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第60話 夜に歩く

 生温い風が心地よい夜だった。月に魅せられ、彼女は家を抜け出した。あと1時間もすれば日付が変わろうかという時間帯。普段なら外出することなどない深夜だが、思い出したくもない日中の出来事のせいで目が冴えていて、頭もどうかしていた。


 月が綺麗だったから。もっと近くで月を見たい、なんて。どれほど月へ向かって歩こうと、近づけるわけなんかないのに。それこそ天へと続く階段でも昇らない限り——。


 日没まで厚い雲が威張っていた空は星たちが新たな勢力として台頭しており、その筆頭は間違いなく月だ。でも、それももうすぐ隠れてしまう。半月。いわゆる上弦の月で、真昼から昇り始め、夜更けには西の空へと沈む。すでに街灯に主役の座を追われるほど高度を下げていたけれど、まだ健気に夜空を照らしていた。


 コツン。空ばかり見上げて歩いていたから、足元が疎かになっていた。つま先が何かに当たる。軽く蹴飛ばしてしまったそれは——

(——鏡?)

 古めかしい意匠の鏡だった。

「よいしょ」

 何も意図せず拾い上げる。——なぜだろう。興味もなければ、躊躇もなかった。右手が吸い込まれるように鏡に向かって伸び、ただ漫然と手に取ってしまった。

 瞬間、脳裏に音声が走る。


 願いを一つだけ叶えよう——。


 願い。私の願い、は——。三船巴は空を見上げた。半分の月。知っている。月には何もないことを。そこには兎もかぐや姫もいないことを。生命のない大地。暴力も凌辱もない世界。知らず涙が頬を伝う。それは必然。

 世界を、と彼女は言った。


「世界を、滅ぼしてほしい——」

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