ハイデ・アルエルクの戦い
両手と両足を、指先まで藁の袋でしっかり包む。
そして藁の傘。
散々リヒトに越された『地獄の壁』
それを、今は自分の足が登っている。
晶の想像通り、進路は時間をかけてリヒトに舗装され、幾分か進軍しやすくなっていた。
晶は、山下に広がる港町、ハイデ・アルエルクを見下ろした。
真夜中で、日の出にもまだ時間がある。
なのにかの街は、煌々と灯りが灯っている。
「斬り甲斐がありそうだな」
晶の隣で藤十郎が嗤う。
* * * * *
作戦はこうである。
藤が連れてきた仙神堀からの増援二千は、中荒隅の防衛に回す。
実際に動くのは、ゾ・ムスとボーゾム族の隊、それから風吹と鏡面の牙の隊合計二百。
それから晶の別働隊である。
ゾ・ムス達が先行し、ハイデ・アルエルクの隣接都市、ヴァッサークッペを攻撃。
ハイデ・アルエルク制圧のための橋頭堡とするよう『見せかける』が、
本命は晶達がハイデ・アルエルクに忍びこみ、リヒトの第二王子、ラムシュタインを暗殺する。
勝利への前提は二つ。
一つはハイデアルエルクの兵がヴァッサークッペに向かう事。
もう一つ。
……捕らえた敵将、『朧』の情報が正確な事である。
晶は最後までこの作戦に反対だった。
朧には、八曜への信仰がない。その上、兄弟も同然の戦友を殺されている。
晶にしてみれば、信じられる要素はなかった。
そんな晶に対して、参謀である菊千代が提出した判断材料は、
一つ、ハイデ・アルエルクの兵の殆どは消耗されているはずである。
一つ、朧という男に関しては、おそらく朧はリヒトでも重用されていない。という理由である。
根拠は、本来なら信頼されている兵であるなら保険の予備兵力という将などにはされない。
あるいは、自分の側から離さないはずである事。
もう一つの根拠は、実際に両隣を見ろ。と言われた。
その時丁度、晶の隣にいたのが、マーラとレイドヴィヒ。どちらも元ラムシュタインの将である。
二人も離反者を出すほどラムシュタインには人望がない。
三つ目の根拠は、西部方面軍の活躍の薄さをみれば明らかだろう。とのことだった。
よって、だれもラムシュタインに本気でついて行きたがる人間はいない。麻薬と刑罰。飴と鞭でしか人を操れない男であると。
提出された根拠を眼前に並べられても晶は信用できなかった。
むしろ、菊千代が提出した根拠に対し、
その者はそもそもが京武士を憎んでいる。我々を陥れようとするならば、どんな手も使うはずだ。
と言う晶の意見に対して、菊千代は鼻で笑った。
「これが、二千の兵を引き連れての作戦だったらそれもあるかもしれない。
でも、たかが中荒隅の京武士、四人を陥れて何になるの?」
ハイデ・アルエルクに向かう人選は、晶、藤十郎、マーラ、レイドヴィヒ。
……確かに冷静に考えれば、菊千代の言っていることは全体を見れているように思えた。
「万が一嘘でも、こちらは大した損害にならない。君か藤のどちらかは生きて帰ってくるだろうしね。そしたら、朧を好きにしたらいいじゃない」
この一言の後、首脳陣の中で採決がとられる。
議題はこの作戦を持ってもいいか。
実峯、藤文、藤十郎、ゾ・ムス、風吹は『持ってもいい』とし、
綾鶴のみ、晶の側に立った。
一人でも目に余る、友情票だった。
* * * * *
晶はここまで、朧とやらを縄で縛り上げて『地獄の壁』を登山した。
ハイデ・アルエルクを見渡せる山の上、地図と景色を見比べて、晶は朧に尋ねる。
「……お主のいう通りなら、皇子がいるのは、あの建物ということになるが……」
朧は、ハイデ・アルエルクを眺め……
「ああ。皇子は城というものを嫌う。どちらかというと地下に潜む人種で、
将以外は、今どこに皇子がいるのか知らなかったくらいだ。
人付き合いが特に苦手なみたいでな」
……晶はじっと朧を睨む。嘘か誠か、わからぬ。
「それを、お主は知っていたと?」
「……ああ。いるならだいたいあそこだ」
「なぜ……そう言い切れる」
「俺は気に入られていたから……。皇子に。
人付き合いが苦手な者同士波長が合ったんだろう」
晶はため息をついた。
「……お主を信じて本当に大丈夫なのか」
「さあね知らんよ。ただ嘘はついてない」
思わず拳を握る。こいつの心はどこにある!?
