんじゃない?」
……藤十郎の時か。
自分の落とし物にも気づかぬとは。晶は頭を抱えてしまった。
* * * * *
軍議室に人が集められる。実峯に綾鶴、藤文、風吹。そして、大将軍光人だった。
未だに居心地が悪いようで目が泳いでいる。
「まず、桔梗凛に何を頼んだのか、聞いてもよいにござるか」
晶が聞くと、菊千代はそんなことより囲炉裏の火の事を気にしている。
外は相変わらずの雨。玉隅ではこんな日の方が多い。
菊千代は寒いのが何よりも我慢ならないようだった。
「……実峯説明してあげて……」
火かき棒で炭を弄り、菊千代は囲炉裏の火を気にしている。
「は、はい」
実峯は、大陸地図の緯度の中心。丁度国境付近を横一文字になぞる。
「現在、京国に侵攻している軍は、スタンウェイ皇子の隊。荒神を攻撃してますが……補給線は淀桂のみです」
「なるほど。次は淀桂を攻め落として、皇子の隊を孤立させちまうってことか」
腕を組みながら綾鶴がつぶやくと……
「淀桂は占領しないよ」
フーと炭に息を吹きかける。灰が、晶の方に飛ぶ。晶は思わずそれを手で払った。
「したいけどね。確かに補給線を潰して仕舞えば、終戦までそう長くはかからない」
「じゃあなんでだよ」
「理由の一つはそこまで簡単な話じゃないってことだ。
リヒトの総人口は京国の倍だ。
千や二千を潰しても、次から次に出てくる。
それに、唯一の補給線を攻められるとなったら、リヒトの精鋭は当然淀桂に集まるだろう。
……荒神を健気に攻撃しているのは、時期皇帝だ。
リヒトにとって今や淀桂は、命の綱なのさ。
実は、王手なんだよ。我々は。
よってリヒトも、京国は淀桂を攻めてくる事を恐れている。そこを利用させてもらう」
「待つにござる。今、菊千代殿は王手と言ったにござるな。
……拙者も同じことを思っているにござる。なれば淀桂を奪還すれば講和が成立するも当然。敵が多かろうと攻める意義はあると思うにござる」
晶がいうと、菊千代は頭を掻いた。
「いや、だから、僕もそうしたいんだよ。でも、それじゃダメなんでしょ?」
菊千代は、大将軍光人を見た。
すると彼は、震える声で告げた。
「……拙者を大将軍とし……玉隅に来る事を許す条件は……リヒトに対する完全勝利と、父上が……」
晶は段々と話が飲み込めてきた。
そういえば、いつか金座将軍が申していた事だ。
元大将軍光国公が掲げていたのは、徹底的なリヒトへの弾圧。
皇帝と、唯一残った皇子の二つの首が御所望なのだ。
おそらくは、唯一の跡取り光人を早い段階で玉隅に疎開させたかったのだろう。
そこから先で、光国公の母親、光橋院との間で考えが割れた。
すなわち、家督を光人に譲り、玉隅を首都にすることだ。
京国の左半分上半分(西側、軍部上層部)が揉めに揉めた末に、光人を大将軍にする。
その代わり、移民どもを根絶やしにせよ。と、元大将軍は仰るのだ。
……些細な親子喧嘩が、中荒隅への防衛を遅らせ、リヒトからの侵攻の全て後手に回る結果になったのだ。
晶は思わず項垂れてしまった。
「して、菊千代殿は桔梗凛に何を命じたのにござるか?」
「僕だって早いとこ終戦はしたいよ。だから、淀桂は攻撃しない。
その代わり……」
菊千代は火かき棒で遠くから大陸地図をなぞる。
「補給路はここしかないってわかってるんだから。邪魔はさせてもらう。
桔梗凛は元々仙野多摩の狩人だ。罠を仕掛けてもらったのさ。まあ、これでスタンウェイ隊は詰みだろうね」
遠くから火かき棒で、菊千代は荒神にバツを書いた。
「……拙者たちは? どうするのにござるか」
「もちろん、親父殿の顔は立てますよ。リヒトに侵攻する。
晶くんに頑張ってもらって、……仙野多摩の時と同じ方法で芸はないけれど、
港町ハイデアルエルクも大都市だ。まず街に潜入してもらって撹乱してもらう。
その後で大将軍率いる二千の兵が都市で制圧だ」
「お、おいちょっと待て!! 今度は俺たちが『地獄の壁』を越えるのか!?」
綾鶴が身を乗り出すと、菊千代はあくびで返した。
「敵も同じことを思っているよ。まさか京武士にそんなことはできないだろうって。
しかも今は淀桂と仙野多摩にしかリヒトの視線は向いてない。
よって、ハイデアルエルク攻めは簡単だと思うし、リヒト攻めの、いい橋頭堡になるよ。
なんたって狭いからねえ『玉隅』は」
「質問の答えになってねえぞ!! 千人で越えるってか!? 『地獄の壁』を!」
すると、菊千代はフン。と鼻を鳴らした。
「もう忘れたの? 山なんか越える必要ないんだよ。僕たちは」
しばしの沈黙の後、晶が口を開いた。
「……ボーゾム族の、海を越える砦を借りるにござるか」
