寧々
京国で最も標高の高い場所にある村、中荒隅の気候は不安定で、ここのところ大雨が続いていた。
仙野多摩から戻ってきた晶が、雨漏りのする道場にて稽古をつけている。
子供、大人、男、女、そして京もリヒトもなかった。
同じ神を信仰するものに等しく、晶は厳しく剣術を教えた。
あんなに優しい晶先生が、突然怖くなる瞬間だった。
「ただ刀を握って振り回せば良いというものではない!
まずはすり足と呼吸を覚えよ!!」
門下生もだいぶ増えてきたが、最近は二度もリヒトに親を奪われた少女、日依が道場で剣を学ぶようになった。
「ヤー!!」
日依が、竹刀で晶を突く。
飲み込みは早い。体が弱いのはどうしようもないが、これなら十分、自分の身なら守れるようになるだろう。
晶は突きを竹刀で払う。
日依の体が畳の床に転げる。
「まだまだ!! 刀を伸ばすのではない! 全身で拙者にぶつかってくるにござる!!」
日依が悔しそうに立ち上がり、それでもすぐに青眼に構える。
「ヤー!!」
全体重を乗せた渾身の突き。晶は払い、軽く面を打ち込む。
小さな少女はその場にうずくまる。
「まだまだ!! 日依! 強くなろうなどと思うな!! 全身で信仰心を八曜に示すのにござる!! 心に八曜を宿すにござるよ! さすれば必ずや神は其方をお守りになる!!」
少女は悔しそうに起き上がり、再びすぐ青眼に構えた。
……それでいい。今は信仰心でも、リヒトへの恨みでもなんでもいい。
無心であってすらいい。
ひたすら体を動かすことが、この娘の精神を安定させるのだ。
晶にはそれがわかっていた。
……が、不思議なことは突然起きる。
日依が突きを繰り出した瞬間である。
(……ム!?)
晶は刀で弾くことなくすり足で突きを避けた。
……晶の体捌きの速さを持って、ぎりぎりであった。
それだけではない。
突きは一度だけではなく、二度、三度と晶の急所を狙って飛んでくる。
流石に足捌きで避けられるものではない。竹刀でなんとか攻撃を逸らす。
……明らかに剣圧が日依のものではない。
これは真剣の重さを知っている人間の突きだ。そして、幾人も人間を斬ってきた者のだ。
晶は間合いを開き、青眼に構えた。
……ふと、視線をやると、いつの間にか対戦相手が変わっていた。
見たことのない女性剣士である。体格は、日依よりも少し大きいほど。
晶と同じくらいである。
当の日依は、割り込まれたまま目を丸くして女剣士を見ていた。
相手がなんのつもりかわからないが、やる気に満ちて目が鋭くなっている。
(何やつ……?)
相手がやる気ならばこちらも応えねばなるまい。
晶は青眼を構えて、踵を地につけ、腰を落とす。
女剣士の構えは、同じ青眼ではあるが、柳谷のそれとは違う。
が、この構え……どこかで見た気がする。
相手が一向に動こうとしないのは、こちらの剣を誘っているからであろうか。
ジリリ、ジリリと距離を詰め……
「ヤ!!」
晶が相手の急所に渾身の突きを繰り出す。
相手の竹刀は、それをいとも簡単に弾き返すと、それを読んでいた晶は、最短の動きで面、再び突き、直線的な攻撃で攻め立てるが全て受けられる。
こちらの突きが払われた瞬間……
(やられる!?)
瞬時に殺気を感じ取った晶の体が自然に動いた。強烈な横面だった。
それを竹刀の腹で受け止める。
バチィィン! と竹刀と竹刀がぶつかり、しなる音が道場に響く。
気がつけば、道場中の人間が二人の斬り合いを見ていた。
晶は思わず両足で踏ん張る。
踏ん張りながらも、この後の敵の二手先は読んでいた。
まずは突き、多段突きでこないならば小手か足を狙ってくる。
しかし読めはしても、対応させないほどの剣の速さが相手にはあった。
晶は後ろに引いて突きをかわすと竹刀でそれを叩き落とし、
「ヤア!!」
渾身の面だった。渾身の面のつもりだった。相手はこちらの面を刀を上に構える霞の構えで受けていた。
竹刀と竹刀のぶつかり合う音が響く。
場外からは「オオ!」という歓声がわく。
(……突きがくる!!)
晶は咄嗟に距離を離す。
再び睨み合い。
女剣士は上段に構え、晶は呼吸を整え青眼に構えた……時である。
二人の竹刀が、ミシミシ……と音を立てて、同時に割れた。
……ここで幕引きとなった。
どちらともなく刀を下ろし、互いに、『二』のポーズで礼をする。
道場中に大きな拍手が湧いた。
すごいものを見た事への感謝の現れだろう。荒神の御前試合でもこんな勝負は見られまい。
* * * * *
「大事な稽古中に割り込んでしまい、申し訳ありませんでした」
大量の汗を拭いながら、女性剣士が話しかけてきた。
日依が、女剣士の真似て突きの素振りをしているのが目の端に映る。
「いや……それより、中荒隅に何かご用か?」
「そういうわけではないんです。ただ、私は《《中荒隅だけには来たことがなかったので》》ぜひ立ち寄ってみたいと思っていたんです」
相手の言っていることがわからない。
「そしたら、とても面白そうなことをされているものですから。つい血が騒いでしまいまして」
「……荒神の将にござるか?」
そんなわけがない。と聞きながら思った。
これほどの実力者がいれば知っているはずである。
当然、荒神の将ではなかった。
「いいえ。第一歩兵連隊の所属です」
……ダイイチホヘイレンタイ。聞いたこともない言葉に晶は首を傾げる。
「しかし……隊の者は皆どこかに消え、行き場が無くなってしまいました。
ここは面白そうですし、しばらく身をおいてもよろしいでしょうか?」
「……別に構わぬが……、今は戦時につきこの村も危険にござるが……それでもよろしいか?」
晶が言うと……
「あら、戦争中なのですね」
相手の女性はむしろ喜んだように見えた。正直一瞬、蛮族めいたものを感じた。
「ならばお役に立てると思いますわ。これでも数千の兵を率いた経験もございますの。……自動小銃や戦車はございますか?」
「じ……なんでござる?」
「それか、『アルメー』にも搭乗経験がございます」
晶は頭を掻いた。また……変なのがきたなあ、と思ったのが本音である。
とりあえず八曜の様式は知っていそうなので、悪者ではないのだろうと判断した。
「名を聞いてもよいにござるか?」
「はい。寧々と申します。以後お見知り置きを」