八曜への信仰でもない。リヒトへの憧れでもない。
何を心に、こいつは生きているのだ!?
「おい。……行ってみりゃわかるだろうが。
三千の相手が待ち受けてても俺は構わんぜ」
隣で藤が嗤う。
晶は嘆息を吐き、地図をしまった。
* * * * *
晶は何度も街を見渡す。ハイデ・アルエルクから兵が移動した形跡がない。
ゾ・ムスの隊が遅れている……?
それとも何か別の理由が?
しかし、ハイデ・アルエルクの街にイザ忍び込んでみれば、こちらももぬけの殻。
(何が起きている……?)
嫌な予感が絶えない。
悩んでいるうちに、ラムシュタイン皇子が潜伏しているとされている民家の前にたどり着く。
……どうしても気が進まない。
何か裏がある気がしてやまない。
思わず朧を睨む。
「……信じてくれるかわからないけれど、俺はあの男を恨んでいたよ。
京を離れたことに後悔はないけれど、西部方面軍に配属になったことは悔やんでる」
朧は真っ直ぐこちらを見る。
……どうしても信じられない。
どうする、作戦を中止するべきか……
「殺してくれ。数千の仲間を無駄に散らした皇子を」
朧の目に初めて、意志のようなものが見え、晶は奥歯を噛み締めた。
* * * * *
家の前には、マーラとレイドヴィヒに見張りを立てさせる。
藤には連絡係兼、朧の見張りとして家の扉の前に立たせ、自分が独りで家に忍び込む。
……暗く、埃まみれで、誰かが暮らしていたという気配がない。
本当に皇子がいるのであれば、護衛兵がいるはずである。本当に皇子がいるのであれば。
(……騙されたか)
しかし相変わらず外は静かなものである。
罠にかかった……という感覚もない。
白でも黒でも表せない不気味な通路を進む。と……
物音が聞こえた。
真下からである……
* * * * *
数段の階段を降り、地下室を開けた。
そこで目にしたものは――
「誰だ。ノックもできない奴は処すと、何度も言ってきたはずだが」
……男が、こちらに背を向けて、机に向かい、何かを調合している。
草を擦る、すり鉢の音が響くのみである。
その背中は……
その背中から見えたのは……、皇帝という血筋に生まれ、全員がこちらに平伏す父の姿。
この世を動かす、ありとあらゆる力。その全てを凌駕する権力という力。
皇帝の一声で、幾百が動き、幾千が死に、幾万が歓喜の声を上げる。
この世は、父親を中心に回っている……
「……なぜそこで黙っている。誰だ、お前は……」
厳しく育てられた結果、尋常じゃない武力を手に入れ、全てを力で捩じ伏せる兄。
誰からも愛され、その人間力で、人をその気にさせる弟。
自分には、何も、ない。
『次男坊には何もない』これが枷だった。
それまで、自分が何かを命じれば叶うものだと思っていたし、叶ってきた。
欲したものは全て手に入れられた。
しかし、兵を与えられ、兄も弟も成果を上げる中、自分は何もできていない。
こんな時、耳元に自分の声で悪魔が囁く。
『お前には、何もない』
「……誰だ貴様、京武士か。余を斬りにきたと申すか。
…… ……ハハハハハ……独りでか。独りできたと言うのか」
何もない自分が、人を率いるには工夫が必要だった。
人を従わせる工夫が。それが、どれほど人の道を外れたものだとしても……
『成せ』ば、全てを手に入れ、『成さね』ば、何もない自分に戻る。
何もない。ただの皇帝の次男坊に……
* * * * *
晶は確信した。目の前に立ち、剣を構えるこの男は……
リヒト国第二皇子、ラムシュタイン・ジークベルグである。
思わず震えが全身を襲った。
まさか、まさかと思っていたが、本当にいた。
夜草の仇。小十郎の仇。中荒隅の仇が、目の前に一人で立ち、剣を構えている。
晶はハアアと息を吐いて、刀に手をかけた。
「……ラムシュタイン・ジークベルグ。拙者は中荒隅の竹中晶と申す。
八曜の名において貴様を成敗する。覚悟……!」
* * * * *
呆然とした頭で、暗い通路を抜けて、扉を開く。
藤十郎が、そのままの姿勢で待っていた。
「……居たか?」
藤の声に、晶は頷いた。
まだ空は明けておらず、暗闇の中を宙にぶら下がっているような感覚でいる。
自分は本当に仇討ちをなしたのか……
果たしてこれが仇討ちという感覚であったか?
