鷹巣川の戦い
晶たちが中荒隅に帰ってきた時には、すっかり陽も落ちていたが、村の入り口が騒がしかった。
見知らぬ男が大騒ぎをしている。
「本当だ! 見たんだ! 見たんだよ!!」
……などと言う言葉しか聞き取れないが、とにかく村人の騒ぎ方が普通ではない。
晶たちはひとまず何事か騒ぎの渦中まで行ってみることにした。
村人に話しかけるが……
「ア、晶様、おかえりなさいませ。なんでもこの男が、リヒトの奴らが海を渡って、中荒隅の麓まで来てるなんて言うものですから」
海を、渡って?
「本当なんでさぁ! ばかでけえ何かに乗って、リヒトの奴らがすぐそこまで来てるんですよ!」
「……お主、名は?」
「へえ! あっしは、仙野多摩で大道芸をやっておりました。喜屋氏八代麻呂てなもんでさあ。
それが中荒隅が復興したと聞いて、ひと稼ぎできねえかって山を登ってる最中で、この目で見たんでさあ!!」
なんだ噺家じゃねえかよ! 作り話だ!
村人が騒ぎ出す。
晶も、俄には信じられなかった。
「……わかった。今から軍議を開くが、将たちの前で同じ事が言えるにござるか?」
「もちろんでさあ! 急いでくだされ!!」
大道芸をやっているからなのか、男の声はどこか芝居がかっているのだが、確かに鬼気迫るものを感じた。
* * * * *
こうしてみると、軍議室にも人が増えたものだ。
囲炉裏があって、風上で菊千代が寝ているのはいつも通りだ。奥の壁に大陸図が掛かっており、そこに実峯が立っている。
入り口から見て、正面手前側に晶が。下手側つまり左側に落ち着きなく綾鶴が立っており、囲炉裏の前に舞。弥吉。
それから新参の将、風吹が座っている。上手側つまり右側に、綾鶴とは対照的に小十郎が立っており、囲炉裏の前にはマーラ。
それから新参のレイドヴィヒが座っている。
そして、入り口側に八代麿が将の前に座らされ、報告を済ませたところである。
「海から?」
綾鶴が訝しげに聞く。明らかに信じていない声だ。
「……どこで見たって?」
横になりながら菊千代が八代麿に聞く。
「へい」
八代麿は大陸地図の前までやってきて、中荒隅の東。山のさらに東を指でなぞった。
「……芦矢の南?」
実峯が『虚民区』の名前を口にする。
芦矢とは、中立区域……いや、非戦闘区域の総称である『虚民区』のうちの一つだ。
「あっし、仙野多摩を追い出されてから、最初は隅扇島で商売させてもらったんでごぜえやすが、京浜大志が攻撃されたあたりから京武士がちがピリピリしやして……
仕方なく虚民区で商売してたんですがー……今度はいまいち芸が伝わらないもんでして。
そしたら中荒隅が復興して村ができてるなんて聞くじゃないですか! だからあっし、ここを通って……」
芦屋の南側の山道を指でなぞった。
「ここで、リヒトを見たんです。連中、海を移動する砦に乗ってここまでやってきたんです!!」
「実峯」
いつの間にか、菊千代が起き上がっていた。
「芦矢の南西にある……その小さいのはなんだい」
「え?」
菊千代に言われて、実峯は指で芦矢の南西をなぞる。
確かに、芦矢からやや離れた場所に、五キロ平方メートルほどの離島がある。
「これは確か……絶滅期に噴火した水中の火山が隆起して出来た島だったと思います。名前は確か……『ボーゾム』」
菊千代は今度は、八代麿を見た。
「なあ、あんたが見たの、確かにリヒト人かい?」
「そ、そんなこと言われましても! あっしは京人以外に見たのはリヒト人しかいないもんですから!」
八代麿が頭を掻く。菊千代は、膝下の床をじっと見ている。
「リヒトには、海を渡ってくる技術は無い。あってるかい?」
誰に聞いてる言葉でもないが、マーラが応えた。
「ナイ! アッタラ、ヤマナンカ、コエナイ!」
「……ここに人間が住んでいたとする。近くにはリヒト領だ。『コイツら』がその技術を持っていたら? リヒトと取引すると思うかい?」
今度はレイドヴィヒが答える。
「キイタコトハナイ。タダ……リヒト、『グラオベ』モッテル」
『グラオベ』摂取したものに多幸感を与える薬物だ。
もちろん、『ボーゾム』の人間が海を渡る技術を持っているとして……
リヒトが麻薬を餌に、ボーゾムの人間を買収したとしたら……?
