第61話 臆病者の願い
世界が滅ぶ1時間と少し前、小野救世は自宅を出た。
昼はひたすらに眠り、夜に目が覚める。できそこないの吸血鬼のようだ。他人の血も吸えず、もう長くは生きられない。
小野は自分に呪いをかけて、夜の住宅街を彷徨う。いつかの死に場所を探している。誰かを殺す夢を見ながら。自分が死ぬ未来を享受しながら。
そうして時間は空費される。いつだって時は流れる。どれくらいそうしていたか? 数年のような気もするし、数秒のような気もする。
——笑えない。いいとこ1時間かそこらだろう。まだ身体は痛む。それは嘘じゃない。だが、小野には出歩かなければならない理由があった。彼は探していた——あるものを。
(——それはなんだ?)
小野は周囲を探るようなそぶりを見せる。端から見たら立派な不審者だ。
(いや、そうか——)
知っている。近くにあるはずだ。もうすぐそこに——
俺の求めるなにか、が——
「……これ、は」
それは——何の驚きもない。鏡だ。なぜ自分が鏡を求めていたのかは分からない。ただ、鏡は自分を求めていたようだ。それははっきりと分かる。なぜなら、鏡は——ほら、この手の中に収まっている。ああ、そして、どこからか声が聞こえる。聞きたかった声が。
——待っていた。この日、この瞬間を、きっと俺は待っていたんだ。さあ、願いを言おう。小野は意気の高揚を感じていた。
(俺の願いは——)
決まってる。あいつを殺す? 死にたい? いや、違う。
世界を。このクソみたいな世界を。
「世界を——」
いや、それも違う——。俺は、本当は——
——誰も殺したくないんだ。死にたくないんだ。この世界で存在を許されたいんだ。
知っていた。俺は臆病者だ。だから。
——それあげる。
だから、ありがとうの一言も言えなかった。夜に独り泣いていた自分を気にかけてくれた少女に、ただ一言、ありがとうと言うことさえできなかった。小野は願いを口にする。ぎこちなく、しかし決意を持って。
「三船にありがとうと伝えたい」
それが、彼の願い。
それが、小野救世の願いだった。




