宿敵
叩きつけるような大雨。
山頂を感じさせる風の強さと寒さ。
前に一歩進むのも一苦労である。これが熱帯雨林か。
とにかく雨の音と、港町独特の大時化の波の音で何も聞こえない。
しかし晶はこのような状況下も得意としていた。
前さえろくに見えぬ大雨。それは夜襲と同じことだ。
晶は背の高い木々の間を、音を立てずに進んでいった。
「……ガ!!」
背後からリヒト兵を締め上げる。
リヒト兵を森の奥に引き摺り込み、服と兜を拝借する。
……だいぶ背丈の違う人間の服を借りてしまったが、贅沢は言っていられない。
人間は、落ち着きのない人間に敏感になる。
だから敵陣に忍び込む際は、心を殺し、落ち着いて堂々としていることが重要になる。
熱帯雨林から開けた場所に出ると……見つけた。ニーナ・ハーゲン城だ。
城とは言いつつも、民家の中にある少しだけ大きい金持ちの家に見える。赤いレンガでできている。
ここに……スタンウェイ皇子がいる。
昼間だがこの大雨だ。おそらく中にいるだろう。
鉄製で背の高い柵で囲われている。
大雨で助かった。出歩いている人間はいない。
一応警戒して、正門など潜らず、鉄柵を素早く登り城の側面にまで忍び込んだ。
すると……
ギギィ……と正門が開く音が響いてきた。大雨と、波の音の中でも、晶はその音を聞き逃さなかった。
城壁にもたれ、身を隠す。
リヒト兵は、一人で入ってきた。
……風貌が、独特だった……。
リヒト人の割に対して背丈はなく、仮面で顔をすっぽり隠している。
なんだかわからないが、只者ではないと直感で感じた。
男は城の扉の前までくると、閃光が走り、落雷の音。かなり近い。
そのまま城の中に入っていくのかと思っていたら、なかなかその場から動かない。
――気付かれた? まさか、この大雨の中でか……?
男はこちらの方に視線を向ける。どうやら、本当に気付かれたようだ。
「何者だ。出てこい」
男の声は、大雨や大時化や雷の、実に騒がしい中でもはっきりと聞き取れた。
(こやつ……強い)
今まで強い敵とは幾百と斬り合ってきたけれど、今までの猛者とは異質な何かを持っている……
晶はそこまで読み取ると、冷静に壁伝いに男の視覚外へと消えた。
男がここまで歩いてくるまでの数秒、晶は実に多くの事を考えた。
……あの男、『何者だ。出てこい』と、京言葉を使った。
これが意味することは? あいつは京国に通じている。もう一つ、瞬時に自分が京武士であることを見抜かれた。
なんとなく察した。加賀美殿が苦戦している敵は、あの者である。
さてこちらはどう戦う。
この後の展開として最悪なのは、人を呼ばれることだ。この場合、鉄柵を乗り越えて逃げるしかない。
この大雨だ。敵も速くは追ってこれまい。
一度確認にくるだろうか……? かといって、角待ちしての奇襲など、おそらくあの男には通用しまい。
あたりを見回す。城壁から鉄柵まで、三尺少ししかない。人一人分、通れるかどうかという広さだ。
狭い場所であるなら、長い長剣より刀の方が有利だが、こちらはいつでも鉄柵を飛び越える準備をしておかねばならない。
晶は、煉瓦でできている城壁に張り付き、四肢を使って器用に登っていく。
足音は近づいてくる。慎重な音だ。どうやら、人は呼ばずにこちらを仕留めにくるようだ。
(八曜の神よ、我に力を……!!)
晶は、覚悟を決めた。
* * * * *
思った通りだ、角でも仮面の男は隙もなく長剣を構えて裏道に入ってきた。
ならば、上を警戒される前にこの一撃で仕留める!
晶は手を離し、仮面の男の真上に剣を突き立てながら落下する。
京の流儀にこんな剣はない。一か八かの奇襲攻撃だった。
しかし仮面男は、まるで頭頂部に目でもついているのか、頭上からの攻撃など先刻も承知と言わんばかりに後ろに飛んだ。
晶の刀が地面に刺さる。
(……来る!!)
反射的に晶は殺気を感じた。敵は長剣、どうくる!? 面か!? 袈裟か!?
敵の構えは……
(突きか!!)
ガキィィン!! 間一髪、仮面男の突きを逆袈裟でしのぐ。
眩い閃光と爆発音。これは近くに雷が落ちた。仮面で相手の表情は読めないが、剣同士が触れ合ってる今、相手の考える事が読めた。
この仮面の男、狭い場所で長剣が不利だとは思っていない!
だとすれば次の突きがくる!!
それは全身を使って体からぶつかってくるような多段突きだった。
今までのリヒト兵はこんなことをしてこなかった。
しかし所詮は長剣。一度見切ってしまえば何度突かれようとも剣先が読める。
晶は突きを凌いでなんとか距離を取った。
近くで、また雷が落ちた。
(相手は正面からの攻撃に弱いリヒト兵。拙者が有利にござる……!)
晶は落ち着いて刀を青眼に構える。
すると……仮面の男も長剣を似たような青眼に構えた。
これは……相手の作戦だろうか? それとも、本当に京にゆかりのある男なのだろうか?
であるならば、相手は苦手な武器を持った京武士と変わらない。利はまだこちらにある……!
晶はゆっくりと間合いを詰めた。
(間合いに入った!)
「ヤ!」と突きを繰り出せば、同じ瞬間に仮面男も、まるで自分の鏡の如く同じ突きを繰り出す。
剣と剣の先がぶつかったと同時にまた近くに雷が落ちた。
刀を握る手に重たい振動と激痛が走り、晶はこれに耐えられなかった。
「ワァ!」
それは相手も同じだったようで、やはり合わせ鏡の如く似たように尻餅をつく。
慌てて立ち上がり、獲物を掴むと……違和感を感じた。
同じようにすでに立ち上がっている仮面の男は、刀を青眼で構えていた。
……つまり、晶の刀だ。
とすれば、今自分が握っているものは、仮面の男のか……!!
(……ン!?)
仮面男の青眼に、違和感を感じる。
その違和感の正体までは掴めないが、これだけはわかる。
仮面の男は、京武士の刀を使い慣れている……!
勝ちへの利が、敵に移ってしまった。
ここは勝ち目がないと悟った晶は、仮面男をじっと見据えた。
再び近くに雷が落ち、晶は覚悟を決めた。
長剣の使い方などわからぬが、突きを繰り出した。
仮面男は当然のようにそれを弾き返す。
……一か八かの賭けだった。晶は敵がそうするのを待っていたのだ。
体重の軽い晶の体は自然と弾かれた方に持っていかれ、片足が浮く。
その足で、赤煉瓦の壁を蹴り鉄柵の方へ飛び、仮面男に長剣を投げ返した。
そしてなんとか鉄柵を乗り越えて、熱帯雨林の方へ走った。
この大雨である。そう遠くまでは探せまい。
そして逃げ足に関しては晶に自信もあった。
豪雨の中、晶はニーナ・ハーゲン城から逃げ切った。




