第五章17 結
――剣を振る。怒りを込めて、悲しみを込めて。
――剣を振る。友情を込めて、愛を込めて。
剣と剣がぶつかり合う度、激しい音が鳴り響く。
思いと思いがぶつかり合う度、激しい痛みが胸を打つ。
剣戟と感情の嵐の中、しかしミコトは――どうやら、怒っていた。
「はぁっ!」
気焔万丈。気迫に満ちた声を上げながら、ミコトが満身の力を込めて剣を振るう。
「あ゛あっ!」
応じるようにユウも吠え、迫る剣に己の剣を叩き付ける。
ぎぃんと鈍い音が鳴り響き、二人の間に火花が散る。
「良い動きだなミコト! 今までが嘘みたいだ!」
猛り、再び迫るミコトの剣を受け止めながら、ユウは虚ろな、しかし大きな声で笑う。
実際、驚いていた。ミコトは間違いなく、今までで一番の動きを見せている。
ツカサと戦っていた時ですら、ここまでのキレと気迫は無かった。
「ユウくん……僕は」
鍔迫り合いの中ミコトはぎちぎちと剣に力を込め、ユウの剣を押し込む。驚くユウを他所に、ミコトは更に吠えた。
「怒ってるんだよ!」
そのまま無理矢理に聖剣を振り切る。後ろによろめき体勢を崩したユウに、ミコトは踏み込んでもう一撃を加える。
「ははっ! それは珍しい!」
しかしユウは即座に体勢を立て直し、ミコトの追撃を受け流す。そのまま首筋目掛けて振るった剣を、ミコトはかろうじて受け止めた。
「俺が裏切ったからか? お前らを騙してたからか? 悪いことをしようとしてるからか?」
ユウは、問と斬撃をミコトに何度も叩き付ける。どれも、ミコトが怒るには十分な理由だ。今まで信頼していたからこそ、その怒りは大きなものだろう。
しかし――
「そんなの全部……どうでもいい!」
ミコトはそう叫びながら、全てを振り払うように剣を振るった。
余りの気迫に、ユウの攻勢は断ち切られる。
「いや、どうでもよくはないけど……! でも! そんなことよりも!」
ミコトは尚も叫び、ユウに向かって駆け出す。
「ユウくんは、間違ってる!!」
そして断言と共に、剣を振り下ろした。
「……何だよ、それ」
それを受け止め、覆い被さるようにこちらを睨むミコトを見上げる。
そしてユウは、大きく顔を歪めた。それは、
「それは、納得、行かねぇな!」
一言ごとに力を込め、ミコトの剣を押し返す。
体勢は入れ替わり、今度はユウがミコトを見下ろす。
「可笑しな話だなミコト。お前はツカサになんて言った?」
歯を食いしばるミコトを睨み付けながら、ユウは更に剣に力を込める。
「『ここに正義の味方なんか居ない。もちろん悪人だって居ない』。『ちっとも悪くなんかない』、とも言ったな。『どちらも正しいし、どちらも正しくない』。そう言ったな!」
ミコトは確かにそう言った。ミコトの願いも、ツカサの願いも。どちらの願いも、どちらの行いも、正しくて正しくない。ただの我儘なんだと。
「なんでだ? なんでツカサを肯定して、俺を否定する? 俺とツカサは、全く同じ願いを持ってたのに。ツカサは間違ってないのに、俺は間違ってるって言うのか?」
矛盾している。
ユウを否定することはツカサを否定することで、ツカサを肯定することはユウを肯定することだ。
『大切な人を生き返らせたい』。二人の願いは、全く同じだったのだから。
「……なことも、……ないの……?」
「何だよ!」
ユウの下で歯を食いしばりながら、絞り出すようなミコトの声が聞こえた。だが聞き取れず、ユウは噛み付くように訊き返す。
答を待ち、その顔を睨み付けていると――ミコトと、ぴたりと目が合った。
「そんなことも分からないのかって、言ってるんだこの馬鹿野郎!!」
そしてミコトは、ユウに向かって怒鳴りつけた。
そのまま一気呵成に、ユウの剣を押し返す。
――馬鹿野郎。
ミコトに初めて言われた言葉。呆気に取られ、ユウは易々と撥ね除けられた。
「そうだよ、この世界のどこにだって、絶対に正しいものなんかない! その人の正しさは、その人だけのものだ!」
たたらを踏んで、二人は遠ざかる。
しかしミコトの声は、ユウに迫って離れない。
「だけど!」
声と共にミコトが踏み込み、剣を振り下ろす。ユウの剣が、それを受け止める。
「同じ正しさを目指してぶつるのが!」
ミコトが剣を再び振るう。鬼気迫る斬撃に、ユウの手が激しく痺れる。
「『友達』ってもんじゃないのかよ!」
三度振るわれた剣が、ユウの剣を大きく薙ぎ払った。
