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第31話 首絞めロマンチスト

 長い長い坂道を登っている。そんな夢を見ている。その坂は途中から急に勾配が厳しくなり、挙句には断崖絶壁となって行先を阻む。どうしようもない状況。高くそびえ立つ壁は絶対的な強者であり、抗おうにも手段がない。その場で休むほど心に余裕はなく、引き返すという選択肢は脳裏に浮かばない。ただ唖然としながら絶望を享受し、無様に立ち尽くす。

 そんな時、電話が鳴る。まるで定刻を報せるかのような着信音。八方塞がりの夢が終わりを告げ、いずれにせよ絶望的な現実が幕を開ける。

「10分で来い。神社な」

 八神からだった。電話に出れば呼び出されると分かっていたが、出ないわけにはいかなかった。要求に応じなければ、あいつは家まで来る。そういう奴だ。


 カーテンの閉じられた陽の当たらない部屋の中で、小野は一声、呻く。くぐもった雑音。我ながら気持ちの悪い声だ。そんな自虐的な感想を抱きながら、彼は重い腰を上げた。


 昼過ぎに学校から帰って昼食を採った後、いつの間にか寝てしまっていたようだ。時刻は午後3時。しかし、それは正確ではない。彼の部屋の時計がその時刻を示しているだけで、実際の時刻とどれだけズレがあるかは分からない。小野は現在の時刻に興味がない。どうでもいいからだ。


 小野が向かうのは高校近くの神社である。一昨日は珍しく数駅離れた公園に呼ばれたが、最近の呼び出し先は専らそこだった。高校入学時に転居した彼の家からは徒歩圏にあり、急げば10分で行けないこともない。まあどうせ八神も遅れてくるから、数分遅れたところで何も変わらない。


 外は夕方の気配がする。黄昏時。まだ冬の抜けきらない夕暮れは肌寒く、しかしその微妙な寒さが生を実感させる。やはり夕方、あとは深夜が自分には落ち着く時間帯だ。そう小野は思う。世界がどこか切なげで、息を潜めている感じがいい。そして、死にたくなる時間帯でもある。


 商店が建ち並ぶ道を通る。ここでは立ち止まって話し込んでいる学生や、買い物袋を持った年配の女性が生きている。まるでここに住んでいるかのように、この場所に来ると当たり前に存在している。彼ら彼女らは何のために生きているのだろう。

 冷たい風が吹く。足下の落ち葉が逃げていく。あと何度気温が下がったら生物は死に絶えるのだろう。

 ——そんなまったくもって無駄なことを考えながら小野は歩いている。自分がこれから殴られに行くなんてことは露ほどにも思い浮かべない。その点については脳が考えることを拒んでいる。

「あっ。小野じゃん」

 不意に声をかれられた。この眠たげな声——そして明るい金髪に朱色のメガネ。五木碧か。

「どしたの? もしかして神社行く?」

 聞きながら、並んで歩こうとする碧。

「…………」

 こんな金髪女と並びたくはない。小野は歩く速度を上げる。

「無視かよぉ。ねぇー、行かないほうがよくない? 殴られるだけじゃん」

「お前もヤられるだけじゃん」

「は? なにそれ。付き合ってるんだから別にフツーでしょ」

 出た。フツー。普通。ふつう。フツーって何?

「普通は人を殴らないよね?」

「ん、、まあね」

「お前も殴られるんだろ。八神に」

「————」

 碧の表情が固まった。沈黙の後、笑い出す。

「あはは! 香ちゃんが? 私を? ないない! 一回しかない!」

 あるんじゃねーかよ。

「まあ、あれは私が悪かったから……」

「悪いの?」

 小野は小馬鹿にしたように言った。

「ゴム付けてって言うのは普通でしょ」

「えっ! なんでそれ……」

 露骨に驚く碧。八神が仲間に吹聴してた話は本当だったのか。クズが。

「なんであんな奴と付き合ってるんだよ」

 クソ。どうでもいいことを聞いてしまった。こいつが誰と付き合おうが、八神が誰と付き合おうが関係ないはずだ。

 一言。碧は恥じらいながら答えた。

「————好きだから」

「死ね」

 あいつのどこがいいんだよ。顔だけだろ。顔がよければなんでもいいのかよ。利用されてるだけだって気づかないのか?

 自然と、小野は拳を握り締めていた。

「間抜けな女」

「なんか言った!?」

 俺と同じだな。小野は苛立ちの原因を同属嫌悪だと推測したが、それは果たして正しいのか。

「着いてくんなよ」

「私も神社行くんだもん。まぁまだ時間はあるんだけど」

 時間差で呼び出されたのか。俺をいたぶってから彼女とヤるって算段なのか、あのクズ野郎は。あーあ。もし俺がここでこの女をメチャクチャにしたら、少しは復讐になるのだろうか。小野は夢想する。碧の首を締めるのは簡単だ。だが、それは物理的に可能というだけで、そんな勇気はない。彼にそんな勇気があったなら、とっくに八神の顎にアッパーの一発もかましていただろう。

「小野ってさ、殴られるの好きなの?」

 少し後ろを歩いていた碧の口から不意にジャブが放たれた。

「……そんなわけないだろ」

「じゃあやっぱ行かなきゃいいのに」

「…………」

 逃げ出すことにも勇気はいる。それをこの女は知らないのだ。碧の言う通り、今ここから逃げ出すだけでよければどんなに素敵な世界だろう。しかし、それは単に場所と時間を移動したに過ぎない。現実からは逃げられない。何も変わらないのだ。

「お前には関係ない」

「——ださ」

 呆れたような碧の声は小さかったが、前を歩く小野にもしっかり聞こえるくらいの音量で——小野は盛大なため息をつき、古びれた小さな薬局の角を急ぎ足で曲がった。この通りを直進し、道路を挟んだ向こうの道沿いに神社の入り口はある。


 林をかき分けるように赤々としてそびえる鳥居をくぐり、小野は階段を昇っていく。ふと、先ほど見た夢を思い出す。長い長い——あれは坂道だったか。この拝殿へと続く階段はさほど長くはなく、いっそのこと永遠に続けばいいと思う。もしそうなるなら、おれが拒む理由はない——。


 しかし小野の妄想も虚しく、石段には明確な終わりがある。前方には石畳が続き、再び鳥居が出迎える。その先には簡素な拝殿があるだけ。いつものことながら人影はない。予想通り、八神の姿も。

 一応持ってきたスマホを手に取る。指定された時刻は数分過ぎていると思われ、まもなく奴も現れるだろう。


 神社を包む空間は静寂に支配されており、そこへ時折カラスが茶々を入れる。小野が後ろを振り返ると、階段の途中に金髪の少女が見えた。そして、階下の鳥居の近くには——。

「あれ、碧ちゃん? 早いね」

 陽気な声に身体が拒否反応を起こす。呼吸が荒くなる。小野の全身全霊がその人物を拒絶している。

「えへへ。ちょうどこっちで遊んでたんだ」

 碧が小野には向けることのない笑顔を見せる。恋人たちは階段の踊り場で唇を重ねた。


 おいおい、いきなりかよ——なんて小野が二つの意味で上から見ていると、八神と目が合う。天敵に一瞥され、弱者は反射的に目を逸らした。

「碧ちゃん。ちょっとだけ待ってて。あいつに用があるからさ」

 八神は爽やかに言って、碧の首元に口付けた。

「んっ」

 碧が肩をすくめて声を漏らす。制服は先刻より少しはだけ、鎖骨が遠目に見えた。

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