菊千代
京国仙野多摩は大陸の北東部、中央を陣取る巨大山脈の麓にある。
少し西に向かえば、京国首都の入口、京浜大志だ。
仙野多摩は人口が多く北東部の首都なんて呼ばれている。
娯楽らしい娯楽のない京国の割に、寄席や浪曲、講談が盛んで、一日中噺家や講談師がどこかしらで座っている。
京国中の暇人が、寄席を楽しむ街だなんて呼ばれるが、柳谷菊千代はそんな生き方に憧れていた。
菊千代は、京国が好きではない。
かと言ってリヒトに亡命なんて考えるわけでもないのだが。
侍だかなんだかが偉そうにしていて、みんなして侍の機嫌を取ろうとするこの国が、はっきり言って嫌いだったし、
自分も侍になんてなりたくなかった。だから柳家でも『綾名』を辞退して、京の暇人になり、仙野多摩にやってきたのだ。
それが今は、あっさりリヒト人に捕らわれて獄中にいる。
暇でやることもないので、暗闇の中で浪曲の一節を思い出しているところだ。
物語はいい。菊千代は、人の考える物語が好きだった。
物語の上では、どんな突飛なことでも成立する。
なのに京国の人間ときたら、ヤレ加賀美だのなんだの考えた軍略を美徳とし、
その独創性よりも理屈を重視したがる。
……そういえば、数年前に行われた『軍略試験』
つまらない試験だったが、あの時二位をとった侍も、突飛な奴だった……。
* * * * *
「ねえ、流石に五千相手に三人は無謀なんじゃない?」
試験会場にて優勝した菊千代は、二位をとった侍に声をかけた。
普段はこんなことはまずしない。だけれど相手は、よく見る苗字ではなかったのと、その無茶苦茶な作戦に興味を持ったのだ。
自分と同い年、いや、少し下か?
幼い侍は、話しかけると爽やかな笑顔を返した。
「問題文を読めば、この作戦は数など要らぬことなどわかり申す」
妙に京訛りの強い奴だった。
西部のやつだなこいつ。
「まずは、大前提。出題文は京国の地で、敵に占領されている状況にござる。
そして課題はこの地の奪還で、完全制圧ではない。
つまり、地形はこちらの頭に入っているのが前提にござる」
「……だからって、三人で奪還できるの?」
「三人だから可能なのにござるよ。完全制圧なら話は別でござった。
兵站まで計算し、日数をかけなければならぬ。
しかし『奪還』なら……煩わしく不確実な行軍をせずに済むのにござる」
「……三人の作戦が確実なの?」
「兵站はむずかしゅうござる。兵数が決まっていれば兵糧の数はこう、とまるで足し算のように皆は言う。
しかし現実ではこれが難しい。例えば兵の中に病人がいたら? 大雨で進軍路が氾濫していたら?
敵が要らぬ知恵を働かし、路面を瓦礫で塞いだら?
わずかな誤算が要らぬ犠牲を出しかねぬ。されど三人であれば……兵站の悩みが一つ減るのにござる」
割と理屈っぽい侍だなあ。と菊千代は思った。
「この問題であれば、先ほど申した通り地形は頭に入っている。
敵陣がどこで、兵糧庫はどこ。場所は限られておる。
ならば二人で敵人の大将の元まで忍び込み、一人は兵糧庫を焼く。
この策がなれば、あとは味方の本隊が来るまで町中逃げ回れば良い。
三人だからできる作戦にござるよ」
変なやつだなあ。と、相手の若い侍をなんとなく覚えた。
* * * * *
『縁は引き寄せる』のような言葉が、八曜の教典には書かれていた気がする。
ようは、考えていた相手がその場に現れるとのことだ。
「菊千代殿、菊千代殿」
暗闇から小声で響いたその声に、菊千代は覚えがあった。
そいつは牢の鍵をガチャリと開けた。
そして、隣の男に鍵を渡し、隣の房、その隣の房の鍵を開けていく。
「無事にござるか」
「……君は……確か竹中の……?」
「左様。竹中晶にござる。
ここに菊千代殿が幽閉されてると聞き及び、助けに参った」
菊千代はふと、考えてこんなことを聞いた。
「何人で来たの?」
すると晶はフフと微笑って……
「三人にござる」
* * * * *
仙野多摩の牢獄では、脱走者が大量に現れて混乱の最中にあった。
そこを四人で抜け出し、郊外まで逃げ込んできたところだ。
「確か……最近仙野多摩に配備されたリヒト兵の数は五千。
相変わらず狂ってるね。君の考えることは」
「そうではござらんよ。元々ここは京国の都市。なれば街の地図も、牢獄の設計図も容易に手に入るのにござる。
あとは……リヒト人のふりをして鍵を手に入れられる者さえ居れば、忍び込むことなど簡単な事にござる」
四人のうち一人は、リヒト人の顔をしていた。
「……初めて、自分の顔面に感謝したよ」
リヒト人の顔をした男は、流暢な京言葉を話す。おそらく混血だろう。
「……で? 僕なんか助けてどうするんだい? 言っとくけど僕は、京国の役になんか立ちたいとは思わないからね」
「京国のためではござらん……といえば嘘になるが、拙者の志は別のところにある」
相変わらず、つかみどころのない変な侍だ。と菊千代は思った。
「拙者の故郷、中荒隅は焼け落ち申した。民から街まで、何もかもが灰になり申した」
「だろうねえ」
菊千代は、さして興味もなさそうに返した。
「拙者は、中荒隅を復興させたい。
いや……一から村を蘇らせたいのにござる。そのために菊千代殿、あなたの力が必要なのにござる」
晶は、地面に膝をつき、頭を深々と下げた。
「菊千代殿の、斬新な都市構想は存じて申しまする。
何卒、何卒新しい中荒隅に命を吹き込んでくだされ」
菊千代はあっけに取られてしまった。
こいつ……本当に侍か? 膝をついて、平気で頭を下げるなんて……。
「……僕は、荒神や仙神堀や、隅扇島みたいな都市は作らないよ」
「存じております! これまでの京国の常識を、塗り替えるような都市を、作ってほしいのにございます!」
晶がそこまで言うと、菊千代はぼんやり空を仰いだ。
とりあえず、退屈はしなくて済みそうだ。
「わかったよ。せいぜい微力を尽くそうか。未だない、都市のために」
このようにして、晶は京国の頭脳と評された一人、菊千代を仲間に引き入れたのである。