瞬間、ユウの脳裏に、思い出される。
『友達なんて、この世で一番遠慮せんでええ生き物やろ。もっとぶつかったればええんやて』
――ああ、ミコト、お前は。
この戦いを通して――いろいろな出会いを通して。
強く、なったんだな。
「くっ……ぁっ!」
――それでも俺は、最後まで戦う。最後まで戦って、そして――
ユウはねじ切れそうな痛みを堪え、弾かれた左腕を強引に引き戻す。
「それに!」
そのまま無茶苦茶に振ったユウの剣を躱しながら、ミコトは再び声を上げる。
「間違ってるのは、そこじゃない!」
声を乗せて振るわれるミコトの剣を、真正面で受け止める。
――分からない。俺の願いが、間違っていないなら。
「……なら!」
ユウは叫び、ミコトの剣を振り払う。
「一体!」
その隙に差し込むように、更に剣を振る。ミコトはそれを、かろうじて受け流す。
「何が間違ってるって言うんだよ!!」
ユウの振るう剣が唸りを上げる。今度は、ミコトの剣が薙ぎ払われる番だった。
ユウと違い手と繋がっていないその剣は、弾き飛ばされ宙を舞う。
――これで、終わりだ。
ミコトは剣を失い、ユウは剣を持っている。ユウの攻撃を、ミコトは防げない。
勝利を確信し、ユウは剣を腰だめに構え、聖剣の猛威を解放せんとする。
「一番大事なことを、間違ってる!」
だがしかし、ミコトは欠片も諦めていなかった。
ミコトの手が、その左手が、何かを求めるように宙を泳ぎ――
「瑞生ちゃんの最後の言葉は、」
そして、捉えた。
宙を舞う剣――そこへ繋がる、二つの聖剣を繋ぎ止める、鎖の『接続』を。
「僕との約束なんかじゃない!」
叫び、ミコトが能力を発動する。
その瞬間に、聖剣が消え去った。特別な力は消え去り、そこに居るのは、ただ二人の高校生。
混乱する頭で、ユウは考える。考えるのを、止められない。
――どういうことだ。瑞生の最期の言葉は。ミコトとの。
ミコトの強制退場。聖剣が消えた。ミコトが左手を伸ばして。
――左手にだけは、触れられてたまるか。
右手を伸ばす。ミコトが左手を引く。伸ばした右手が空を掴む。
そして、ミコトが右手を振りかぶった。
――ああ、そう。それでいいんだ。
何も掴めなかったユウの右手が、諦めたように力を失う。
無防備なユウに向かって、ミコトが右手を動かして。
「いい加減、思い出せぇっ!」
その言葉が、ユウの脳を殴りつけた。記憶を揺らし、衝撃をもたらし。
そして、その右手が。
――その右手が、ユウの頬を殴りつけた。
「――は?」
顔面を突き抜ける衝撃に、ユウは間抜けな声を上げる。
――どういうことだ。
何が起こった。なんで俺は消えていない。どうしてこんなに顔が痛い。
その答は、傾いた視界の片隅に映った。
――ミコトの、左手。
それが、ミコトの、胸に触れていて。
――強制退場。
ミコトは、自分自身を退場させたのだった。
「ふぅっ! スッキリしたあ!」
混乱するユウを他所に、ミコトは明るい声でそう言った。
「な――お前、なんで……っ!」
なんで。俺はミコトを裏切って、俺を止めないとミコトは。
――俺は、消されて当然なのに。
「『約束』、したでしょ」
「『約束』……?」
今までの怒りを忘れたかのように、穏やかな笑みでミコトが語る。
その言葉を、訳も分からずに繰り返す。
――約束。ミコトと、ユウが交わした約束。それは――
「ユウくんが、道を間違ったら。『殴ってでも止める』、ってさ」
「……!」
それはあの時、薄暗い体育倉庫の中で。
ミコトとユウが、二人だけの間に結んだ、新しい約束だった。
「おめでとう。貴方が、最後の一人よ」
次の瞬間、女神の声が響いた。
最後の一人。それは即ち、『イマジン鬼ごっこ』の終わりを意味していた。
たった一つ、どんな願いでも叶えられる――たった一人の勝利者に、ユウはなってしまったのだ。
未だ思考の追いつかないユウはしかし、目の前が徐々に白に浸食されていることに気が付く。
おそらく今、ユウはミコトの目の前から徐々に消えていっている。もう何度も経験してきた、強制的な転移だ。
「ユウくん」
ミコトの声が、ユウの名を呼ぶ。
視界はもう八割ほどが白い。だが、ユウはまだミコトに言いたいことが山ほどある。
しかし女神はいつも通り、ユウの思いを汲むことはなく。
「待――」
ユウの視界は、完全な白で埋め尽くされた。
何も見えない、真っ白な闇の中で――
「――後は、任せたよ」
