第72話 忘れたくても
時は少し遡り、巴はベッドの上にいた。昨日深夜に寝付いたので朝ものすごく眠くて(そうでなくても朝は眠い)、学校を休んで一日中ごろごろしていたのだった。
正直まだ心の整理が付かない。けれど、記憶にフタをすることはできそうな気もしていた。あれは他人である。私は可哀想じゃない。昨日は何もなかった——。
だが、真実それは無意味である。巴は知る由もないが、白尾は写真や映像を材料に脅す気満々でいる。学校へ行けば顔を合わせる。記憶は嫌でも蘇る——。
逃れられない呪縛。
本来、忘れることができればできるほど、陰惨たる性犯罪の被害者であるという当事者意識は欠けていく。なんなら自分を騙してもいい。そうすれば心が壊れないというのなら、その方がいいに決まっている。
けれど、加害者が接触してくるなら。虚構だと偽りたかったものは真実だと肯定され、地獄の輪廻から抜け出すことができない。
——現時点で、巴はそこまで頭が回らない。ただ忘れたくて。必死に記憶に封をしている。
『もえちのカレ、うちの学校にいた!』
画面越しに興奮が伝わって来そうな文面。花音からのLINEを見て、巴は飛び起きた。
(皇くんが……?)
タイムスタンプは午後3時45分。現在時刻は午後4時半過ぎ。1時間弱が経っている。
皇には休むと伝えたのに、高校まで来た意味は——。
(まさか、白尾先生に何かする気なんじゃ……!)
その名を思い浮かべた刹那、全身に悪寒が走った。
いやだ。無理だ。触らないで。あっちに行って。
動悸がする。身体が強張る。
——何も考えたくなくなる頭に鞭打って、どうにか花音にLINEを返した。




