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第51話 涙と嘲笑と激昂と

「先輩!」

 へたり込んだ巴の様子に気付き、皇が振り返る。心配そうな顔。その目を巴は直視できない。

「皇くん……ごめん……」

 無性に謝りたくなり、それだけを口にした。それだけしか、言葉にならなかった。

「なんで先輩が謝るんですか!」

 皇は優しい。馬鹿みたいに涙があふれてくる。私は何もできなかった。自分の無力さを思い知った。

 ——悔しい。感情がうねる。どうにもならない。この感情は。この涙は。

 ——悔しい。悔しくて、どうしようもなく悔しくて、巴は顔を上げられない。

「っう……く、ぅう……」

 声は脆く。涙は床を濡らしていく。

 人目を憚らず、まるで子供のように。少女は声を上げて泣いた。


「————先輩」

 皇は泣いている巴を抱きしめたかったが、それが望まれていないことだと気付いていた。

 だから、静かに呟く。

「おれは——絶対に許さない」

 皇が振り向くと、白尾は何やらスマホを眺めているようだったが、目が合った途端に不敵な笑みを向けてくる。

「何か言いたそうだね?」

「——先輩に、何をした」

 皇は吐き捨てるように詰問する。

 白尾は一瞬きょとんとした後、露骨に嫌そうな顔で問いを返した。

「は? そんなことが聞きたいのか?」

 ——間違いない。先輩を泣かせたのはこの男で間違いない。最低最悪のゴミクズ野郎で間違いない。皇は確信し、拳を固く握る。震えるほどの怒りを全て注ぎ込むかのように、固く、固く。

「まあ、そうだな。俺は言ってもいいんだが——」

 白尾は口元に手を当て、またしても笑みを浮かべている。不快で、邪悪な笑み。

「三船、言っちゃってもいいか?」

「!!」巴が息を呑む。「そ、れは……」青ざめた顔で、口をつぐむ。

 前方の皇にすがるように伸ばしかけた腕を、引き戻していく。

「——なんてね。ははは! 冗談だよ」

「——————!」

 信じられない。皇の頭はくらくらしている。大人が汚いのは知っていたが、ここまでの人間がいるのか? 三船先輩を辱め、嗤い、嘲り、何の引け目も感じていない。皇は白尾に視線をぶつける。

 ——非現実的だ。

「ていうか君は誰? 後輩ってことは中学生なのか? 何でここに?」

 ——何で、だって?


 結局、皇は巴が心配だった。大人は信用できないから。それで相談の最中はスマホをずっと通話状態にしていようと巴に提案し、異変があればすぐ駆けつけられるようにしていた。ポケットの中であっても、大きな声や物音であれば拾えるだろうから。

 ジャージ姿なのは、令和高に指定のジャージがないため。適当な格好でもジャージさえ着ていれば不審がられることはないとの見立てだった。

 でも、いざ向かおうと思ったら、この教室の場所がなかなか分からなくて焦った。もし巴の身に何かあったらどうしようと心臓が跳ね上がった。もし何かあったら——


「ああ、分かった。君あれだろ。三船のストーカーだろ? でも惜しかったね。もう少し早く来ればヒーローになれたのに」

 くっくと白尾が笑う。失笑の類いだ。

「そう怖い顔するなよ。合意の上だから。気持ちの昂った男と女が唇を重ねる——よくあることだろう?」

「——————っ!」

 一瞬、時が止まる。巴が凍りつく。皇の思考は空転し、理解に数秒を要した。

「おっと、お子様には刺激が強かったかな?」

「——この、クソ野郎が……!」

 鬼気迫った顔で白尾に詰め寄り、胸ぐらを掴む。勢いそのまま、両手で強引に締め上げた。身長差はほぼないが、白尾の足が宙に浮きかける。必死に抑えつけていた憎悪が噴出し、理性が瓦解していく。


 もうダメだ。殴りたい。我慢できない。許せない——

「皇くん! ダメ————」

 最愛の先輩が精いっぱいの制止をする中、皇は右の拳を——

 白尾の頬に、叩き込んだ。

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