傘槍川の戦い
晶は、中荒隅村の入り口に将兵を集める。
皆一様に、覚悟を決めた顔をしている。
特に、ついてきた将を失った寸馬亭金座の部隊には悲壮感が漂っている。
ここにいる人間は、この地に縁もゆかりもない者ばかりである。
それどころか、国も民族も違う者が紛れている。
それが各々の理由でこの地を死守しようというのだ。三千もの兵を相手に。
全ては八曜への信仰の賜物である。
晶は信じて疑わなかった。
全員の顔を見て、そして、『二』のポーズを作り、皆の前で頭を下げる。
全員、同じ姿勢で晶に返す。
「間も無く、敵が攻めてくるにござる。
……数だけ見れば負け戦なれど、拙者達には八曜の神が見ておられる。
恐れることはない……
では、今から策を伝える。
隊は分けぬ。三千の兵に対して三百の兵を分けたとて効果は見込めぬ。
ただ……《《悲しいことに》》できることならある」
晶は、一番西に見える橋頭堡を指差した。
「ボーゾムの兵は、山中の木を倒し、向こうからの兵の進軍路を塞ぐにござる。
ゾ・ムス、お主が指揮をとれ。……西側からの進軍を遅らせるにござる」
晶は、傘槍川を指差した。
「金座殿の兵たちは、これからは綾鶴の指揮下に入るように。
彼の指示の元、水筒の水を川から汲んでくるでござる。
これは今すぐ取り掛かかるにござる。傘槍川は、夜になると水嵩が上がり流れが険しくなる。まして雨が降り始めている。雨足が強まれば川が氾濫するので十分に気をつけつつ、迅速に作業を行なって欲しい。
兵士の分全員。予備、全て。それが終わった後に、井戸を川の水で満たすにござる。水面が井戸から見えるほどに」
続いて実峯を呼んだ。
「実峯殿は、その井戸に松明を設置してほしい」
次に晶は、浴衣から植物を取り出した。
「これは、ここ近郊の山から取れる花にござる。風吹将軍率いる鏡面の牙の皆にはこれを集めよ。陽香殿。お主が監督してほしい。各々の作業を終えたのち……」
晶は村の入り口を指差す。
「全員入り口の山に集まるでござる」
「お、おいおい! それだけで三千の兵を打ち負かすのか!? 三千だぞ!?
……まさかお前、中荒隅を明け渡す気か!?」
「……拙者はただの京武士でござる。
将としての才は拙者にはない。それが良くわかったのにござるよ」
「だからって……ここはお前の故郷だろうが!!」
晶は一瞬だけ綾鶴をみたが、特に動揺するも怒るでもなく、
『二』のポーズを作った。
「中荒隅に八曜のご加護を」
* * * * *
リヒト将軍、グスタフ・ヒスは、地獄の壁から中荒隅を眺めている。
全員、大慌てで川の水を水筒に入れたり、井戸に松明をおいて目印をつけたりしている。
……歴戦の戦士である彼の経験則がこう告げる。
(……撤退の準備か)
中荒隅には、西の悪霊と名高い、竹中晶がいる。
しかし彼の基本戦術は夜襲、それから奇襲だ。
要するに竹中晶という男の戦術は、電撃戦において発揮するのだ。
こちらの兵は三千。カンプフ・フュア・ディー・フライハイトの実に三倍。
対して敵はその時とせいぜい同数。
ここからひっくり返す策は、残念ながらない。
勝ち戦は好きだが、勝ちすぎる戦は性に合わなかった。
しかし、西部方面軍は未だ功績と言った功績がないのだ。
グスタフは、しっかりとこれから落とす都市を眺め、星の位置を確認した。
時間である。
ふと、背後の兵を見渡した。
……支給された薬がまだ効いているようである。皆、目を見開いている。
……『地獄の壁』を登れる薬……。懐疑的だったが、どうやら効き目は本物らしい。
兵達は突撃の瞬間を今か今かと待ち侘びている。
「……では諸君。参るとしよう。アングリッフ!!」
* * * * *
グスタフの隊の出陣を皮切りに、三つの橋頭堡から同時に、それぞれ将兵が出陣する。
……この中荒隅は、カンプフ・フュア・ディー・フライハイトで落とせるはずの村だった。
長い時間がかかってしまったものだが……いくら優秀な働き蟻でも、熊に勝つことなどできないのだ。
ここまで奮戦した中荒隅の兵に敬意を評した。
「伝令! 伝令!!」
進軍するグスタフに、兵が駆け込んできた。
「何か」
「アドラー将軍の進軍路に障害物とのこと! 中荒隅到着に時間がかかるそうです!!」