「そ。すでにヴァッサークッペから、あれの動かし方を知ってる人間が帰ってきてる。まあ千人も乗れるとは思わないけれど、多分ハイデアルエルクなんかにリヒト兵はそんなに残ってないでしょう。
なんたって、僕たちは『地獄の壁を越えられない』んだから」
「ま、待ってくれ……」
大将軍が、手を挙げた。
「拙者を……晶……殿と同じ、別働隊に加えてほしい」
その場にいた全員がざわついた。
「光人殿、それは賛成しかねます! それこそ晶たちは、地獄の壁を乗り越えるのですよ!?」
「これでも、四つの頃から刀を握り、十五の歳まで父上や、荒神各将の元で厳しい修行を積んできたつもりにござる。
足手まといにはならん。それを、証明してみせる。
……それに、拙者は京国の大将軍として、戦場を知っておきたいのにござる……」
切実な顔だった。
「……まあ、初陣とするならいい湯加減なんじゃないですか? ハイデ・アルエルクは。……どうだい晶くん」
「……かしこまった。大将軍の初陣、見事勝利で飾ってみせるにござる」
軍議はまとまりつつあったが、晶には、もう一つ気になっていることがあった。
「ところで……日依は今どうしているのにござるか……?」
すると、菊千代が手を挙げた。
「あ、今俺んとこいるよ。軍略に興味があるみたいで、学ばせてる」
……菊千代が? 晶はとたんに不安になった。
すると実峯が慌てて割って入る。
「も! もちろん、お世話は私が責任を持ってしてますので、ご心配なく」
* * * * *
藁の傘、藁手袋に藁草履。
息は真っ白である。
大将軍、光人は自分で言った通り、自分の足で地獄の壁を登る。
これが彼の最初の試練で、洗礼になっただろう。
まだ子供で、体も出来上がっていない。それでも弱音を吐かない。
「大丈夫にござるか」
晶が問うと、一度だけ頷いた。
「……実は、晶殿の話が聞きたくて、『地獄の壁』までついてきたのにござる」
「晶『殿』など……やめてくだされ」
「いいや……活躍を、ずっと荒神で聞いていたにござる。
晶殿の武勇伝を加賀美殿から聞いて、拙者は強くなろうと決めたのにござる。
……まずは忠盛殿の言葉を理解するところから始まった……」
はははははと、思わず晶は笑ってしまった。
「なれば……なぜ一度中荒隅に届けられた時、荒神に逃げたのにござるか?」
晶がふとした疑問をぶつけてみると……
「に、逃げたのにはござらん!! あれは父上の兵に連れて帰られたのにござる!! 決して父上が怖かったなどということは!!」
再び晶が破顔する。
「そんな話はどうでも良いのにござる。晶殿、聞かせてくだされ。
拙者は……どうしたらよいのにござるか」
「……リヒトの事、にござるな」
「左様にござる。晶殿はリヒト人も、こうして配下に加えておられる。
しかし、拙者には父上の言葉も体内に入っておる。
よって……父の言葉も理解できるのにござる。
教えてくだされ。京国と、リヒトは、理解がしあえるようになるのか。それとも、それを諦めるべきなのか」
すると、晶は立ち止まり、真っ直ぐ光人を見た。
「拙者から答えられることはない」
「……え?」
「しかし、これだけならはっきり言えるにござる。
京もリヒトもない。自分の考えに固執するのも良くない。
なぜなら、人間の考えは基本的に間違えているからにござる。
なれば……八曜を信じるにござる。川の流れに身を委ね、大海に至るまでを人生とするにござるよ。
道中、流れが停滞することもある。大きな滝や、激しい氾濫もある。
それでも、川は正しく流れるにござる。
辛いこと、答えの出ぬことは、信じていれば神が答えてくださる。
拙者は今まで、そうして生きてきた」
「……同じ神を信仰すれば、全ての人間は分かり合えるにござるか」
「それはやってみねばわからぬ。拙者は中荒隅という小さい村でしか生きていたことがない。
なれど……京武士、リヒト人、部族。中荒隅は、信仰によって纏まり、今日に至るでござるよ」
この時に、少年光人がどう思ったかは、誰にもわからない。
しかし、この戦争が終結した後に彼が打ち出した政策は、この言葉が根幹にあるのであろう。
* * * * *
菊千代の言った通り、ハイデ・アルエルクのリヒト兵数は多く無かった。
光人の出番はなく、晶とマーラ、レイドヴィヒと寧々が次々と主要拠点を落とし、城を制圧した。
綾鶴の率いる兵がハイデアルエルク港にたどり着く頃には、兵すらほぼ仕事がなかったほどである。
大将軍光人の初陣は、刀を握ることなく終わった。
しかし、得たものは彼にとって非常に大きなものだったのだろう。
正確に言えばボーゾム族がヴァッサークッペを占領してだが、
公式には、これが京国初めての京国のリヒト侵攻であるとされている。




