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第66話 殺人の待ち時間①

 朝。一度滅んだはずの世界に、何事もなかったかのように陽光が射す。

 日常。一人の少女が心を抉られても、一人の少年が殺意を孕ませても。地球は止まることなく回り続ける。


 さて、その少年の話をしよう。

 日本では銃が流通していないため、凶器は刃物が主流である。皇は護身用レベルのサバイバルナイフを鞄に忍ばせ、巴の高校へと向かった。


 巴からは休むと連絡があった。白尾と顔を合わせたくないのだろう。当然だ。あんなことをされて、顔も見たくないという心情は痛いほど分かる。ただ、被害者が逃げなければならない現実は意味が分からない。悔しい。


 巴は明日は行くとも言っていた。

 ——もし自分だったら、1日休んだだけで登校できるだろうか? とてもじゃないが想像できない。


 ——でも、心配ない。明日にはもう白尾はいないから。それまで彼は生きていない。

(今日、決着を付ける)

 皇は鞄の中でナイフの柄を握る。その感覚と自身の決意を確かめるように。

(大丈夫。絶対大丈夫だ)

 おれはやれる。殺せる。そう自分に言い聞かせる。

(——だけど、問題は)

 白尾がいつ帰るのか分からない、ということだ。


 ある程度のプランはある。でも、まずは直接会えなければ始まらない。そのため彼の出待ちをしなければならず、しかももし車通勤だったら駐車場で車に乗るまでの猶予しかない。


 皇は高校の制服を着て校内に侵入していた。動きやすさという機能性ではジャージに分があるが、それだと部活動中の身のはずであり、単独での待ち伏せが長時間に及んだ場合に不審がられるかもしれないと憂慮した。対して制服ならどこから見ても在校生であり、まず怪しまれずに行動できる。入学が決まってすぐ制服を用意しておいたことが奏功した。


 どこで待つのがいいだろうか。職員室を探して見張ろうかとも思ったが、一時外出の可能性もあり、その度に自分も動き回るのは得策ではない。


 ——なら、下駄箱だ。帰りに必ず通る場所。教諭用のそれは案の定、正面玄関にあった。白尾のネームプレートを確認した皇は正面玄関から外に出て、校庭側の花壇近くに陣取る。そこは1階部分だけ屋外になっている渡り廊下であり、2階部分を支える太い支柱の存在が好都合だった。身を隠しながら正面玄関を張り込むのに丁度いい。寄りかかって休むこともできるし、人を待っていたり暇を潰したりしている風も装える。


 時刻は正午を回り、午前日課が終わった生徒たちが帰り始めている。とはいえ、教師は夕方頃までいるのだろうか? 部活動の顧問をしている可能性もあるし——。ただ、もう考えても仕方がない。皇はターゲットを何時間でも待ち続ける。


 まるでストーカーのようだ。皇が抱いた連想はあながち間違いではない。特定の人物を待ち伏せ、危害を加えようとしているのだから。結果としては同じと言える。それでも、その未来に後悔はない。

 ——許さない。皇の決意は揺るがない。


 時計の短針が45°ほど傾いた頃。皇の緊張感は弛緩し始めていた。教員は一向に出てこない。生徒が昼前に放課になるからといって、すぐに帰れる教師はいないようだ。よくよく考えてみれば、公務員なのだから定時まで仕事があるのかもしれない。夕方以降になっても待つ覚悟はしていたつもりだが、実際に体感すると長過ぎて精神が磨耗し、疲弊していく。


 人通りは部活動中と思われる生徒が時折り見受けられるくらいで、極端に減っている。生徒が減るにつれて他人の目も減るわけだが、それでもずっと同じ場所に留まっている皇に奇異の目が向けられることもしばしばあった。


 時刻が午後2時を過ぎた頃、皇の中に迷いが生まれ始めた。それは計画実行に対するものではなく、このままここで待っているのがベストなのか? という迷いである。


 空には陰りが見え始めた。一雨くるかもしれない。あいにく雨具の用意はないが、軽く変装できるようにキャップは持ってきている。よほどの雨でなければ降られても何とかなる。現在張り込みをしている場所については頭上に2階部分があるため、濡れる心配はしなくていい。


 午後3時。何も妙案の浮かばない皇を嘲笑うかのように、しとしと雨が降り始めた。校庭やテニスコートなど屋外で活動していた運動部の生徒がわらわらと引き揚げていく。


 皇は彼らと目を合わせないようにスマホをいじるフリなどしつつやり過ごす。とくに立ち止まる者はなく、みな足早に通り過ぎていった。1人を除いては。

「もしかして、傘ないとか……?」

 高校生のはずだが年下に見える女子生徒だった。まさか話しかけられると思っていなかった皇は数秒フリーズする。相手は小柄でも活力にあふれていそうで、初見で元気な子なんだろうなという印象を受けた。少なくとも高校生であり、年上であり、少し失礼な感想かもしれないが。

「……大丈夫です。そんなに降ってないし」

 そう答えた皇の顔を女子生徒はまじまじと観察してくる。この高校の生徒じゃないのがバレてしまったのかと脈が早まり、皇は生唾を飲んだ。

「あれ、どっかで会ったことある? 1年?よね? 背高いけど先輩にしては童顔だもんね……」

 なんか彼女のほうが失礼だった。でも皇は実際中3に当たるので不服を唱えられる立場ではない。しかしながら、強気の判断でいろいろ心配になる物言いだ。もしこれで相手が先輩だったらどうするのか。ていうかそっちも童顔じゃないか——。

「私の傘、貸したげよか? 折りたたみもあるから」

「————」

 不意打ちのような親切。彼女の優しさには頭が下がるが、今そういうのは要らない。正直傘があった方が尾行時に気付かれるリスクを下げられるとは思う。だが、これから人を殺そうとしている人間と関わらせてはいけない。同級生(と彼女は思っている)とはいえ、初めて会った人間に傘を貸し出せる心を持った女の子だ。自分とは無関係の他人でいなければならない。今回は九島にすら頼っていないのだし、なおさらだ。


 ——だから、皇はもう一度丁重に申し出を断る。

「すみません。本当に大丈夫なんで」

「——え」

 つぶらな瞳をぱちくりさせて、女子生徒はあたふたし始めた。

「あ、謝らなくていいからね? なんか私が貸したいみたいじゃん!」

 もう! とぷりぷりして彼女は踵を返した。そして去り際に言い残す。

「もしやっぱ借りたくなったら私の靴箱に入ってる折りたたみ傘、持ってっていいよー」

 いや靴箱わからんがな……なんて皇が思っていると、数歩先で彼女も気付いたのか振り返った。

「私は3組の一ノ瀬花音ちゃんだよー」

 ご丁寧に名前を教えてくれた。よかった、これで靴箱も分かる……じゃなくて。人が良すぎるんじゃないだろうか。赤の他人なのに少し心配になる。背丈は小さいのに心は寛大だったな——なんて本人の前で言ったら絶対ぶっ飛ばされそう。仮にも先輩だし。そんなことを考えながら、彼女の後ろ姿を見送った。

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