亡命者
雨はすっかり止んだ頃に晶は、大陸中央を陣取る裸木山脈を中荒隅に向けて進んでいた。
加賀美殿に、皇子の暗殺を失敗した件を報告するかで悩んだが、元々止められていた任務だ。
敵の中に、油断ならない男がいる事も、加賀美ならわかっているだろう。
このままでは何の収穫もないまま淀桂を出なければならないと言うので、せめて仙野多摩の状況を見てから中荒隅に戻ろうとしたのである。
当たり前だが、このような山道……いや、道ですらない。こんな場所を都市を跨いで渡るのは危険であり、あらためて『地獄の壁』を超えてきたリヒトの人間は恐ろしいと感じた。
ぬかるむ土。足場のない足場。場所によっては木にしがみついて移動しなければならない。
一人だからできることだが、これを『行軍』するとなるととんでもない労力がかかるだろう。
考えただけでも恐ろしい話だ。
山岳から仙野多摩の近くを通る。
北西部の京国首都。と呼ばれた街で、毎日寄席が開かれており、晶も憧れている都市の一つだった。
外見からではわかり辛いが、人の数がまばらである。どこかの施設一箇所に、とどめられているのかもしれない。
* * * * *
次に思い出したのは、先ほどの仮面の剣士のことだった。
あのまま続けていたら、自分は無事で済んだだろうか?
仮面で素顔が隠れていたせいか、表情は読めない。しかし、ひどく落ち着いているように感じた。
一番疑問に思ったのは、刀を奪われた時、京武士の刀を手慣れて扱うあの所作だ。
それだけじゃない。
踵を、地面にべったりとくっつけていた……。
あれは、大陸西側の京人が構えるやり方だ。刀は重たいから、中心線をブレないように腰を落として扱う……。
なにぶん、仮面で隠れていたので何者かはわからないが、もしかしたら、知り合いの可能性もあった……?
いや、あまり考えたくない想像だ。それは、西側から亡命者が出たことになる。
亡命者、と口に出した瞬間である。
自分の進やや先を、十名ほどのリヒト人が歩いて行くのを見かけた。
向かっている先は、方角的にどうも、中荒隅である。
* * * * *
『仙野多摩から中荒隅まで侵攻を企てている噂がある』
そんな噂を聞いた。だから黙って後をつけていた。
しかし様子がおかしいのだ。
中荒隅を目指しているところまではあっていそうだが、背後を気にしている。
様子を察するに……彼らは、逃げている?
間も無く日が暮れる。
そうなるとこの辺りは、本当に何も見えない暗闇になる。
話をするなら、これが最後の機会じゃないかと、晶は感じた。
* * * * *
「Entschuldige, darf ich kurz mit dir sprechen?
(すまない、少し話してもいいか?)」
晶は、少しだけリヒト語が喋れる。
それを聞いた十人ほどの人間はビクッと一斉にこっちを見、こちらが一人だとわかると剣を構えた。
晶はこの時に気がついた。
……しまった。丸腰だ。刀はさっきの仮面に奪われた。
両手を上げて、戦う意志がないことを示した。
「Ich bin kein Lichtner. Sagt mal, vor wem oder was seid ihr auf der Flucht?
(私はリヒト人じゃない。なあ、君たちは誰から、あるいは何から逃げているんだ?)
誠心誠意、敵意がないように伝えたら、十人ほどのうちの一人が、僕に話しかけてきた。
「……『KYOU BUSHI?』」
* * * * *
辿々しいリヒト語だが、なんとか話は伝わった。
彼ら、彼女らは、一度『地獄の壁』を越えてきたリヒト人だ。
そして、晶たちが中荒隅を取り戻した後は仙野多摩に逃げ込んだらしい。
「私たちは、仙野多摩で禊を受けたの」
「禊?」
すると、女性が背中を向いた。腰から足にかけて、何本も機械的な傷がつけられていた。
「役立たずの烙印よ。……自由と希望を望んで、『地獄の壁』を乗り越えた。
……今では、中荒隅の人々に心から謝りたい気分よ……」
「俺たちは、祖国に捨てられたんだ……。リヒトには……人が溢れているから」
口々に、彼らはそう言った。
今度は晶が話しかけてみる。
「それで、君たちはどこに行こうとしているんだ?」
すると先頭の女性が……
「この先に、ある中荒隅が復興しようとしていると聞いたわ。
そこでリヒト人が受け入れられるかはわからない。でも、心を入れ替えて私たちは、中荒隅のために戦うつもりよ」
「……リヒトとかい?」
「そうよ」
晶はここで、目の色が変わった。
「なら!! 僕についてくるといい!!」
「なぜ?」
「僕は今、まさに中荒隅の復興に注力している人間だ! 今はまだ何もない村だけれども……
君たちが手伝ってくれるなら喜んで向かい入れるよ!
無理してリヒトと戦わなくたっていい! 村の復興を手伝ってくれさえすればいい!!」
すると、相手の女性はこちらを信用したのか、目つきが変わる。
「本当……私たちを、許してくれるの?」
「許すも何もない! 中荒隅で、一緒に暮らそう!!」
すると、十人の男女は明らかに喜んだ。
「私はミア。元西部方面軍のミアよ。あなたにリヒトの情報なら伝えられるかもしれない。連れて行ってくれたら、役に立つわ!!」
* * * * *
暗くなったので、各々木に腰掛けて休んでる最中であった。
自分達の通ってきた足跡を辿って……何かが大勢でこちらにやってくる気配があった。
(敵か!?) と腰のものを抜こうとしたが……腰のものがない。
ミアは後からやってくる人間を見ながら……
「あれは……嘘でしょ!? 東部戦線の大将、スタンウェイ皇子よ!!」
「直々に俺たちを始末しに来たってか!!」
相手は百人ほど。
仮面の男は……見当たらない。
こっちは丸腰。武器があればまだしも、こちらは何もない。
我々は暗闇の中に隠れるように逃げていく。すると……
「我は第三皇子スタンウェイ・ジークベルグだ。君たちと一度話がしたい」
とはっきり聞こえた。
さっきまで斬ろうと思っていた人物に、ここで会うとはなんと因果な……
晶は物陰に隠れた。
数名、混乱して皇帝に切り掛かったが、大男がそれを処す。
遺体が、麓の方に転がっていく……。
影から見ていたジークベルグ皇子は、加賀美から聞いた通りの人物だった。
聡明にして、誠実な顔をしていた。
どうやら、ミアを殺しに来たのではないようだが……説得のためにわざわざこの山を登ってきたのだとしたら、なかなかの行動力だ。
「ミアよ。そしてここにいる全員の命は、たった今から私が預かる。
東部の戦線も……決して楽ではないが、私は君たちに居場所を作ってあげられる。
……どうだ。私についてきてくれるか」
その声は、とても心の芯にくるものがあった。
優しいなんていうものではない。心から相手を思いやる声だ。
そしてミアは、うなづき、皇子について行った。
重要な味方を手にし損なったが、これはこれで彼女たちのためになったのではないだろうか。
別れ際、ミアは晶が隠れている木の方に一度だけ、
「ごめんなさい。ありがとう」
と言ったのが聞こえた……。




