第46話 飛べない小鳥
「——どうしたんだ? 三船。思い出したくないか?」
心配そうな顔で白尾は巴に近づき、その左肩にそっと自分の右手を置いた。ぴくんと子ウサギのような反応。素晴らしい。なんだこの少女は。抜群の美貌を備えているのは分かっていたが、これほどの上玉とは。
昂る衝動。迸る劣情。だが、まだだ。弱みの一つでも握れさえすれば、この先ずっとやりやすくなる。さあ、話せ——。包み隠すことなく。お前の心のすべてを。その中から何か、精神的に縛れる情報を探し出す。何か。何かあるだろう? 捻り出せ——。
「まあ、なんだ。別に具体的な暴行を聞きたいわけじゃないんだ。いつ、どこで——それくらいだったら話してくれるか?」
「——先週の木曜、川沿いのくじら2号公園です」
「ああ、あの広い公園か。何時頃?」
「夜の、8時過ぎ——」
白尾はメモを取ることもせず、巴の傍らに立って何か考え込んでいる。
詳細な状況を追及されずに済んで、巴は内心ほっとしていた。
「三船。話してくれてありがとう。そんな夜に怖かっただろう」
白尾に頭をポンポンされる。この先生はスキンシップが多い。
「他に何か知っていることや気付いたことはあるかい?」
「ほかに——」
神社での件はまだ話していない。偶然見たことにして話す? 偶然? 偶然あの階段を上って境内に? それは——
「いえ——」
最低限伝えなければいけないことは伝えられた、と思う。八神がマークすべき対象であると認識してもらえれば、これまでのように好き放題はやれないはず。神社での件を無理に話す必要はない——。そう巴は判断した。直後、白尾の視線に気付いて目を逸らす。
「三船が気がかりだったり、心配だったりすることでも構わない。何かあるんじゃないか?」
——何かある。この少女は言い淀んでいる。願望にも似た確信。白尾は畳み掛ける。
「些細なことでもいい。先生に話してくれないか?」
さあ。話せ。話してしまえ。深く考えるな。さあ。心を許せ——。
(私は——)
私は何のためにここへ来た?
そう——。友達を危うい状況から助けたいと思って、ここへ来ている。いや、助けるなんておこがましい。
(碧ちゃんを八神くんから引き離せれば、それでいい)
彼女が気づいてくれれば、それで。
八神とは一緒にいるべきじゃないって、なんとかして気づいてもらうため。そして、小野のことも心配でないと言えば嘘になる。そのために私は——。
「先生。私、これ以上八神くんを野放しにしたらダメだと思って、それで——。
私がお話ししたかったのは……それだけです」
「——そうか。分かった。八神の件は先生に任せておけ」
「先生! よかった……!」
ほっとして気が抜ける。自然と巴の表情は緩んでいた。
◇
「いじめは大問題だからな」
「そうですよね!」
「ああ、当然だ——」
白尾は心の苛立ちを見せることなく、大人の余裕で偽装する。これで終いか——仕方ない。ならば、別の手を用いるまで。弱みを見せないのなら、
——作り出すまでだ。
「三船」
白尾は少女の名を呼んだ。強い調子で、標的となった少女の名を。そして堂々と、無遠慮に——舐め回すように全身を観察する。
「はい。……先生?」
制服の上からではさほど分からないが、体型からしておそらく、いやきっと、十分に女の身体をしている——。まったくもって申し分ない。
さあ、それじゃあ始めよう。世にも美しい小鳥を永劫の檻に閉じ込めよう。
白尾はジャケットの上着を脱いでから、視聴覚室の出入り口に向かう。
カチリ。冗談のような音を立てながら、扉の錠が、落ちた。