あまりにもの呆気なさに言葉もなかった。が……
この夜、三人のうちの皇子の一人、ラムシュタイン・ジークベルグが歴史から姿を消した。
……晶がぼんやり、地面だか天井だかわからぬ暗闇を見つめている時だった。
ピィィィィ……
という指笛の音で晶は重力を感じ、地面に足をつけた。
鳴らした人間は……朧である。
街の影から、民家から、武装したリヒトの兵が続々と現れる。その数、百や二百はくだらない。千。いや、二千……。
「ありがとうね。《《京武士が皇子を斬ってくれて》》
おかげで俺たちは違う隊に転属できる。お前たちの首を土産にね……」
キヒヒと嗤う朧の顔が見えた。
《《これ》》がこやつの策だったとでもいうのか!?
こやつ、どこまで読んでいた!? 自分が中荒隅で京武士に捕らえられ、ラムシュタインに刺客を送らせ、その時が来たら一斉に斬りかかれと……
どの時点で口裏を合わせていたというのだ……!?
頭が真っ白になるうちにリヒト兵が迫ってくる。
「行きな!!」
そう叫んだのは藤十郎だった。
「お前にはまだ生きててもらわないとならん。
そいつを連れてさっさと消えな!!」
「藤……?」
「行け!! ここでお前が死ねばそれこそ犬死にだぞ!!」
「……すまん!!」
晶は、マーラ、レイドヴィヒ、朧を伴い、山を駆け上がった
多勢のリヒト兵の前に藤十郎が立ち塞がり、刀を抜いて睨みをきかせる。
「藤十郎だ。晶を山の向こうに帰さねえとならねえ。
それの邪魔をしようって奴ぁ……業を背負って叩っ斬る!!」
……その日以来、剣士、藤十郎は姿を消し、このハイデ・アルエルクの戦いで命を落としたと言われている。
* * * * *
がむしゃらに走り、再び『地獄の壁』である。
ヴァッサークッペに兵を送らずに、晶を斬るために兵を温存しておいたのだ。
……第二皇子を餌にして。読めるはずもない策だ。
横で嗤うのはリヒト人ではない。同じ国の生まれのはずだ。
晶には信じられなかった。
「あーあ。大将首は取り損ねたか。無念だなあ」
再び生きて『地獄の壁』を登り、ようやくこの男の心が見えた。
それは強烈な人間への恨みだ。
誰かを恨み、恨み、それがここまで陰湿で、周到な策を考えさせるのだ。
晶からの殺気を読み取ったのか、朧は晶に向き直り……
「斬るかい? 俺を……」
そう言って……『ニ』のポーズをとってお辞儀をしたのだ。
「神様申し訳ございません。お許しください。
……さ、これでも斬れるのかい? ところで俺を雇えば、リヒトの将軍の命をあげるよ。君らにも、犠牲が出るかもしれないけれどもね。
さあ俺を斬れるかい? 謝れば許してくれるのだろう? 八曜は。キヒヒヒヒ……」
八曜に、京武士に、私的な制裁は許されない。
晶は朧を拘束し、中荒隅へと帰っていった。