「……その場に向かおう。八代麿殿、案内を頼む。
小十郎、弥吉、マーラ、レイドヴィヒは拙者についてくるにござる。
風吹殿、綾鶴、実峯殿。百の兵は置いておく。何かあったら中荒隅をよろしく頼み申す」
全員、重々しく頷いた。
晶は、両腕を胸の前に持ってきて『二』のポーズを作り……
「八曜の神よ、我らをお救いください」といつもの唱え言葉を念じる。
全員、同じようなことをする。もちろんマーラも。レイドヴィヒも、所作は分からないなりに晶を真似た。
……弥吉だけ、何もしなかった。
隣に立っている小十郎が……
「戦の前かもしれん。祈っておけ。……全員の士気に関わる」
と忠告するが……
「遠慮するよ。そいつに祈って、碌なことがあった試しがない」
弥吉は、元々敬虔な八曜信者だった。それがある日、家族も故郷も奪われた。
……それを聞いていた晶はどうしても弥吉を自分と重ね合わせてしまう。
「弥吉。気持ちはわかるが、儀式は全員で行わねば意味をなさぬ。
我ら全員を救うと思って、今は形だけでも祈ってくれぬか」
などと頼み込むと、弥吉は渋々、『二のポーズ』を作った。
嫌々だったろうが、誰よりも美しい所作だった。
* * * * *
夜間に山を降りる。
長いこと中荒隅に住んでいるが、晶は芦矢の方面に、降りたことは無かった。
晶含む中荒隅の人間は、『虚民区』に近づくなと言われていたのだ。
「……ム!!」
晶は立ち止まった。
向こうに粗末な長屋が乱立しているのが、芦矢。
だとすれば、その手前に灯っている松明の明かりはなんだ……?
「あそこです! あのあたりで、あっしはリヒト兵を見かけたんでございやす!!」
八代麿が興奮気味に言う。
松明が、山沿いにこちらに近づいて来ている気がする。
……あれが中荒隅に向かっているのだとしたら?
中荒隅の人間は、リヒトは『死の壁』を越えてくると、半ば植え付けられている。
あれが本当にリヒト軍だとしたら、完全に裏を突かれることになる。
「……どうする」
小十郎に言われて、晶は大陸図を広げた。
暗いので、読めるものは晶以外居なかった。
「明かりの数からして、敵兵は二百。
中荒隅を攻めるには十分な数にござる」
「ああ、そしてこちらは五人だ。二百で攻撃するには十分すぎる人数だな」
無理矢理祈らされて気が立っているのだろうか、弥吉が皮肉めいたことを言う。
「……戦をするなら、ここにござる」
晶は地図をなぞるが、誰も読めない。
「鷹巣川にござる。海から中荒隅に来るには、ここから真下の鷹巣側を渡らねばならない。松明を持って川を渡るのは不可能にござる。
敵が川を渡った所で攻撃を仕掛けるにござる。
……八曜神のご加護を……」
その場の全員が、晶と同じように祈った。
* * * * *
鷹巣川は、傘槍川に比べて浅く、流れが激しい。
敵から見て、川向かいの茂みに隠れながら晶は、初めてボーゾムの兵と言うものをみた。
上半身に何も身につけず、草の冠をつけ、槍を装備している。
……率いているのは、リヒト人だった。
小声でマーラが話しかける。
「サブリナ……」
「うむ……確か西部方面軍の将であったな。どうやら、菊千代殿の予感はあたったらしい」
鷹巣川を渡り、背中側の勾配を登っていけば中荒隅である。
サブリナという将は兵たちに号令を出し、松明を消した。
(来る!!)