本来の作戦なら、中荒隅に近いアドラー将軍の隊が一番槍を務める予定だった。
「……いや、別に構わぬ。アドラーには悪いがな。三つの隊で足並みを揃えるとしようではないか。第一、どのみち敵は撤退している」
「は!!」
* * * * *
グスタフの想像通り、三つの橋頭堡から出陣した三つの隊は、同時に中荒隅に到着した。
……兵も何も、もぬけの殻のようである。
「周囲を警戒しつつ村を制圧せよ! 相手は夜襲の天才だ! 夜目に慣れておけ!!」
しかし、警戒すれば警戒するほどに、敵は近くにはいないように思える。
……撤退したか。差し違えてでも抵抗してくると思っていたが、潔く退き、仙神堀の守りを固める。将としては懸命な判断だ。
いくら探しても、完全に人の気配がしない。
ふと、リヒト兵達が井戸の水に群がっているのが見えた。
地獄の壁を登る以上、持ち込む水の量も最低限にしている。
これも想定していた景色だ。
「者ども順番に井戸に並べ! 井戸の水は潤沢にある!」
しかし兵は、お互いを押し退けながら井戸の水を欲している。
まるで井戸に飛び込まんとしているかの如くである。
そして、井戸の水に在り付けないとわかった兵の列が川の方に流れていく。
「おい! この時間の傘槍川は水嵩が高いぞ! 雨も降っている!川に近づくでない!!」
結局出遅れたアドラー将軍も、自分の兵の統率に手を焼いているようである。
兵の多さに対して村の狭さである。やはりここに三千の兵などいらなかったのだ。
思わずため息が漏れる。
「『グラオベ』の効能らしいんです。喉が渇いて仕方がなくなるらしいんですよ」
アドラー将軍が兵達を見てぼやいた。
ふと……グスタフ将軍は嫌な予感がした。
……そこに、
「ぐ……」
一人のリヒト兵の苦しむ声が聞こえたと思い、思わず身構える。
(敵か!?)
しかし、見渡しても京武士の姿もなく、殺気も感じない。
……が、苦しみ出したリヒト兵、その隣の兵も、胸を押さえて倒れた。
と、思ったらその隣、更にはその隣の兵も次々に倒れていく。
「いかん!! 水に毒が仕込まれている!! その水を飲むでない!!」
と、言った頃には、辺りにはリヒトの兵達が泡を吹いて倒れている。
これは敵の策だ!!
(しまった!!)
とグスタフ将軍が思った瞬間である。
「八曜の名において成敗致す!! 覚悟!!」
「ぎゃ!!」
斬られたのはカスパー将軍であった。
そして、グスタフは見た。突然目の前に現れたのは、悪霊、竹中晶である。
「かかれ!!」
「アングリフ!!」
両将同時に号令をかける。
しかしこちらには動ける兵など居ないに等しかった。
グスタフは構えながらアドラー将軍に声をかける。
「アドラー将軍! そちらの兵は!?」
「……川に……」
「川!!」
そこに、京武士、百名が流れ込んできた。
「ええい怯むな!! 小賢しい策でこの兵数はひっくり返せんわ!!」
しかしグスタフの言葉とは裏腹に、戦いは悲惨なものだった。
兵はもはや、兵としての機能を成しておらず、統率の取れ、練度の高い百の兵に敵わない。
こんな、こんな馬鹿げたことがあるか!!
三千だぞ!? 三千の兵が、わずか三百に……
「八曜の名において! 覚悟!!」
自分の近くで、竹中晶の声が響いた。
* * * * *
傘槍川の方も悲惨なことには変わりなかった。
水嵩が増したどころか、雨足が強くなってもはや氾濫を起こし、鉄砲水のように流れが激しい傘槍川で、喉の渇きを潤すのに難儀しているリヒト兵。
既に押し合いが発生しており、何もしなくても兵が川に流されていく。
味方同士が、欲求のために味方の命を奪うのである。
そこに、夜目の利くゾ・ムス率いるボーゾム兵百と、風吹将軍率いる鏡面の牙の隊百が挟撃する。
すでにアドラー将軍は綾鶴に討ち取られており、兵を統率するものもいない。
三千の兵が、三百の兵相手に、戦いにならなかった。
* * * * *
晶に斬られたグスタフは、薄れゆく意識の中でこう思ったはずである。
こやつらは、いつの間に『グラオベ』の効能を知ったのだ?
いずれにしても、三千の兵は三百の兵によって壊滅させられた。
これが竹中晶の英雄譚として後に語られる、傘槍川の戦いであった。