最後に、ミコトがそう言ったのが聞こえた気がした。
*************
「実はね――」
「ん?」
リョウカが不意に声を上げ、ユウは何事かと疑問の声を上げた。
ツカサをゲームセンターに送り届け、ミコトたちの元へ戻ろうとしていた時のことだ。
「私がユウと話したかった、っていうのもあるんだ」
わざわざミコトたちを置いてきた、その理由。
唐突に語られたそれに、ユウは驚きを覚える。
「俺と……?」
そう訊き返すと、少し照れくさそうに、リョウカはコクリと首肯した。
「ユウ――無理、してない?」
そうして問われた内容に、ユウは更に驚くしかなかった。
――まさか、彼女に見破られるなんて。
四人の中でも、一番付き合いの短い彼女に。
心臓がぴくりと跳ね、目尻が引き攣る感覚を覚える。
「……無理って?」
だが、ユウは静かにそう訊き返す。
これだけは、絶対に見破られまいと思っていたのだ。問われてすぐに認める必要も無い。
もしかするとそれは、無駄な抵抗かもしれないけれど。
そして、リョウカは答える。言い当てる。
「私、見てたよ。あの時――」
『あの時』――ツカサとの決着の時。彼が退場し、敗北するのを見て。
自分と同じ願いを持ち、そして一人で戦い続けてきた彼が、敗れてしまったのを見て。
「ユウ、すごく辛そうな顔してた」
「……」
彼女はやはり、全てを見ていた。
思えば、第三ゲーム、瑞生のことを話したあの時から。彼女はずっと、気が付いていたのかもしれない。
ユウの中で燻る、その思いに。
「もし……もし、何か辛いことがあるなら。……ミコトに言えないことがあるなら。私に、話してくれないかな?」
その言葉は、とても優しさに満ちあふれていた。
何も考えずに飛びついて、甘えて、しがみついて。何もかもを吐き出して、全てを忘れてしまいたくなるくらいに。
しかし――
「…………ごめん」
たった一言、ユウはそう呟いた。
甘えるわけにはいかない。忘れるわけにはいかない。
それが、ユウが導き出したたった一つの答だから。
――瑞生への想いを形にする、たった一つの方法だから。
「ユウ……?」
こちらを覗き込むリョウカに、ユウは決然と顔を上げて視線を向ける。しかし――
びくり、と。
リョウカが身を固め、驚いたような――怖がっているような、そんな表情をユウに向けた。
その表情を見ただけで、ユウは自分が今どんな表情をしているのかを察した。そして、そこに生まれた感情に、ユウは激しく動揺する。
――ああ、なんで、いまさら。
そうして結局、ユウは自分がしようとしていたことを思い留まった。
心に吹き荒れる暴風を、深呼吸をして鎮める。
否、鎮まりはしない――ただ、胸の内から漏れないように、ぴったりと扉を閉めて。
「…………早く戻ろう」
ユウはそれだけリョウカに伝え、彼女を強引に引っ張るようにして歩き出した。
ジャラジャラと鳴る鎖の音が、身体の内側を引っ掻くように鳴り響いていた。
*************
――あの時。本当は、リョウカを消すつもりだった。
彼女を消して、そのまますぐに最後の戦いに臨んで。
そうすればミコトは、ユウを許さないだろうから。
大切な仲間を消したユウを、断罪してくれると思ったから。
勝ち負けは、実は重要ではなかった。
瑞生はきっと、生き返りたいなんて言わない。それは、ユウにも分かっていたことだ。
だから、ミコトと全力で戦って。
――ユウの『ただの我儘』を、ミコトの『正しい我儘』が打ち倒す。
それが一番、後腐れ無い形だとすら思っていたのだ。
だが、それはできなかった。
ユウが自分の心に、気が付いてしまったから。
そして、彼女なら。
共犯になってくれると、共に手を汚してくれると言った彼女なら。
全てを分かった上で、ユウを送り出してくれると思ったから。
そう、思ってしまったから。
だから結局、ユウは甘えた。彼女に甘えて、寄りかかって。
そして結果、最悪の結末を迎えた。手酷いしっぺ返しを食らった。
――最後の最後で、自分の手で。自分の意志で。選択を迫られるのだ。
もしかすると、それが一番正しいことなのかもしれないけれど。
――いや。
『正しいこと』は、いつでも自分の心の中にだけある。
だとすれば、俺は。信藤結という男は。
「最初から――そう、望んでたのかもな」
自分の願いが、叶わないことを。
――誰かが、自分の人生を変えてくれることを。