ボーゾムの兵が広がって川を歩いて渡ってくる。
敵はどうやら、中荒隅への夜襲を決めたようである。
茂みの中で晶は、四人に声をかけた。
「散開して、川辺で迎え撃つにござる。
……八曜の神よ、我らを守りたまえ」
そして、筋肉質なボーゾムの兵が鷹巣側を渡りきった辺りである
「今だ! 参る!!」
晶は茂みから飛び出し、ボーゾムの兵に斬りかかる。
夜目のきく晶はボーゾム兵の首を落とす。
これが初めてのボーゾムとの戦いだったのだが……
(か、硬い!)
いつもと刀の感触が違う。
後の四人も晶に続き、戦闘になる。
夜襲はもはや、晶の戦術の十八番なのだが、様子がおかしい。
思うように敵が動揺しないのだ。
晶にはその原因がすぐに分かった。
「こやつら! 目がいい!!
川を渡る前に斬るにござる!」
しかし相手が持っているのは、リヒトの長剣よりも長い長槍。
思うように戦術がうまくいかない。
あっという間に五人ほどに囲まれる。
(しまった!!)
晶が後退するかという所で、大きな音と爆発が聞こえた。
レイドヴィヒが機転を利かせて、偶然持っていた爆雷管を投げつけたのだ。
ボーゾムたちは爆雷など見たこともないのだろう。驚いて川で立ち往生をしてしまった。
「今だ! かかれ!!」
この一瞬の隙をついて、川の中にいるボーゾム達を斬って斬って斬りつける。
「リヒトの将、サブリナ!! 神の名に置いて成敗致す! 覚悟!!」
川で指揮をとっていたサブリナに、晶は斬りかかった。
サブリナも応戦するが、激しい川の流れに足を取られた。
そこを斬った。
勝負あった。
ボーゾム達は川を引き返し、去っていく。
* * * * *
「皆の者無事か!?」
晶はあたりを見回す。
レイドヴィヒは健在。マーラも立っている。
小十郎も疲れて倒れているが、負傷はしていない。
……弥吉も倒れていた。
「弥吉!?」
晶は弥吉に駆け寄る。
「弥吉!! 弥吉!!」
弥吉の下腹から血が滴る。ボーゾムの槍に突かれたのだろう。
すでに息がない。
「晶……残念だが」
背中で倒れたままの小十郎が声をかけるが……
「ならぬ!! 弥吉だけは死なせてはならぬ!!」
晶は自分の着物の帯を解いて、弥吉の腹に力強く巻き、止血を試みる。
……今、弥吉が死ねば、信仰に疑いを持たせたまま逝かせる事になる。
それだけは晶は避けたかった。
それはつまり、死しても八曜の元に辿り着けないことを意味する。
自分の配下がそのようなことになるということは、自分がしてきたことが間違いだったことを意味する気がして、晶は恐ろしかった。
「弥吉!! 死ぬな!! 今死んではならぬ!!」
何度も心臓を動かそうと試みるが、すでに手遅れだった。
見ていられなくなり、小十郎が背中から晶を叩く。
「……弥吉の最後の信仰が、俺たちだけでも生かせてくれたんだ。
それが八曜の意志だ」
晶は思わず小十郎を睨んだ。
何も、言い返せなかった。
川辺に座りつくし、泣くことも許されず、一度だけ自分の膝を殴った。
水面に、酷い自分の顔が歪んで映る。
『鷹巣川の戦い』にて、東堂弥吉は没した。




